休み時間になると、謙也は俺の方を向いて、肘も俺の机に乗っけて、くだらないことを喋る。俺が寝ていようがいまいがお構いなしに話すせいで、俺は休み時間に寝なくなった。相手が寝ているのに一方的に喋り続ける謙也の図がなんとなくかわいそうに思えたから。憐憫。哀れみ。同情。もちろん、謙也は俺がそんな気持ちで自分の話を聞いているなんて思わないだろう。
 ちょっと眠いけど、とりあえず謙也が世界史なんて消えてしまえと叫んでいるので、「世界史消えたら俺ら、過去のこと何もわからんくなるで」と適当になだめておく。世界史が消えるのは一向に構わないのだが、謙也が調子に乗るのは回避しなくちゃならないし、世界史が消えるだけで謙也の成績が上がることは目に見えている。ありえないことを少し真剣に考えている自分に気がついて、笑ってしまった。

「なあー」
「ん」
「窓際って、眠くならへん?」
「せやな」

 今だって眠い。けど。お前がわざわざこっちを向いて話し出すからやさしい俺はお前のために起きているんですよ、わかっていますか君は。こんなことを俺が心の中で呟いたって、謙也はのんきに「眠いなあ」とか言って、窓の外に視線を向ける。
「青いなあ」と、続けて言った謙也は、「テニス日和やんなあ」とさらに言った。うん、うん、うん。俺は全部に相槌を打って、窓の外を見ている謙也の横顔を見ることに集中する。俺からみたら、けっこう謙也もかっこいいと思うんだけど。やっぱりあれだ、俺が完璧すぎるから、いつも隣にいる謙也は目立たない、と。そういうわけだな、ほぼ間違いない。
 そういえば隣のクラスは次の授業が体育らしい。短距離のタイム計るんだろうな。廊下からがやがやと足音やら人声やら、いかにも喧騒って感じのざわめきが聞こえてくる。あ、と窓の外を見ていた謙也が立ち上がって、窓から身を乗り出した。なんとなく俺も、あ、って言って、謙也の隣に並んで立つ。勢いよく謙也が俺のほうを向いたせいで、金髪が顔に当たった。俺は地毛だからともかく、謙也は脱色を重ねての金色だから、髪はかなり傷んでいる。と、思う。それでもふんわりと見えるのは、謙也の髪質が元々猫っ毛だからだろうか。

「グラウンド、千歳おる!」
「あ、ほんまや」
「ちーとーせええええ!」
「ちょ、うっさいで」
「え、なにあいつ、なんで俺こんな手振っとんのに振り返さへんのあいつ」
「あんま手ェ振らんといてくれますか謙也くん。君の親友の肩にさっきから当たっとるんやけど」

 ていうか、お前気付け。千歳はこっち見てないからな。
 はあー、とため息をついている謙也はほっといて、俺はさっさと自分の席に戻った。数秒後、諦めた謙也もまた同じように座って、同じように俺の机に肘をつく。こいつ、この体勢が普通だって思っているんじゃないか。
 ちくしょー。そう呟いて、謙也は机を軽く叩いた。うん、だからこれ俺の。いや、まあ正確には俺が使わせてもらっている学校所有の机。振動で、机の上に準備していた数学の教科書がばさりと落ちた。拾え、謙也。心中で命じると、それに応えるかのように、すっと謙也が身をかがめて、教科書を拾った。今ちょっと感動した。軽く教科書をはたいて、それを俺の机に乗っける。また肘も乗っけてくるんだろうなという俺の予想は当たり、謙也の肘は再び俺の机の上に乗っけられて、これが定位置なんですと言わんばかりだ。

「小学生んときはな、休み時間が5分って少ないなー思うてたんやけど」
「ああ、それわかるわ」
「けど、中学生になると、10分って多いわーって。なんか知らんけど」
「たしかに、長いなあ」
「着替えとか移動時間とか考えて10分なんはわかるんや、けど、こうやってずっと教室から出えへんと、時間めっちゃ余ってまうわ」

 謙也の言っていることは、大抵アホっぽくて、たまに真面目で、ごくごく稀に、大正解だったりする。今日は大正解。休み時間が中途半端に長いと、どうしてもだらけてしまう。ブレイクタイムが長すぎるのも考えものだと思う。

「ちゅうかさ、俺前から思ってんけど」
「何が?」

 教室を見渡していた謙也が、俺を見る。べつに言わなくたって、訊かなくたっていいことなんだけど。でも、どうせまだ5分くらい残ってるし。前からずっと気になっていたことをこの際訊いてしまおうと思った。眠気がほんの少し、俺の滑舌を悪くする。眠気だけのせいだと思いたくて、俺はわざとらしく欠伸をしてから、言った。

「お前、なんで陸上部に入らへんの?」

 べつに、どうでもいいんですよ。
 ただ、なんとなく、暇つぶしに訊いているんですよ。
 そんな空気が出ていればいい。

「んー……なんでやろ」
「勧誘、今でもされとるやん」
「そら、俺のこの脚力は惜しいに決まっとるわ」

 だったら、なんで。
 謙也の足の速さは誰もが知っていることで、実際、めちゃくちゃ速い。ありえへんってくらい速い。正直言って、こいつはテニスより陸上やったほうがいいと思う。才能の無駄遣い、とまではいかないにしても。颯爽と走る謙也は、どう見たって、陸上に向いている人間だった。

「どうせ、テニスやったら俺がおるし、一番にはなれへんのに」
「黙れや。見てろ、今度こそ負かしたるからな!」
「無理や無理。お前、無駄ありすぎやし」

 それこそ、あの無駄の無い走りは、陸上の世界で一番を目指せると思うのだけれど、そこまで言ってやるとまたこいつは調子に乗り出すだろうから言わない。
 と、思ったら。謙也が何かに気づいたようにまじまじを俺を見つめている。なんだ、と思った。

「あー、わかった」
「何がやねん」
「陸上やらん理由」
「え、いまさら?」

 謙也の肘が、机から落ちる。落ちるというよりも、ずれて、そのまま、謙也の椅子の背もたれに乗っかる。

「おらへんやろ」
「は?」
「せやから、白石」
「いや、うん、まあ俺はおらんけど」
「つまらん」

 俺がきょとんとしたせいか、謙也はしっかりと俺を見て、「おもんない」と言った。いや、だから。聞こえてる。聞こえてるから。
 十分すぎるくらい聞こえてる。

「……眠いなあ、謙也」
「窓際やからなー」
「ほんま、眠いわ」
「白石、もうちょいでセンセ来るで」

 自分の両腕に顔を埋める。眠気が急に襲ってきた、なんて、ことはない。
 べつに。謙也が馬鹿正直なのは今に始まったことじゃないし、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい素直だってことも、今知ったことじゃない。
 ちゅうか、俺がおらんかったとしても、お前はテニス部におるやろが。そう思ったけどやっぱり、口に出してから謙也が肯定したらそれはそれで嫌になるだろうから。

「センセ来たら、起こしてや」
「おー、ええで」

 とりあえず、冷静になるためにも、僕は寝ることにします。


0505