彼女のところに赴くのは、丁度3週間ぶりだ。
 珍しく、何もない金曜日。さて、これからどうしようかと考えていた時、電話で指名が入った。相変わらずの覇気のない声。
『ウォリック、さん。おはようございます。きょう、来ていただいても、いいですか』
「ニクスちゃん、久しぶりィ」
 ナイスタイミング。
「暇だし大丈夫よー。アレ、用意して待っててね」
「はい、もちろん。お待ち、してます」
 彼女は、車を所有していない。送迎ができないからと気にかけて、こちらから向かう代わりに手作りのブールドネージュをくれるのだ。量はないが、それはもう絶品で。ニコラスにも、やるのは勿体ないくらい。ばれないように、いつも持ち帰っては隠れて食べる。
 彼女の家は8番街に近い2番街。つまり、さして遠くない。身だしなみを整えて、事務所兼自宅を出る。
 路地の猫を踏みそうになりながらも、裏通りを抜けすんなりと彼女の家へ辿り着く。ボロっちいアパートの2階。階段を上がり、色の褪せたインターホンを鳴らせば、塗装の剥げた重い扉がゆっくりと開く。
「あ、うぉ、ウォリックさん……いらっしゃいませ」
 低い背。顔を上げれば、栗色の長い前髪がはらりとよける。
「やー、ニクスちゃん。元気してた?」
「か、変わらない、かと」
 確かに、以前と変わりない。痩せほそって、不健康そうな。その身体は少し痛々しくも思える。けれど、目の下のクマは、前よりほんの少し、ましになったか。
「そうね、あんま変わってないね。じゃあお邪魔しまーす」
「はい……」
 今日は、初めて会ってから、6回目のご指名。そろそろ、此処にも慣れ始めた。陽が差さず、薄暗い室内。わざわざ厚いカーテンで日光を遮る。周囲には雑然と段ボールが積まれ、テレビとベッドが部屋の隅に置かれている。段ボールを、収納や机がわりにしているらしい。
 ときたま、埃のかたまりが落ちているその部屋のベッドへと進む。
「座っていーい?」
「……はい、私も、行きます」
 ニクスが鍵を捻ると、がしゃん、と重たい音が鳴る。
 ぺたぺたとこちらに寄ってきて、腰に抱きつく。顔を埋めるようにして。それを撫でてやり、二人してベッドに腰を下ろせば、ぎぎ、といやな音がした。
「ニクスちゃん、これ相当ボロじゃねーの? 買い換えた方が良くない?」
「私、お金ないの、見てわかりませんか」
「俺ちゃんのこと呼ぶの控えたら、それくらいすぐ貯まんべ?」
「……じゃあ、そうする」
 あまり生き生きとしていない表情で、それでもこちらを見てにやりと笑う。
「うそ、ほんとに呼んでくんねーの?」
「……わかってくださいよ。ウォリックさんは、意地悪だ」
 少し、眉をひそめる。
「女の人のお相手をする男の人は、みんな意地悪だ。そうでないと、商売に、ならない。私、知ってる」
「ごめんごめん、俺ちゃんが悪かったって」
 抱き寄せるようにして頭を撫でる。指通りのいいさらさらの髪。ニクスは、更に、少しだけきつく俺を抱きしめる。
「……で、ニクスちゃんは今日は何をご所望かな?」
「……ううん、なんだろう、わからない」
 何を、というのは。そんな、いくつも選択肢がある訳じゃない。性行為をするか、しないか。おおよそその二択だ。一度目は、挿入は、久しぶりだから控えて、と。気持ちよくして。そんな依頼だった。その次は、話して終わった。カウンセリングじみた、こと。
 結局、最初に決めた決定に必ずしも従って動く訳ではないのだけれど。彼女の気が乗れば、よくしてやるし、ならなければ、他愛ないことを話し合い、手を握り、たまに、泣く彼女。それを、頭を撫で、抱きしめ、落ち着かせる。
 ニクスが求めているものは、性的快楽とか、そういうものではないだろうというのは、2度目で感付いた。性行為は二の次で、ただ傍に寄り愛してくれる存在を、探しているのでは。そう思った。現状はぺらぺらと喋るが、過去のことはあまり話さないから。
「とにかく、話を、しよう。ウォリックさん」
「ん」
「今日の朝、なに食べた?」
「オムレツと、サラダ」
「普通、だね」
「そーね。ニクスちゃんは?」
「何も食べてない。おみやげ、作ってたら、食べるの、忘れた」
 おみやげとは、ブールドネージュ。
「食事って忘れるもんかな、普通……俺ちゃんのためにおみやげ作ってくれるのはいいけど、自分のことも優先しなきゃ」
 そう言えば、ふてくされたように言う。
「……そう、ですね。でも、難しいよ、それは」
「まだ、難しいかー」
「……うん。誰も助けてくれない」
 言ってから、はっと顔を上げる。
「ち、ちがう、あの……ウォリックさ……あ、えっと、その、え、そゆ、意味じゃ、あー、の」
 あわてふためいて、視線があっちこっち泳ぐ。たまに、こう、なるのだ。考えを、ひとつにまとめきれないのだろう。
「はいはい、落ち着いて。ゆっくり喋って?」
 ゆっくり背中をさすって、呼吸のリズムを指示する。ゆっくり吸って、吐いて。
「……はぁ、はぁ。えっと、誰も助けてくれないっていうのは、別にウォリックさんに、言ったつもりじゃなくて、独り言みたいな、もんで」
「うん」
「ただ、お金払って来てもらってるだけなのに、私のことなんか、その、知るかよって思うと、思うんですけど、それはわかって、て。別に、ウォリックさんが、何もしてくれないとかそういう意味じゃ、ないって、ことで」
「……知ってるよ、大丈夫」
 気を遣いすぎているのかもしれない。必要のない心配まで、してる。それで、余計に辛いところもあるのだろうな。ぼんやりそう思う。
「こんな言い方も、変ですけど、ウォリックさんに、何も、その、報酬以上の期待は、してないで、すよ。私。されたって、困るだろうし」
 その発言は、返答に困るなあ。これで、上手く濁せるといいのだけれど。
「……ニクスちゃん、複雑に考えすぎよ?」
 冷たくあたるつもりはこれっぽっちもないが、誤解されないように、いつも以上に優しさを含ませて伝える。
「……俺がせっかく来たんだからさ、もっと楽しいこと考えようよ」
「……はい」
 ニクスの手が、するりと太股に伸びてくる。
「今日は、お願いしても、いいですか」
「ん、体調は大丈夫なの?」
「はい、多分」
「じゃあ、ゆっくり横になって」
 言う通りにするニクスをゆっくり組み敷いて、顔にかかった前髪をそっとはらう。露になったその顔は、痩せすぎているせいで頬骨が少々目立ち、綺麗とは言い難かったが、きちんとすればそれなりに美しいはずなのに。そう思わせる。あと、特に。
「目、大きいね。いつも思ってた」
「だから、何です」
「綺麗なのになって。前髪、切るか、いつもあげてたらいいのに」
 奥の深い瑠璃色。
「ウォリックさんのが、綺麗な、くせに」
 ぺちり、とニクスの手が頬を軽く叩いて、撫でる。
「羨ましい」
「どして?」
「ウォリックさんは、美しい、から。私は、美しくない、から。だからこんなにも寂しい」
 手の力を抜いて、どさりとベットに落として、目を細めて言う。
「美しく、なれな、いんだ。私は」
「……それは、ニクスちゃんが、自分の美しさに気付いてないだけだと思うけどなあ」
「違うよ、私はもう、このまま、ずっと、も……んっ」
 薄い唇を、唇で塞いでやる。
「もう、そんなこと言わないの。ニクスちゃん」
「だ、だって……」
「うだうだ言わない。言うなら、きもちいいことは次回にして、ちゃんとお話、聞くけど?」
 考えるように、しばし目を瞑ってから、呟く。
「……ごめんなさい。私を、愛して」
「いいこ」
 ゆっくり唇を重ね、熱く舌を絡めて、同時に腰をそうっと撫でれば、身をよじる。
「んっ、ん」
「ニクスちゃん、声かわいい」
 あまり積極的ではない舌を、少し強引にリードする。漏れる吐息は、色っぽい。
 唇を離してやると、ああ、と声が漏れた。
「やだ、やだ、あの」
 てのひらで、顔を隠して。
「……やめるの?」
「ちが、やる、やりま、す、けど……」
「なに?」
「恥ずかしい」
 ちらりと覗く目は潤んでいた。
「何回やっても、慣れない」
「なにそれ、かーわいい」
 確かにいつも、ぎこちない。口癖のようにいやと言うし、それなりに真面目に嫌がっているように見えることもあった。行為を楽しめていないように見える。
 いくらよくしようとしたって、相手のこころが拒否していたら、それは受け取ってもらえない。
「ニクスちゃん、自分で、脱げる?」
 以前、脱がされるのは苦手だと聞いた。内面さえ暴かれそうで、怖いのだそう。それ以来、彼女の服を脱がすことはしていない。
「恥ずかしいけど、自分で、脱げます」
 言うや否や、着ていたワンピースのように長いタンクトップの裾をたくし上げ、横になりながらも、もぞもぞと動き器用に脱いで、くしゃりと枕元にまとめる。
「こ、これで、いいですか」
 デコルテの骨の浮いた上半身が露になる。ブラジャーもしていない。これは単なる手抜きなのか、諦めなのか。優しく包んでやることすら少し難しい脂肪のない胸。
 肋も、腰骨も、骨のかたちが、わかってしまう。黒のショーツから伸びる長い脚は今にも折れてしまいそうで。
「ニクスちゃん、ちょっと、痩せた?」
「ええ、まあ」
「体重、いくつよ」
「32キロくらい」
 身長は、見たところ140センチ後半くらい。さすがに、まずいだろう。健康的でない。
「……自分で作ったお菓子とか、自分で食わねーの?」
「うん、自分で食べるために作ることは、ない。それより」
 両手が頬を包み、そうっと彼女の顔に寄せられる。
「えっち、してくれませんか。こんな、貧相な私だけど」










 情事を終え、服を着せてやって、二人、はじめのようにベッドに座る。
「おつかれちゃん」
「はい、ありがとうございました、その、き、気持ちよかったです」
「そりゃあ、良かった。ニクスちゃんも、もっと緊張が解れたらいいね」
 克服したいといったニュアンスの言葉は今まで感じ取れなかったから、このままでも、良いと彼女は思っているかもしれない。
「そうですね、でも、無理かな。恥ずかしい」
 すっと手を伸ばし、手に触れ、指を絡める。互いに、目線は合わせない。
「えっと、おみやげとお金、持ってきますね」
 離れた手。ぺたぺたとキッチンへ向かい、ものを抱えてすぐに戻ってきた。
「これが、おみやげ」
 差し出した小さな箱。それを受けとる。
「あんがと。これ俺ちゃん大好き」
 その言葉にはにかんで、次を差し出す。
「これが、今日のありがとう料」
 渡されたのは、ありふれたクラフト紙などの封筒ではなく、真っ白な柄つきの封筒。真ん中に、リボンが結ばれているような印刷がされたデザインのもの。
「なにこれ、洒落てんね」
「こないだ、売ってたの見かけて。アジアの方の国の人が使う、ものなんですって。確か、ゴシューギ、なんとか。お祝いとかのお金を入れるんだって、教えてもらった」
「へえ……可愛い。次もこれでお願いね」
「わかりました。……中身、確認してくださいね」
 じゃあ、と中身を軽く確認。
「あい、毎度あり」
「じゃあ、お見送りします。玄関まで」
 手をとり、さほど距離のない玄関まで、手をひかれる。重い音のする鍵をがしゃんと捻って、よいせと扉を開ける。
「それでは、今日は、ありがとうございました」
「ん、じゃーね、ニクスちゃん」
 くしゃくしゃと頭を撫でれば、控えめたけれど、くすぐったそうに、笑った。
「また呼んでよ? コレ、食べたいし」
 そう言い先程受け取った箱を軽く振る。
「ええ、勿論。じゃあね、ウォリックさん。さようなら」
「うん、またね」
 背を向け、ゆっくり階段を下りていけば背後で扉が閉まり、先程と同じくがしゃんと鍵がかかる音。
 いつも、別れ際に食い違う。彼女は必ず「さようなら」と言う。客商売だから、俺は迷わず「またね」と言う。いつ、実際にその言葉の食い違いが目に見えるようになるのか。
 アパートを出たところで、早速、箱にかけられたリボンを解いて、蓋をあけて、ブールドネージュを一粒口に放る。この甘さ、やみつきになる。店にでも並んでいればいいのに。
 これを食べたいが為に。それくらいの、繋がりを望むくらいで、いいだろう。きっと。

20170705



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