銀翅の声を合図に目を開けると、がらんと開いていた筈の地には一軒の家が建っていた。
「…よし。まぁ、こんなもんやろ。」――我ながら上手く出来たと思う。
「…此処に、住めと?」
「せや。…中もちゃんと出来とるで」
そう言い、がらりと戸を開ける。
「…さては時折里へ下りて、悪戯でもしていたのかな?」――頻りに感心しつつ、どこか呆れたような笑顔を向けられた。
「まぁな。暇やったし。」
「…流れ者ひとりを住まわせる為に、こうもするのかい。」
「うちが『残ってくれ』てお願いしとるんやから、持て成しはせんとあかんやろ。」
「これはこれは。…君を軽んじていたのは、どうやら私の方らしい。――申し訳ない。」
「ええて。――あいつらと話付けてくれた上、終わりまで見ててくれるんやろ。…それに、さっきのは揶揄ったうちも悪い。…名もくれたし。」
――あ。
「…出来れば、うちにかけた術、もう解いてくれへんかなぁ…。」
「嗚呼、それなら…、私が此処を出る頃には、自然と消えているよ。」
「…それって、暫くはず〜っとこのままって事?」――まさかと思いながら、恐る恐るそう尋ねたが。
「本来その呪は、此方からの一方的なものでね。掛ける以上は対象を殺めてしまうものなんだ。…故に、もし解くのであれば、時の経過に任せるか、術者の力が遠く及ばぬようにするしかないのさ。」――残念ながら、どうやらそうらしい。
「はぁ…。それ、ほんまやんな? 嘘とちゃうよな?」
「無論。――折角の君の誠意を、態々仇とする心算は無いよ。」――念のために尋ねたが、あっさりと頷いた表情に、偽りは感じられなかった。
「そうか…。ほな、しゃあない。ちっとの辛抱や。」
「ああ。少々堪えておくれ。…尤も、今のところは使うつもりはないから、安心すると良い。」
「…それ、何の気休めにもなってへんけど…。」――まさに、真綿で首を絞められるような気持ちだ。
「そうかい? …まぁ、このまま何事も無ければ、君も安泰さ。」
「…。せやから、そんな心算あらへんって言うてるやん…。」
「ああ、そうだろうね。君のようなものが使う手にしては、あまりにも回りくどい。それでは、まるで人だ。」――その手はよく知っているとでも言いたげに、銀翅は苦く笑った。
「…。ほーか。ほんならええけど…。………うわぁ…」
「…? どうかしたかい?」
「いや、今やっと、どないなっとるんか分かった。」
傍の川辺に身を映し、ようやくどのような術がかけられたのかを理解する。――首周りにぐるりと、印が刻まれていた。
「ああ…、君は一応女の身だからねぇ。気になるようなら、私の手拭いで良ければ差し上げよう。」
「…、何かそれ、余計に自分の首を絞めるような気ぃする…。」――よもや、その手拭いにすら何か術がかけてあるのではないかと、密かに慄いた。
「ほう…。では、そのままで良いかい?」――その意味を察してか、どこか皮肉げに笑いながら銀翅は言う。
「…いやっ、貰うとく。」――術がかかっているか否かはともかく、無いよりはあった方が遥かに良い。機嫌を損ねないうちに、さっさと貰うことにした。
「解った。――どれ、こんなものかな。」
先程の遣り取りがあったにしてはどこかあっさりとした了承ののち、きゅっ、と首元に布が巻かれる。
「…おおきに」
「――似合っているよ。…と言った方が、女性は喜ぶのだろうねぇ」
「…それどういう意味や」
「はははは。まぁ、単なる戯言と思っておくれ」
銀翅の笑顔の意味が少し気になる。…が、私としては悪くないと思っているのだから、良しとしよう。
「気に入っていただけたようで何よりだ。」
「あんたの方こそ。」
「ああ。…ここまでの持て成しは、なかなか受けられるものではないからね。」
「そらぁそうや。うちを何やと思うてるんや。」
「いや、まったく。――竜宮に招かれた男のような気分だ。」
「海ちゃうけどな。」
「…ふ。くっくっく。」
――真面目に返したつもりなのだが、何故か大いに笑われてしまった。
「お招きに与り光栄だ。…我がつとめ、慎んで果たさせていただこう。」
「ああ。宜しゅう頼むわ」
恭しく礼拝した銀翅を前に、私は和かに微笑んだ。