数日経た後、葵が山を訪ねてきた。
「来たか、葵。」
『銀翅さま、瑠璃さま。おはようございます。』
「道中、何事も無かったかい?」
『はい、お蔭様で。』
「それは良かった。…早速だが、この山の洞に向かおうと思う。」
『洞ですか。――分かりました。』
「何をするかは…、まぁ、着いてからでいいだろう。――ということで瑠璃、昼頃になったら一度戻るから、それまでに何かあれば報せておくれ。」
「判った。…気ぃつけてな。」
『あの。もし荷があれば、おれが持ちます』
「ん? ――ああ、そうだね。そうしてもらおうか。」
――いつもの癖で式を出そうとして、ふと思い留まった。
「…君には少し重いかもしれないけれど、まぁ、これも修行のうちと思うといい。」
『はい。頑張ります。――!』
「…大丈夫かい?」――荷を持った葵に、そっと声をかける。
『だいじょうぶです。』――それに即答するくらいだから、余程重いのかもしれない。
想像より、重かった。――葵の様子からして、そう言わんとしているのが解る。
「……どうしても無理だと感じたら、すぐに言いなさい。――今日はじめたばかりなのだから、仮に何も出来ずとも気負うことはないよ。」
『………はい…!』
頼もしいようにも取れる威勢の良い返事に、私は頬を綻ばせた。
――毎日のようにそんな日々を過ごしているうち、葵は少しずつ力をつけていった。
病のことは既に知られているので、此方としても気持ちが楽なような、そんな思いがした。
葵は、私の出す式神を見て、大層驚いていた。
此方としては見せている心算はないのだけれど、君には才があるようだねと告げると、一層修行に励んでいった。
「――私が山を下りずとも、君が代わってくれるから、大層助かっているよ。暑いのに、済まないね。」
『…これくらいなら、いつでも仰ってください。』
――本家への文を預けただけの事なのだが、葵はとても嬉しそうな様子を見せた。
無論私も、態々式を作らずともよい分、他の事が出来るようになった。
「…ちっとでも楽んなって貰おうとしてんのに、こいつはその隙に他をしよるから、なぁ?」
――休んでもらわなければ何の意味もない、と十六夜は呆れた様子だった。
『…。』――全くです、と言わんばかりに、葵も頷いている。
「そんな事はないよ。お陰で、日のしごとが早く済むのだから」
『…本当ですか?』
「ああ、無論だとも」
『…ちゃんと、休んでくださいね。近頃はまだ暑いですから。』
「…。」
「大丈夫や。うちが見とるさかい。」
『…お願いします。』
「…やれやれ。二人して、そこまで気に病むことでもなかろうに…」
「…。」――じろり、と揃って、呆れたような視線を向けられた。
『…、おれはいいですが、瑠璃さまにあまり心配をかけない方が良いですよ』
「ああ。そうだね。――気を付けよう」――視線におされ、つい頷いてしまった。彼らといると、どうも調子が狂ってしまう…。
『…。では、おれはそろそろ失礼します。』
「有難う、お疲れさま。――また明日。気を付けてお帰り」
私がすこし苦笑しながらそう言うと、葵は頭を下げて、慣れた足取りで山をおりていった。
「十六夜は、彼をどう思う? 君の見立てに適っているかな?」
すべての用を終えてから、試しにそう尋ねてみる。
「――ああ、まぁな。」
相変わらず、どこか興味のなさそうな返事が返ってきた。
「良かった。」
どうやら今のところ、気に障ったところはないらしい。
「それより――無駄話しとる暇があったら、とっとと寝ぇや。」
「そうだね。…葵がくれた刻を、無駄にせぬ様に努めるとしよう。」
じろりと向けられた視線を受けて、とりあえず床に就いた。
――尤も、眠れるかどうかは別の話だけれど。
じっとりと身に纏わり付くような暑さの中。眼を閉じて、吹き抜ける風の音に耳を澄ました。