普段はほとんど汗の臭いしかしない城の中に、ふんわりと甘い砂糖の香りが混ざる。だが、甘い香りに包まれても、ギュンターの表情はいつも通り固いまま。作り始める前に、フォンダンショコラにするか、チーズケーキにするか迷ったが、結局フォンダンショコラを焼いてみた。焼き上がるのを気長にまって、とうとう甘い香りがそこら中に広がった。オーブンから出して、少し粉砂糖をかけたら完成。ティーセットが用意してあるワゴンに乗せたら、主の部屋までゆっくりと歩く。
主の部屋の前で、二度扉を叩いた。きっと主は気配で自分が来たことが分かっているであろうが、一応形だけはしておく。それを肯定するように、名前も聞かれずに、入れ、という返事があった。

「失礼致します。お茶の準備が出来ました」
「待ってたぞ!」

主はギュンターを見るなり、にやにやと笑いながら、机の上に広げた地図と駒を片付ける。よほど、楽しみにしていたようだと思われた。ギュンターは浅く一礼をして、主の部屋に入る。

「ギュンターも一緒に食べるよな」

拒否出来ない口調で言われて、ギュンターはこっくりと頷いた。

「レイン様がそう仰られるなら」

決まりだな、とレインは嬉しそうに微笑む。ギュンターはそれに小さく礼をしてから、お茶の準備を始めた。ポットからカップに紅茶を注ぐ。ファヌージュ産の紅茶は主のお気に入りだ。琥珀色の紅茶を注いだら、次はフォンダンショコラを並べる。微妙なズレを直してから、主の座る椅子を引いた。

「どうぞ、お掛けください」
「うむ。いつも思うが、本当に何でも出来るな」
「そう言っていただけると、嬉しいです」

本当に嬉しいと思っているのか、と思うほど変わらない表情だが、レインには分かっているらしく、満足そうに微笑む。ギュンターは主の笑顔を見てから、自分も向かいの席に腰をかけた。

「フォンダンショコラか。優雅な午後にはぴったりだな」
「私が勝手に決めてしまいましたが、よろしかったのでしょうか」
「美味けりゃ何でもいい!」

そう高らかに宣言したレインは、フォークでフォンダンショコラを一切れ刺した。口に運んで、咀嚼してから一言。

「美味い」
「ありがとうございます」

ギュンターは少しだけ微笑む。その笑みを見たレインはフォークを置いて、腕をくんだ。

「ほんとなー、お前もったいないよなー」

普段のむっつり顔に戻ったギュンターは、首を少し傾げる。

「せっかく、綺麗な顔してるんだから、もっと表情豊かにすればいいんだよ」
「それは、レイン様の命令でも従いかねます」

ギュンターはぼそっと返して、自らもフォンダンショコラを口に運ぶ。まあまあの出来映えだが、少々甘過ぎる気がした。

「私が姫王のように美しかったなら、表情を豊かにすべきでしょう。しかし、私は……」
「何言ってんだ?」

言いかけたギュンターに、レインが即座に突っ込む。その声は、いつもよりトーンダウンしていた。

「ギュンター」

名前を呼ばれて顔を上げる。主に手招きをされて、ギュンターは迷いなく席から立ち上がった。

「何でしょう、レイン様」
「シェルファは、確かに綺麗だ。彼女に匹敵する美少女は見つからんだろうな」

レインの言葉にギュンターはこくりと頷く。そこまで姫王を賛美して、主が何を言いたいのかが、理解できない。ギュンターの眉間のシワが深くなる。

「でもな、ギュンター。お前は、何だって出来るだろう? 顔立ちだって綺麗だが、その美しさに、さらにそんなもんが付け足されるんだ。表情豊かになんてしてみろ、男も女も寄ってくるぞ」

鼻高々に言ったレインは、大きめに切られたフォンダンショコラを、口いっぱいに頬張った。もぐもぐと口を動かしながら、腕を伸ばして、ギュンターの肩を叩く。

「人と比べるものじゃないものもある。美しさがいい例だ。俺からしたら、お前は十分美しいさ。俺のもんだって主張しておかないと、すぐに誰かにさらわれるだろうな」

ギュンターは一瞬だけ、きょとんとしたような表情を浮かべてから、わずかに口角を上げた。

「これだから、俺はお前から離れられないんだよなー。おいで、ギュンター」

立ち上がって、両手を大きく広げたのは、主の胸に飛び込んで来い、のサイン。ギュンターは一瞬躊躇ってから、そっと身体を主に委ねた。顔を上げると、レインの漆黒の瞳と間近で視線が絡む。

「俺は、ちゃんとお前を好きで居られているかな」
「ええ。もちろんです、レイン様」
「じゃあ、ギュンター。お前は?」

緑の瞳が揺らいだ。ギュンターはゆっくりと瞬きをして、レインを見つめ返した。

「お慕い、しております」

レインはその返事に満足したように頷く。ギュンターの頭を撫でると、その額にキスを落とした。

「ギュンター、愛してるよ」
「……レイン様」

甘く微笑んだレインに、ギュンターも少しだけ微笑む。レインはギュンターの唇に口付けた。それはフォンダンショコラよりも甘く、優しい、二人だけの秘密の時間。

「甘過ぎたな」

唇を離してから、レインがポツリと呟いた。

「申し訳ございません。次回は、砂糖を少なめにいたしますので」
「ほんっっと、お前は真面目過ぎるよ」

しゅんと目を伏せたギュンターに、レインは苦笑を浮かべる。こん、と額を弾いてやると、ギュンターが伏せた視線をあげた。その頬に、すかさずレインがキスをする。

「そんなとこが、好きだけどな」

小さな声で、そう言ったレインの表情はわからない。いつもの黒衣の背中が見えるだけ。椅子の背凭れをこちらに向けて、座ってしまった。主は照れているのであろう。ギュンターはそう思って、自分も向かいの椅子に座った。汗の臭いしかしない城の一角には、紅茶の香りだけが、柔らかく漂っている。




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