天界に戻った後は、気になって蔵ノ介を探してみたんやけど、全然見つからんからやめた。こういう経験は今までも数回あって、蔵ノ介が俺と会いたないってときは、ほんまに会えん。俺の目の届かんどっかに行ってまうから。
 けど、確かにあの声は蔵ノ介のもんやったと思う。俺が聞き間違えるなんありえへんし、そもそも声やなくて、波動に近いんや。光は知らんって言うとったし、幻聴やったんかなあ。あの場で、蔵ノ介が俺に言いたくないこと――やっぱり、光が言うとった死神は、あいつなんやろか。俺の知っとる蔵ノ介は、確かに気分屋なとこもあるし、けっこうわがままになったりもする。せやけど、俺みたいに人間に情けなんかけへんし、仕事は忠実に、完璧にこなすやつや。いくら光の霊力が強くて、そんで蔵ノ介の機嫌も良かったからといって、見逃すようなやつやない。
 わからんことばっかで、けど俺が動けるような問題でもない。困った。俺は、いつまで光とおったらええんかな。俺が一方的に光を構っとるだけやけど、それであいつを守った気になっとるだけやけど、ええんやろか。だって、光はほんまは生きとったらあかん人間なんや。俺は、それを捻じ曲げとるんやないかな。死神は神やけど、ほんまの神やない。神のぎょうさんある仕事の末端を任されただけの存在や。神が創った世界の掟を無理やり変えたらあかんねん。
 あかんって、ちゃんとわかってんねんけどなあ。

「けーんやー」

 呼ばれたから振り向いたら、そこにはオサムちゃんがおった。久しぶりに見た気がする。

「オサムちゃん、今までどないしてん!」
「んー、ちょお下界に行ってなあ、とある人間と交渉してきたんや」

 オサムちゃんは笑って「せや、お前昇格したんやろ」と続けた。首を振ると、オサムちゃんは不思議そうな顔をした。

「蹴った。俺、下界好きやから」
「はっは、まあなあ! 下界はええよな、うまいもんあるし、酒飲めるし」
「せやろー、蔵ノ介は好かん言うてんねんけどな」
「ああ、あいつはしゃあないで。下界に馴染みがないんやから」

 は、と思った。意味わからん。オサムちゃんはそのままの調子で言う。

「蔵ノ介の魂は、ガキんときに死んだせいもあってあないに強いんや。せやから、下界の記憶なんほとんどあらへんと思うで」

 お前はけっこうええ人生送っとったと思うけどな、とオサムちゃんはまとめて、ほな、と行ってしまった。
 聞いとらんって。そないな、話。
 俺ら死神は、生前の記憶っちゅうんが曖昧や。けど、それなりに楽しかった思い出とかは残っとったりする。俺は、自分がスポーツやっとったって記憶があるし、足もかなり速かったっちゅう覚えがある。今でも名残かなんかは知らんけど、スピードやったら天界でも指折りやって思う。天界でスピードなんいらへんねけど。
 で、俺と蔵ノ介は気づいたら一緒におったから。当然、そういう「昔」の話もようしとった。せやけど、あいつかてちゃんと話してくれたんや。俺も走るん好きやった気する、謙也と同じやな。そんな感じのこと。ほんまに。ガキって、いつやねん。俺は、少なくとも三十路手前で死んだって書類には書いとったし、実際そんな気がする。けど、蔵ノ介の書類も同じく三十路手前って書いとったはずなんや。俺らふたりでこっそり、オサムちゃんが遊んどる間に盗み見したんやもん。
 俺は、本当の蔵ノ介なんひとつも知らんのかもしれん。今の今まで、あいつも俺と同じような人生送ってたんやって思うてたし、オサムちゃんに聞かんかったらずっとそう思い込んどった。なんで、蔵ノ介は俺に黙ってたんやろ。言いたくなかったんか。俺に。
 急に、蔵ノ介のことが信じられんくなった。同時に、これから俺はどうやってあいつに接するべきか、悩んだ。俺が知っている蔵ノ介は、蔵ノ介がつくった虚像かもしれない。そう思いたくないのに、思ってしまう。俺は蔵ノ介を親友やって思うとったけど、あっちはただの同期、下積み時代
一緒におったレベルも低いやつ、くらいにしか思うとらんかったら、俺泣くで。いやほんまに泣くわ。
 どうすればええんかなあ。何も知らん振りするんがいっちゃんええ気もする。ちょうど蔵ノ介も俺に会いたないみたいやから。



「死神と悪魔って、何が違うん?」

 光は思いついたように言う。せやなあ、と俺は考える。

「サタン、っていう悪魔のボスみたいなんがおって。そいつに忠誠誓っとるんが悪魔でな、俺ら死神は誰にも縛られんし、自由っちゃ自由やな」

 正確に言えば、俺らの言動は偉い神が監視しとるけど。それは万物に対して言えることで、下界における重力みたいな扱いや。

「サタン?」

 光は、興味がわいたらしく身を乗り出して訊ねてくる。こいつがほんまに乗ってくるんは珍しいから、俺もよう知らんサタンのことを一生懸命思い出した。

「まあ簡単に言うと、神に敵対するもの、っちゅうこっちゃ。神ほど強くないねんけど、死神よりは強いんやないかな。元々は天使の中でも一番偉かった、って話やで」
「堕ちたんか、そのサタンって」
「いや、堕ちたんやないんやって。神の意向やって聞いたわ」
「……つまり、カミサマはわざわざ敵んなる相手を決めたんすか」

 ややこしいわあ、と光はまた身をいすに沈めて呟く。こいつの「カミサマ」って言葉には、どことなく棘が含まれとる気がする。俺は神に対して何の感情も持っとらん。俺を創ったんは神やけど、それ以上に何を考えればええんかわからへん。会うたことないねん。魂だけ――ようするに、転生の瞬間は神を拝めるんやと思う。
 神どころか魔王にすら会うたことのない俺には関係あらへん話や。

「そのサタンって、どないな風貌してはるん?」

 光はそれでも気になるみたいで、やけにしつこかった。俺は会うたこともない、せやけど話で聞いたことはあるサタンの姿かたちをなんとか思い起こす。わからんけど。

「あんな、俺ら死神は一応神やから、色素が薄いやつほど強いんや。けど、サタンみたいなんは逆で、黒ければ黒いほどええねん」
「はあ」
「サタンはめっちゃ黒いらしいんやけど、めっちゃ美形やって聞いたなあ」

 天界で上位のやつは大抵見目麗しく、とかいう形容詞がどっさりついてきよるような連中ばっかりや。ふと、光が死神んなったらけっこう上位、蔵ノ介みたいなんになれるんやないかなって考えたらなんとなく嬉しくなった。知り合いが能力を認められてのし上がっていく、そういうのが、俺はけっこう好きみたいで。
 俺かてそら上に行きたいっちゅう気持ちもあんねんけど、俺よりもっとしっかりしたやつもおるし、下界好きやし、まだ光やって生きとるし。

「黒くて、美形……」
「まさか、会うたことあるんか?」

 複雑そうな顔をして考え込んだ光に、冗談半分で言葉を投げた。情報が少なすぎるんですわ、と光は軽いため息と吐き出しながら答える。

「え、なに、お前ほんまに悪魔とかにも会うたん」
「さあ?」

 悪魔は俺らと同じくらい下界をうろついとる。魂を獲るために。まあ、俺らと仕事みたいなんは似とるけど、あっちは強行するんが趣味みたいなもんやから。相容れない間柄っちゅうやつかもしれん。知り合いにひとり、けっこう上位の悪魔がおるけど、あいつ今頃なにしてんのねやろか。
 ただ、悪魔に会うた人間は、イコールで契約済みっちゅうことになる。魂の売却、それが人間と悪魔との間で交わされる契約や。人間は死なない代わりに、永久的に魂を契約した悪魔に渡す。せやから、いずれは悪魔化してまうんや。ああ、けど、光が悪魔になったら、最初っから相当強い悪魔になれそうやな。髪の色も目の色も、びっくりするくらい真っ黒やから。
 光はよう誤魔化す。俺に言いたくないことがあるんは当たり前やからべつに気にせんけど、蔵ノ介の一件もあるから、俺はどれが本当でどれが嘘なんかわからへん。俺は自分で思っとる以上にアホなんやと思う。見抜けへんもん。きっと、俺は騙されやすい。

「謙也さんは、いつ俺の前から消えるんですか」

 光が唐突に、俺を見つめて切り出した。

「消えてほしいんやったら、今すぐでもええけど」

 俺は単調に返す。短い間やったなあ、なんて思う。人間とここまで仲良くできたっちゅうんは、今までもこれからもないやろな。ええ経験さしてもろたわ。そう考えて、なんやちょっと寂しくなった。

「いや、そうやなくて。例えば、アンタがずっと俺に会いにきとる間は死なんわけでしょ。したら、俺はどんくらい生きるんやろうって思うたんですわ」
「あー、せやなあ。俺は消滅せんかぎり、なんぼでも来たるで」
「……そら、どうも」

 光が、泣いているような笑っているような、そんな顔をした。からんとコップの中の氷が融ける。ああ、まだノルマ一人も獲っとらん、とちょっと考える。最近、ノルマを達成する前に光に会うんが日課みたいになっとったから、俺の仕事の業績も下がってきとる気がする。このままやとあかんなあ、そう思うのに、やめられへん。
 そろそろ行くわ、と言って、珍しく俺から先に店を出る。ほなまた、と光が返してくれたんが嬉しかった。また、会いにきてもええんやなあって思う。そういや、まだ光にユウジと小春の漫才見せてないなあ。見せたいわ。まずそのまえにノルマやな、今日は六人やっけ。
 そんなことを考えながら、俺は実体化をやめて魂を探す。そんとき、ひとりの人間が目に付いた。真っ白い、ちゅうか銀かな、そんな感じの色の長髪を無造作に軽く結わえとる。色素は薄い。けど、よう見たら人間やなかった。悪魔やった。最近の悪魔は巧妙に人間化するんやなあ、なんて思いながら俺はそいつをすぐに忘れた。
 せやからその悪魔が、俺の親友に化けた瞬間なんて、見えへんかった。