第五話 畏怖

-himno-

「――という訳で、暫くこの地で世話になる事になった。宜しく頼む」
『…は、はい。承知致しました。…何か不自由があれば、どうぞ遠慮なく仰って下さい』
私の言葉に村の男は丁寧に返答したが、その眼には明らかな不信が窺えた。

――余り長居は出来そうにないな。そもそも神をあまり畏れていないのだから、無理もないか…。

「…、相変わらずやな、あいつら。」
「これでは、君も苦労するだろうね。」
去って行った男の背を見ながら、十六夜は如何にも不満げに呟いた。

まさか男も、私の隣に遣いがいるとは思うまい。――私から言わせれば、山の中なのだから何処に神の遣いが居てもおかしくないというのに。
それほどまでにこの地の信仰は、脆いものだった。十六夜が憤るのも無理はない。
「…今の時分、こんな村があるとはねぇ。」

「…? 外は、違うんか?」
何の気なしに呟くと、十六夜は怪訝な目を此方に向けた。

「ああ。私の見てきた処は、何処も神域を強く畏れていた。」
「…。何で、うちの山だけ…」

「さてね。私にも確かな事は解らない。…或いは今まで、私のような信仰を説く者が、この地にながく居なかったのかもしれないね。」
「…、信仰、っちゅうんは、誰かが言わんと出来んもんなんか?」

「…。雨が降れば水が増える。水が過ぎれば土をも超える。…だから、山崩れが起こる。」
「ああ。」
「その現象の源を、何故か彼らはさほど畏れていない。…何故だろうねぇ」
――やれやれと肩を竦めると、十六夜は片眉を吊り上げた。

「本来ならば…、見えない現象の源に、何らかの因果を人は視、それを敬い、畏れ、祀る。…解らぬ事象の果てに、神を創り出すんだ。――自らの心に呪をかけてね。」
「…? けど、そんなんなくても、うちらはおるで?」

「勿論。私の様に特殊な者にはそうだと解る。…けれど、それが解らぬ彼らにとっては、実際にその畏れを受け取ったものが居るのか居ないのかは、別の話だ。――とにかく、災いを(こうむ)りたくないから、どうか災いが起こりませんようにとなにかに願うんだ。」
「…。はぁ…。」――釈然としない面持ちではあったが、十六夜は一応頷いた。

「その結果、君のような遣いが願いを聞き、届ける。例えば供物を対価にしてね。」
「ああ、うん。」

「けれど、畏れが薄い処というのは、神を視ない。――土そのものが弱ければ、水が()つのは当然だというのに、それを()らぬままことを進める。…だから、障る。祟られてから、畏れる。」
「…。」

「――ひょっとして、彼らが此処に遣ってきてから、まだ日が浅いのではないかい?…勿論、数年という単位ではないだろうが。だから君は彼らを容認していないし、彼らもまだ神を視ていない。」
「ああ。…なるほど。」――思い付きで言っただけだったのだが、十六夜はそれで納得したらしい。

「勿論、村を造る以上、彼らも最低限の敬いは持っているだろう。…けれど、実際に場を侵される君たちはそれでは満足しない。――まだ、場が整っていないんだ。おそらく。」

「…場、か」
「ああ。」

「…これは、思いの外…時を要するかもしれないな」
果たして、場が整うまで居られるかどうか。――僅かに眉を顰め、尚も問いを変えつつ、答えを探した。
「――彼らが遣ってきた時の様子を覚えているかい?」

「うーん…。あんたらの感覚で例えるとするなら…」
何と言えば良いのかと悩む素振りを見せながら、十六夜は答えた。
「――気持ち良う寝てたら、あいつらがきた。ひどくしんどそうで、『ちょっと休ませてくれ』って言うから、追い出すんもかわいそうやし、ちっとくらいやったらと思って許した。…そしたら、いつの間にか居座ってて…」
「ふむ…。」

――出来るだけ音を立てぬよう息をつき、一呼吸を置いてから。
「恐らく彼らが移り住んできたその段階では、なにかへの敬いを説くための誰かがいたんだろう。…けれど、その敬いは何らかの理由で、上手く継承されずに、弱まってしまった――」
「ほぉ。…そういや、最初うちに話しかけてきた奴は、えらいじいさんやったような気ぃがするわ。」

「ふぅん。…恐らく…、元居た地から何らかの理由で出て行かざるを得なくなった者たちが、力尽きるようにこの地に降りたのだろう。――飽くまでも、私の推測だが。」
「…あん時、めっちゃ眠かったからな…。よぅ覚えてへんわ…」

私は、仮にとはいえ一応の答えを見つけ、安堵から思わず笑みを零す。そして、さらに尋ねた。
「――君は、気付いていたかな?」
「何に?」

「神とひととは、一方的な関係ではないんだよ。」
「へ?」

「例えば、神が祟り、人が畏れ、信仰が生まれたとする。――信仰された神は、彼らの敬いをよろこび、糧にするんだ。」
「…? 要するに、どういうことや?」

「君は、彼らの敬いのお陰で、その仮の姿を得ているという事さ」
「…??? ふぅん?」

「先程の君の話によると、彼らが来るまで君は気持ち良く眠っていたんだろう?」
「ああ。」

「眠るということは、すがたがないと云うことだ。」
「…? ああ、うん。動けへんし、見えへんし、聞こえへんな。」

「そうそう。…けれど、彼らの声を聞いて、姿を見て憐れに思い、考えて、許した。しかもその後は『いつの間にか彼らが居座っていた』んだろう? ――また眠っていたんじゃないのかい?」
「…。……………、そうかもな…。」

解ったような解らないような曖昧な頷きをする十六夜を見、己が――恐らく――難解な話をしてしまっていたことに漸く気付き、苦く笑った。
「…、難しい話だったかな?」

「いや。…なんとなく、わかった。」
やはり――というか、何処か頼りなく頷かれた。

「本当かい? ――それなら良かった。」
「うちがこうしてにんげんに化けれとるんは、あいつらのおかげでもある、ってことやろ?」
えぇと、と考える素振りをしつつも、強ち誤りでもない答えを返される。

私はその答えを概ね肯定し、頷いた。
「まぁ、そういうことだね。…君が本当はなんなのかは私の知った事ではないが、少なくとも君はその本来の枠を超えて、彼らと言葉を交わした。――だから、遣いなんだ。――或いは、君が此の山の神なんだ。」
「は?! …うちが…?」

「本来敬うべきは山そのものだから、私は君を『遣い』と呼んでいるし、君もそう自負していた。けれど、山への敬いがひとの姿を借りて(あらわ)れたのなら、その姿は山の化身とも云えるのだろうね。」
「…、はぁ〜…。」

「故に…私からすれば、君が本当は狐だろうが狸だろうが、はたまた別のなにかであろうが、ひとという姿を顕した以上は、狐でも狸でもなんでも良い、という事さ。――狐自体を敬えば、それは稲荷に通じるけれども。」
「…あんた、ややこしい事考えてんのやなぁ〜…」

「まぁ、これは私の持論。――きみが何であろうと、私は気にしないよ。」――他の者達はどうだか知らないが。
そう付け加え、苦みを含んだ笑みを向けた。

「単なる狐狸と視るのなら、君は『物怪』に過ぎない。けれども、それ以上だと視るのなら、君は『遣い』、或いは『神』だ。」
「…つまり、みる奴によって、馬鹿にされもするし、敬われもすると?」

「そう。…私は君を敬うべきだと判断した。故に君を侮ったことを詫びたし、君を殺さなかった。…もしも――君を殺していたら、この山はどうなっていたのかな。」
「…厭な想像はやめぇや。」

「――そうだね。止そう。…然れど、管理するもののいなくなった処が荒れ廃るのは必然。」
「…。」

「人の信仰さえあればいずれ神はうまれる。けれども、殺してしまえばその間、空白がうまれる。その空白の間に何が起こったとしても――不思議な話ではあるまい。」
「…あんたの間違いって、えらいことになるんやな。」

「そうとも。――普段は星を読んでいるだけで良いのだがねぇ。」
「…なんかそれ、めっちゃ暇そうに聞こえるな…。」

「おや、其れは心外だ。…詳しく聞きたいかい?」
星を読むと云う風変わりな生業に興味を持たれる事は稀である。
「…いや、おもしろそうやけど、やめとく。」
――興味があるのなら詳しく話そうかと一応尋ねてはみたが、何時もの通り断られてしまった。

「…まぁ、その方が良いよ。もっと長くなるしね。」
久しぶりに長く話してしまったなと苦笑しながらも、何処か愉快な気持ちで話を終えた。
「…。」――十六夜は、感心したような面持ちで俯きつつも、何故か眉根を寄せた。

「あ、そうそう。因みに、この事は他言無用だからね。」
「えっ」――長話に息を吐く暇もないのかと十六夜は驚き、顔を上げた。

そんな十六夜の様子に、驚かせて申し訳ないが、と言って尚、言葉を続ける。
「この手の(こと)は主上以外、門外不出なんだよ。…本来は、ね。」
「…ふ〜ん。」
私が云わずとも、もう手遅れだけれども。と笑うと、十六夜は此方に白い目を向けた。

「私のように口が軽いと、恐らく早死にするから気をつけるんだよ」
「…ほんなら、何でそれをうちに言うねん。あんた、死ぬ気なんか?」

半ば冗談で口にした言葉を実に素直に受け取る十六夜に、思わず声を立てて笑いそうになりながらも、どうにかそれを堪えた。
「…今すぐにという訳ではないし、その心算もないが…、いつ何時何が起こるかなんて、人間(わたしたち)には与り知れぬことだからさ。私のような者であってもね。」

己の生業を顧みても尚、道筋がすべて解ったことなど無かった。――きっと、これからも無いだろう。
「――本来話すべきではないことを話した。…さて、何が起こるかな。」

「…。妙な奴やな」――安堵か、或いは呆れたように息を吐く十六夜。
「――私は、己の与り知れぬことを恐れるのではなく、楽しみたいのさ。…それだけだよ。」

「ふうん…。」
私は静かに微笑みを向けたが、十六夜はどこか呆れたような眼差しのままだった。

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