第九話 白の(はこ)

-vana-

おれは、銀翅と並んで途を歩きながら、なんと声をかけたものかと考えていた。
『…。』
銀翅はただ、黙っている。――まるで、何かを待ち望むように。

そうこうしているうちに、気づけば山のすぐそばまで来ていた。
『――見送り有難う。また近いうちにね』
とうとう、考える間すら使い切ってしまった。

「…あの、銀翅さま。」――結局、何を話すか決まらないまま、おれは声をかけた。
『何かな?』

「なぜあなたは、山で暮らしておられるのですか?」
『何故って――修行をするのに頃合いがいいからさ。本家には兄上もいらっしゃるし、それで手が足りているしね』
――意外にもあっさりと、答えを返してくれた。

「奥方様のことは、宜しいのですか。」
『ああ…。寧ろ私が家にいると、彼女にとって迷惑なくらいさ。気配りのできるお方だから。』
…何というか…、答えはしてくれるのだが、どこか違うような気がする。

「――銀翅さま。この身に誓って、決して他言はしませんから、どうかあなたのことを話してください」
『…? 今こうして話しているのは、違うのかい?』

「あなたは、周りのことしかお話しにならない。」
『…。』――彼がいつも浮かべていた笑みが、いつの間にか消えている。

――くれぐれも、失礼のないように。
朱鳥の言葉が蘇る。

けれど、銀翅ならば殊更、心ない噂話に胸を痛めているはずだ。
隠していることを――或いは隠さずにはおれぬことをおれに打ち明けることで、少しでも重荷を降ろしてやれたら。…そう思って、おれは続けて尋ねた。

「…病のこと、悠から聞きました。あなたならば――ご自身を、穢れているとお思いなのでしょう?」
『…………。』

『…そうだ。――幾度祓えども、決してわが身は清くはならぬ』
長い沈黙の後、銀翅は感情の籠らない声音で、けれども重々しく――おれの言葉を認めた。

「…。」
どことなく、厳かにすら感じたその声色で、銀翅は尚も続ける。
『故に、せめて心だけでも清く在ろうと。――なれど、我が心もそうやすやすとは鎮まらぬ。…尚も、外に焦がれている。』

――少しでも、そとに近い処にいようとしたんだ。
まるでそう言うかのように、銀翅は(そび)える山を見上げた。

「…おれが、手引きしましょうか」
『気遣い有難う。…けれど、無用だ。山を越えることさえできずに、力尽きた。』

「…!?」
まるで既に試したかのような口振りに、おれは言葉を失った。

『…昔のことだ。――君まで、(とが)を背に負うことはない。』
「…そんな…。」

どうやら、過去、村を抜け出そうとして、何か戒めを受けたらしい。
苦味を含んだその微笑みから、それが判った。

『…人の世で罪を祓う方法には、五つあってね。私は既に二度。…次は、()。』
「どういう…?」
五つのうち、もう、二度も。…そう驚いていたが、
『――二度と、日を拝めなくなる。』
それにはまだ早かったらしい。

「…っ。」
『飼い殺しだ。…尤も、今もそう変わらないけれどね。』

常に移り変わる、村の様子すら。――空気も、流れる水も、咲く花も、あたたかな日差しも、踏みしめる大地も。
もし次に外をのぞめば、どうにか享受できていた自由さえも、奪われかねない。――彼にとってそれは、どんなに恐ろしい事なのだろう。

『…その上、今の私は独り身ではない。――私と縁の深いものも、共に科を受けさせられる。私の科が彼女にまで及ぶとあらば、おいそれと望むわけにもいかない。』
「…、ひきょうな…!」

『…。けれど、元より此処から出られぬのはわが身故。――外の話が聞けて嬉しかったよ、葵。』
憤るおれに、銀翅は鎮かに笑みを向けた。
――優しいものだと思っていた微笑みは、ひどく哀しげに見えてしまった。

『私の為に。…済まないね。』
銀翅は、おれのどこかに懐かしさを感じたのか、おれを透かし見るかのようにやさしく微笑んでいる。

やりきれない気持ちになって俯いたおれの前にしゃがみ込むと、銀翅は尚もおれを見やった。
『君のおかげで、私は外を知ることができた。――君は、君にできることを精一杯やってくれたんだ。』


「…まだです。」
『ほう?』

「おれと、あなたが、共にたたかうんです。――あなたの家と。」
『それは無謀というものだ。』
――心なしか、鋭い声。

『今の君は幼く非力だ。それを為すには、まだ時が足りない。』
「…しかし、このままでは、あなたは――」

『…。わが身が物怪に(たお)れるのが先か。それとも、君が力をつけるのが先か。』
穏やかに微笑んで。
『――楽しみにしているよ。』

「…!」
銀翅は、おれを信じてくれている。
「――すぐにでも。」

『そうだねぇ。時が経つのは早いものだ。』
…立ち上がり、そう答えた声には、僅かに焦りが滲んでいたようにも思った。

『あまり、無茶をせぬように。――前にも言ったけれど、何かあったら、すぐに言うんだよ』
「はい。…銀翅さまも、もし何かあったら、すぐに。」

『ふ。――また、山に来るといい。』
「えっ。この山は、神域なのでは?」

『ああ。…けれど、共に修行に励む為であれば、神もそう見咎められまい。』
「…!!」

『私も、より一層力をつけなければ。――直ぐに追い越されてしまうかな。』
如何にも愉快そうに、――おそらく、忘れて久しい期待を込めて、銀翅はようやく笑った。

「…きっと、追いついてみせます。」
今にも去ろうとしている銀翅に、おれも微笑って応えた。

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