思い通りにならんもんがあった方が、人生は楽しい。そう思う。人間ちゅうもんはすぐに神様だとか、時には魔法使いなんかに思いを馳せ、両手を合わせる。願い事が叶いますように。届きますように。俺には、その姿は、何や滑稽に映る。それは、俺の人生っちゅうもんがほぼ思い通りに進んできたから言えることやと思うんやけど。
 小さいころから、何でもこなせた。かけっこは一番やったし周りの誰よりも早く字がかけるようになった。自分自身の感覚ではよお分からんけど、外見も他人からの評価は悪ない。親友もおって人望もある。喜ばしいことや。せやけど同時につまらんことでもある。神様に祈るまでもなく、俺に叶わんことはなかった。
 せやから、テニスは好きやった。俺が思い通りにならんと数えられるほぼ唯一のものやから。一番になりたい。部活ん奴らと全国大会へ行きたい。やけど、それも神頼みなんかやなく、実力で奪い取りたい。努力は嫌いやなかった。掴み取るというそれが、爽快やったから。


「ゲームセット、ウオンバイ白石6-2」

 審判の声がコートに響き、俺は左手の包帯で汗を拭った。こういう時便利やねん。この毒手。拭いきれなかった汗の粒は、ユニフォームの裾で吸い取ると、ふと俺の目に、反対側のコートで同じように汗を拭う財前の姿が映った。あいつは眉間に皺を寄せ、ユニフォームで顔を押さえたままつっ立っとる。その姿が何というか人を寄せ付けないようなそんな雰囲気で、次に試合に入るんやろう奴らが困ったように顔を見合せとった。

「財前、コート、早よ退き」

 反対側からの俺の呼び掛けに気付いた財前は、その表情のまま俺の方を一瞥するとゆっくりとコートを出ていった。後輩らがお辞儀して礼を言うのを笑顔で返し、俺もその場を離れ、向かう。財前の元へと。



「財前」
「……何の用ですのん、部長」
「や、用はないねんけど財前が歩いてくの見えたからやな」
「そうですか」
「何や機嫌悪いなあ、財前」

 後ろ姿を追ってようやく行き着いたんは水飲み場。上向きに流れる水を顔に浴びせる財前に話しかけると、財前は先ほどと同じ目で俺の目を見る。不意に沸き上がる感情。名前はよく分からん。
 俺は、あえて挑発するように、笑顔で財前にそう言うた。

「別に。機嫌悪いわけやないっすわ」
「ほんま?それにしては眉間に皺寄っとるで」
「……元からこんなんや」
「へえ。……あ、せや財前。自分、知らん間に随分強なったなあ。正直焦ったわ」
「そんなん言いにきたんやったら、早よ行ってください。邪魔っすわ」

 財前はいつの間にか手に持っとったタオルで顔を隠すように覆っとった。「言葉には気いつけなさい」。俺がそう言うと、財前はふいと俺に背を向けてそのまま去っていこうとする。自然と、左腕が伸びた。

「……何スか。まだ何か用」
「かわええな」
「……は?」
「財前は、かわええ」
「な、に言っとるんすか。部長ほんまきもいわ」
「いかせへんよ」

 財前は俺の腕を振り払い逃げようとするが、俺はそれを許さない。さっきよりもその手に力を籠めると、財前の手首が白に変色した。財前は、顔を歪める。

「先輩の話は最後まで聞くもんやで、財前」
「……っ」
「……まあええわ」

 財前の歪んだ顔が、更に深い皺を刻む。俺が掴んだ手首の力を緩めても、財前はそれを振り払わない。力の抜けた腕が重力に従って、だらんと落ちた。
 ぞくぞくする。心臓の辺りがむず痒い。財前の歪んだ顔が、嫌悪感を剥き出しにする目が、生意気な言葉を紡ぐ口が、思い通りにならない君が、俺の中にある何かをかき乱す。全力で反抗してくるこの少年が欲しいと思い始めたのはいつだったかもう覚えていない。俺ってSやったんやなあ。なんて今さらなことを考えて、少し笑った。

「ええよ財前。俺、怒ってへんし財前のそういう態度も嫌いやないから」
「ぶちょ……、あんた何言うてんですか」
「……まだ」
「は……」
「まだ、分からんでええねん。せやから、財前はそのままでおってな」
「意味分からんやん……」
「せやから、分からんでええて言うてるやん」

 俺がそう言って笑めば、財前を纏っていた緊張が消えていくのが明らかに見えた。ほんま素直な奴。俺はつっ立ったままの財前の手を引いて歩きだす。財前の手に触れた瞬間、その手が一瞬だけ震えたのを感じて、また笑えてきた。

「財前」
「何スか」
「強くなったって言うたのはほんまやから」
「……それはどうも」
「かわいないなあ」
「……何やねん。クソッ」

 俺の数歩後ろで素直に手を引かれている財前。ああ、ほんまにかわええなあ。早く、早く、俺のもんにしてまいたい。
──せやけど、そんな簡単に落としてしもたらおもんないしなあ。ちゅうかあいつはそない簡単に落ちる奴とちゃうやろし。

「バイブルの腕が鳴るでえ」
「……部長、きもいっすわ」

 うん。やっぱ思い通りならん方がおもろいな。

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