こうして、銀翅は山に留まることとなりました。
十六夜の許しがあるとはいえ、本来ならば濫りに立ち入ってはならぬはずの山に留まっているのだからと、銀翅は山を見守るだけでなく村人達の困りごとをも聞きながら過ごす事にしました。
余り大層なことは出来ぬよと言いつつも、銀翅はその力で村人達の困りごとを次々と解決してゆきます。
十六夜はそれを傍らで淡々と見つめているのでした。
やがて、村人達の努力の甲斐あって、山からの水が村へと届きました。
少し前まで日照りに苦しんでいた多くの村人達は、これで次に日照りになっても大丈夫だと安堵の息を漏らすのでした。
「――明朝、此処を発つよ。」
「は? 何でそんな急に」
突然の申し出に、十六夜は目を丸くしました。
「少々長居をし過ぎた。…それだけのことさ。」
「ちょ…ちょい待ちや。せめて説明していき」
「何を?」
「何を…って」
「…。このままでは、私は此処に居ついてしまうよ。私が厭なのもあるが、…君としてもそれは避けたいことなのではなかったのかな?」
「…。」
「彼らは何かしら理由をつけて、私をこの地へ留めようとする。彼らに直に、去る、と告げれば、またあらゆる手を使って引き留めるだろう。…少々心苦しくはあるが――すべてに耳を傾けていては、きりがないからね。」
「…うちがええて言うてるんやから、おったらええのに…。」
「人の身でありながら神域に長く留まるというのは、あまりよいこととは言えないのだよ。…私にとっても、この地にとっても。」
「…あんたには――感謝しとるんや。あいつらを律してくれたんはあんたやからな。わざわざ追い出すような真似はせぇへん。」
「…。何か、思い違いをしていないかい?」
「?」
「私は、好きで流れ者をやっているんだ。――其方の方が、性に合っているんだよ。ひとつ処に留まるのは、どうにも落ち着かなくてね。」
「ふぅん…。」
十六夜は、何かを察したようにひとつ溜息をつくと、尚、理由を探しました。
やがて、妙案を思い付いた、とでもいうような表情で、十六夜は言います。
「ほなら、何かあった時に帰る場所を、此処にしたらどうや。」
「…やれやれ、そんなにも私がお気に召したのかい。困ったものだ…」
銀翅は、十六夜とは対照的に苦く笑うと、呆れたように肩を竦めるのでした。
「――私にとて郷はある。まぁ、此処も嫌いではないけれどもね。…時折訪ねるくらいはするようにしよう。」
そんな銀翅の言葉に十六夜ははっとしましたが、やがて、納得したような表情へと変わるのでした。
――そうだった。初めからこいつは、私や村の者達のことなど眼中にない。ただ己の為すべき事を見定め、こなし、淡々と流れゆくだけの者なのだ。
「気持ちは有難いけれど、あまり深入りはしないようにしているんだ。――今は未だ、修行の身だからね。」
「ほぅか…。」
十六夜は銀翅を引き止めることができぬと悟ると、懐より風車を取り出し、銀翅に手渡しました。
「…? これは?」
銀翅は変わらぬ笑みの中に、僅かに怪訝な表情を含ませて尚、十六夜に問いかけました。
「あんたの身を守ってくれるもんや。」
「ほう。…態々有難う。」
「ああ。――何かあったら、すぐに言うんやで。」
「…。」
銀翅は呆れたように笑います。
「善処しよう。」
それでも、恐らくはその言葉を受け入れ、やはり笑うのでした。
そして夜が明ける頃。
銀翅はひとり、山を降りてゆきます。
荷に挿した風車がからからと風に廻り、その心地良さに銀翅は山を偲びます。
――ああ、そういえば。何故月の名を、と問うた彼女への答えをせずに出てきてしまった。
しかし、先は長い。また遭うこともあるだろう、と、さして気に留めずに山を後にしました。
――私が離れなければ、彼女に伏した式もそのままだというのに。何故ああも私を傍に置きたがったのか。
――大方予想はつくが、危険に身を晒してまですることか?
――引き際を誤れば碌な事にはならない。あまり考えるのは止そう。
そう思い直し、銀翅は尚も歩みを進めました。
その選択に応えるかのように。――ちりん、と。
銀翅にとって、どこかで聞き覚えのある鈴の音が響きました。
銀翅は半ば反射的に身をかわします。
――間一髪、というところだったのでしょう。僅かな驚きを顔に浮かべて尚、銀翅は笑いました。
「おや、これはこれは。――スイじゃないか。…そうか、追いついてしまったのだね…」