これにて終焉


「何故、涙を流すのですか。」

 薄い唇が、動く。溢れる涙を拭うわけでもなく、私はただただ流していた。頬を濡らす涙は塩っぱいがとても温かい。ぼたぼたと零れては地面に落ちる。薬売りさんはゆっくりと私の近くに来ると静かに膝を正した。そうして紅で縁取られた細く鋭い、しかし、何処か優しげな瞳に私を映して細める。

「物ノ怪とは、これほど哀しいものなのですね。」

 薬売りさんは表情を変えず、静かに私を見ている。私は止まる気配の無い涙を流しながら視線を離れた場所で俯く女に移した。私に合わせて薬売りさんも視線を移す。女は大きくなったお腹を慈しむように優しく擦っていた。その横顔は涙の跡を残している。
 この部屋は稚児の供養のためにあるものだと宿の女将は言った。結ばれることを夢見て体を売る女郎。遊客との間に授かる尊い命。しかし、稚児を身に宿せば客は取れず己の身に背負っている借金は返せない。ならばどうする。その命を壊すのか。それとも、命と共に…散るか。私は辺りを見回す。少し前に、小さな引出しが無数にあった。その一つひとつに壊された命があったのだ。母に抱かれぬまま、消えてしまった命があったのだ。それが座敷童子――物ノ怪になり、身重の女の前に現れた。
 産まれたかった。抱いて欲しかった。遊郭時代の稚児の想い。愛されて産まれるべき存在。薬売りさんが切る前に見えた、座敷童子の笑顔。それを想えばまた、涙が溢れ出す。涙と共に眼球も流れてしまいそうだ。

「物ノ怪とは恐ろしいものだと思うていました。」

 しかし物ノ怪を産み出しているのは命在るものではないのか。私達が抱く情念によって振り回されているのではないのか。私達のせいではないのか。すっかり色の変わった着物が流した涙の量を教えてくれる。ようやっと落ち着いてきた涙腺を押さえた。

「物ノ怪が、恐ろしいと考えてもおかしくはない。」

 滲む視界に手拭いと血色の悪い手のひらが映る。薬売りさんは私の頬に手拭いを当てて涙を拭き取っていった。人にしては低い体温だと感じる。器用にすくい上げていく薬売りさんは私の涙を吸った手拭いを懐に入れた。そして静かに立ち上がると、そのまま部屋から出ていってしまう。後を追わねばと、私も立ち上がった。

「早く、会いたいなあ。」

 女が、後ろでそう言った。振り向くと女がお腹を擦っている。その横顔は既に母親のそれであった。腕に提げている小さな人形が揺れるのを尻目に、私は先に行ってしまった薬売りさんの後を追ったのだった。

※座敷童子の回。
20180601編集
20120302執筆

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