とある一族に伝わりし伝承
されど偽りか真かは、当事者にしか判らぬ噺
***
――こんな世など、壊れてしまえば良いのに。
時折、そう思う事があった。
或いは、これは単なる私の夢想かもしれない。
ほんとうのことは、きっともう、誰にも判らないだろう。
***
「十六夜。――少し出かけてくるよ。」
「は? こんな夜中に、どこ行くん?」
「少し、印が解けそうな処があるんだ。…危ないから、直ぐに済ませてくるよ。」
「…、ふぅん。――気ぃつけてな。」
「ああ。有難う。――直ぐに戻るから。」
「あんたが変に急いで、しんどそうに帰ってこられる方がめんどいわ。気にせんと行っといで。」
「…、そうかい。まぁ、行ってくるよ。」
「ああ。」
***
ざわざわと、木々が騒ぐ音がする。
妙に静かな晩だ。――村の喧騒も、少し遠くに聞こえるような気がする。
ごう、と強い風が吹く。
何故かその音にぞくりとした気がした。
何だろう? こんなにも静かなのに、妙に騒がしい。
怪訝に思って外へ出た。
外に出た私の目に映ったのは、村を焼き尽くす炎だった。
ざわざわと、何かが蠢く気配もする。
え…?
眼前の光景が、私には理解できない。
いや、混乱している場合ではない。
術が解けかかっていた奴が余程の奴だったのか? それとも――あいつが…やったのか?
ともあれ――あいつは無事だろうか?
不安に駆られ、大急ぎで村へと向かった。
ばつん、と何かにぶつかった。――結界か。
…私をも、入れないようにしている。…ということは。
――これは、あいつが意図してやっている。
ああ、とうとう燻っていた物が破裂したのか。
そう頭では理解できても、心は納得してくれなかった。
――あいつは、家を出たその足で、今まで封じてきた物怪たちの封印を解いたようだ。それも、一斉に。
その上で、村を結界で閉じた。だから、私にもすぐに感知できなかったのだろう。
並の術者なら、自身は結界の外にいるはずだ。
けれど、あいつなら、総ての物怪を掌握し、或いは統率しているだろう。――鬼を使うのが、上手い奴だから。
あいつが居そうな場所は――本家。村の一番奥だが、山を伝えばすぐに辿り着ける。
すぐにでも、向かわなければ。
見つけた。
「銀翅!!」――結界の向こうにも通じるよう、できるだけ、大きな声で叫んだ。
「…おや。」
「十六夜かい。…何だ、来てしまったのか。」
あいつは、全身を朱く染めた身体で、いつものように、やわらかく微笑んだ。
「…。あんた、何を、やっとるんや。」
その悍ましさに、思わずじろりと睨むように、見つめてしまう。
――あんたがこっちに来て、どないすんねん。
呆れるような、責めるような想いを、自身の内に留めた。
「この有様を見ても、分からないかい?」
その視線の鋭さにも怯むことなく、変わらず笑った。
「…………、そのガキは、何や。」
その手元をよくよく見ると、銀翅は赤子を抱いている。
「私の娘だよ。…妻の方は、騒いだので殺してしまったけれど。」
「あんたの、娘か…。」
あまりにも小さなそれを、まじまじと見つめた。――まだ、産まれてからそう経っていないだろう。
「兄たちに預けていた。…それを、返してもらっただけさ。」
「…、どうするつもりや。」
「…。この子だけは守らなければと思っていたけれど、この有様では、何から守ろうとしていたのか分からなくなってしまったねぇ。――それにしても、此処がこんなにも脆かったなんて知らなかったよ。」
少し遠くを見るような表情でくすくすと笑うと、大事そうに抱えたそれを、愛おしそうに撫でる。
「こんなに簡単なら、もっと早くに壊しておけば良かった。そうすれば、妻も此処に来る事なく、気を病む事もまた、なかった。最期には私に殺されるのだから、本当に気の毒な話だよ。」
「…。」
そう言うと、何かを悼むような表情を浮かべ、目を閉じて俯いた。
「…それで、山の神である君は、こんな小さな村に、一体何の用かな? ――否、もう村ではないか。」
「…。………」
「何と呼べばいいのかな? 炎の海? 屍の山? ――まぁ、何でもいいか。後で好きなように呼ばせてもらおう。」
「…ふざけてんのか?」
「いいや?」――だって、そうじゃないか。
「……………。」
この光景を創り出した張本人が、邪悪さの欠片もない、無邪気そのものの笑顔で笑う。
「此処に入りたいのかな? 村人を助けたい? もう殆ど燃えてしまっていると思うけれどね。ああ、それとも私が印を解いた物怪達を黙らせたいのかい? そうだろうねぇ、山まで騒がしくなられては、君にとって迷惑だからねぇ。けれど、心配は無用だよ。後で彼らは私がきちんと始末しておくから。君の手は煩わせないよ。」――もう君の手は、必要ない。
実に清々しい笑みを浮かべながらそう言うと、結界の際まで近づき、尚もこちらに微笑みかけてくる。
「…。結界を解け。」――私は、溜息と共にその言葉を吐き出した。
「え? 構わないけれど。――無駄だと思うけれどね。」
意外にもあっさりと、結界を解いた。
「…そんなに死にたいんか、あんた。」
ざくりと、其処に足を踏み入れる。並んで立ったが、ひどく遠くにいるように感じられた。
「うん? 今になって、それを聞くのかい?」
その問いに、苦笑気味に微笑む。――私はずっと死にたかったよ。とでも云うように。
――ああ。誰かのために生きることすら諦めてしまったのか。
可哀想に、と、或いは惜しむように、静かに目を伏せた。
「――、死か。最後に降りかかる、最も大きな業だね。…人の生には誰のものでも業が付き纏う。」
ふむ、と頷くようにすると、訥々と話し始めた。
「…村がこうなったのは、誰の業だと思う?」
「…、うちが、知るか。」
「そうだろう? そう、誰も悪くなんかないのさ。――けれど、村は滅びた。…生ある者は総て死ぬ、形の有る物はいつか壊れる。想いすらもね。…では、生まれて来る意味とは、いったい何なのだろうね?」
そう言い、銀翅は抱く赤子をちらと見た。
「…、ほう。」
咄嗟に、その腕から赤子を取り上げていた。――刹那、銀翅の腕を僅かに掠め、足元の地が大きく抉れた。
「…あんたは…まっさらなもんまで、消してしまうんか…!?」
守ろうとしたはずのものすら手に掛けようとした男は、己の身を削って尚も微笑んでいる。
「今は白くとも、いずれ業で黒く染まるよ。――自身の業でなくとも、誰かの業でね。」
――やれやれ。といった風に空いた腕を組み、やはり笑った。
「私も、或いはその一人なのだろうねぇ。」
その笑みを僅かにゆがめると、少し寂しそうに、ぽつりと云った。
「…。」
私は小さく舌打ちをする。――駄目だ。こいつは、壊れてしまった。
「おやおや。随分とこわい顔をするじゃないか。」
――そんなに可笑しな事を言ったかな? とでも言いそうな表情で、くすくす。と笑っている。
「…あんたは、えらい愉しそうやな。」
溜息を吐いて、最期の応えを吐き出す。
「――もう、楽になりや。」
「…。そうか。有難う。――こんな私を、それでも君は赦すのだね。」
男は、此方の言葉に驚いたような表情をすると、緋色の手を見つめ、すこし、疲れたように微笑んだ。
劫、と風が吹き抜けると、男の身は狐火によって忽ちのうちに灰になった。
燃え上がる焔を九つに別けると、それは優美にふわりと舞った。
そして、その幾つかを男の血を引く赤子に託し、残りを己のものとした。
…いつの間にか、村を灼く炎も、魑魅魍魎
――どこまでも、自業自得やな。
闇の中。かつての村の翳を見、月のない空を見上げた。
――何年先か知らんけど、次は、しあわせになりや。
満天の星の下、手元に抱く赤子を見つめ、だれかが溜息をひとつ零した。