季節は秋になった。
「銀翅さま、近頃あまりお見えにならないな…。」
「ああ…。」
銀翅が最後におれの家を訪ねたのは、冬の終わり頃のこと。
悠はそれ以来、時折銀翅を見かけることはあっても、話をしてはいないのだそうだ。その上、この頃は姿を見かけることも少なくなっているので、一層心配しているのだろう。
「…。銀翅さまはお元気そうか?」
「ああ。…特にこれといって、お変わりない様子だった。」
「そうか…。」
「…、どうかしたのか?」
「――最後に銀翅さまが家にお出でになったときのことだが…、何だか妙な予感がしてな。」
「妙な予感?」
「最後に御挨拶を申し上げたとき、いつものように微笑んでおられたが…、妙に寂しそうに見えてしまってな…。まるで、もう会うことも無いと言われたような気がして…。」
「…考えすぎだ。」
「ああ。わたしも、何を馬鹿なと思っていたんだが…。」
「…あのあとも、何度か村にお出でになっていただろう。」
「そうだが…。何故かあの笑みが、ひどく心に残っていてな。」
「…。――とりあえず、お変わりないから安心しろ」
「ああ。…有難う。」
「…お前、近頃元気がないと思っていたら、そんなことを気にしていたのか。」
「そんなこととはなんだ。――気にもするだろう。村に、関わるのだから。」
「…まぁ、そういうことにしておくか。」――僅かに照れたような悠の表情を、おれは見逃さなかった。
「…あまり、人をからかうな。」
「お前だって、普段から俺に似たようなことをしている癖に。」
「う…。」
おれよりほんの僅かに姉だからと、悠は時折おれをからかう。――悠は、すこしばつが悪そうな顔をした。
「これで相子だ。」――そう言って笑いかけると、
「…。まったく…。」――悠も、同じように笑った。
「――ところで、お前がこの頃山へ行かないのは、銀翅さまに止められているからか?」
「そうだ。――そろそろ季節が冬に変わる頃で、何かあってはいけないから、しばらく山には入るなと言われた。」
「そうか…。」
――はぁ、と息を吐く音がいやに響いた。
「…近頃、どうも妙な噂を耳にするものだから、気になってな。」
「ふうん。」――いつもの事だろう。と呆れる。
「どんな噂かは知らないが、よく飽きないな」
「…。そうか。お前は山に行っていたから、よく知らないのだな。」
「ん?」――いつもの噂ではないのか?
「銀翅さまが余り村にお出でにならないのを不満に思ってか、だれかが…お妾さまのことをわるく言っているのだ。」
「へえ?」――初耳だった。
「…『銀翅さまは、山に棲む狐に誑かされているのだ』とな。」
「…つまり、瑠璃さまが…狐だと?」
「ああ。…銀翅さまが修行のためと望まれての事だろうが、二人して山で暮らしておいでだから、そんな噂が立ったのだろう。」
「…。」
「…お前の様子から察するに、そういうわけではない様だな。」
――悠は、安堵の息を吐いて言った。
「もしそうだったらどうしたものかと思っていたが。違うようで、良かった。」
「…お前、…信じたのか。」
「信じたわけではない。――だが、お優しい銀翅さまのことだから、もし仮にお妾さまが狐であったとしても、気にも留められないのでは。と、思ってな…。」
「そうか…。」
――悠の言うことは尤もらしかった。
「…おれは、狐は見ていない。」
「銀翅さまに認められて山に通うお前が言うのなら、誤りはあるまい。」
「…。お前も、そう思ってしまうことがあるんだな。」
「不安に思うことなど、幾らでもある。」
――村長の娘で、村人たちと較べてあまり不自由を知らないはずの悠さえ、そう言う。
「わたしであってもそうなのだから、――村の皆はもっと不安に思っている筈だ。」
「……………。もし、そうだとしても…」
おれは、いかにも不安げに俯いた悠を見て、言った。
「銀翅さまが山にいる限りは、何事もないはずだ。」
「…。」
「濫りに山に入れば、山の神が怒るんだろう?」
「それは、そうだが…。」
「――銀翅さまは巫だから、山の神を祀るためにこそ、山に留まっておいでなんだ。…おれが山に入ることを許されたのは、玄鋼さまに認められたからだ。」
「ああ。」
「――玄鋼さまがおれの願いを認めたのは、山の神の許しを得たからだ。許しがあるからこそ、何もとがめを受けていない。許しを得ずに踏み入れば、おれだけでなく、村の皆に障りが出る。」
「そうだな。…そうだよな…。」
「…。また――禁が解ける頃には、その噂もなりを潜めるだろう。」
「…。」
――本当に、そうなればいいが。…互いに、そう願っていた。
「…おい。玄鋼さまが、何やら憂いておいでだそうだぞ。」
「本当か? ――何か凶兆でも出たのかも知んねぇな…」
「まさか…。吉兆を運んできた奴がいたろうが。」
「あいつは…、銀翅さまのとこで世話んなってるらしいからな…。」
「ああ、俺も、二人が一緒にいるのを見たことがある。」
「…でも、それをお認めになったのは玄鋼さまだろう?」
「…。いずれにせよ、玄鋼さまの力になって差し上げたいな。」
「ああ。いつも、世話になってるからな…。」
ひそひそと、そんな立ち話が聞こえる。
――銀翅とて、同じく村を想って、力を尽くしているのに。
山に住んでいるからというだけでこうも軽視されてしまうのかと、おれは悔しく思った。