第五話 根差す葵

-vana-

一方、その頃。
山に戻った銀翅は、十六夜に問いかけました。

「十六夜は、彼の何処がそんなに気に入ったんだい?」
「んー。…素直なとこかな。」
「成程。それは私も同感だ。」

「…あんたは?」
玄鋼に呼び出されたわけでもないのにわざわざ村に降り、吉兆が出たと進言したのは銀翅でした。

「なに、外からきたものだというだけで疎まれるだろうことが、気の毒だっただけさ。」
――嘘を言ったわけではない。十六夜が迎え入れてやれと言った、その意志に沿っただけ。

「君が認めた少年、というだけで、吉兆と言うには充分すぎる。」
夜空を見上げ、銀翅はそう呟きます。

――それもそうか、と十六夜は頷きました。
「…。あのガキ、やってけるとええな。」

「そうだね。」
一点の星を見つめ、銀翅は祈るように目を閉じました。


――翌朝。
「それは、玄鋼さまの弟君(おとうとぎみ)だろう。」
「弟君、ですか…」
葵が山で遭った二人のことを話すと、朱鳥にそう教えられました。

「なにか――変わった様子は見なかったか?」
納得するように頷いた葵に、朱鳥は慎重に言葉を選ぶように、恐る恐る尋ねます。

「? 別段、何も。」
「そうか。…良かったな」
怪訝に思った葵でしたが、朱鳥にそう答えると、朱鳥はどこか安堵したように微笑むのでした。

「…?」
葵は不意に奇妙な感覚を覚えましたが、
それが過剰な畏れだとは解りませんでした。

「――あの山はおそろしいところだから、濫りに立ち入ってはいけないんだよ。」
そう云う養母に、葵は問いました。
「ならばなぜ、銀翅さまはあの山に住んでおられるのです?」

「…。」
「――その上それを、誰もが認めているのですか?」

葵の問いに少し詰まった様子でしたが、養母は俯いて言うのでした。
「あのお方は――特別なお方だから。」

「………、特別…。」
葵はまたも奇妙な感覚を覚えましたが、
それが過剰な敬いだとは解りませんでした。

葵は、
――そんなに素晴らしいお方なら、また改めて銀翅に礼を言いたい。
そう思ったのです。

山に入ってはならないのなら、せめて巫の屋敷に礼を述べに行こうと思い向かうと、村人たちの怪訝な視線を受けました。
その上、当然のことですが、通してもらえるはずもありませんでした。

――巫なのだから、祀りごとがあれば会えることもあろうか。
こんどはそう考えましたが、銀翅の兄である玄鋼が祀りごとをこなす一方、銀翅の姿は見つけることができませんでした。

――余程のことがない限り、銀翅は山を下りないらしい。
そう確信した葵は、とうとう痺れを切らし――山を訪ねることに決めたのでした。


日が暮れる、少し前。
誰もが家路につき始める頃、葵は密かに家を抜けだしました。

葵の暮らす村長の家と山は、そう離れてはいませんでした。
とはいえ、明りをつけるとすぐに判ってしまうだろうからと、暗くなる前に訪ねることにしました。

葵は暫し、山道を歩きます。
けれども不思議なことに、いくら歩いても、目当ての家は見つかりません。

――以前この山を下りたときには、こんなにも歩いただろうか?
――それとも、黄昏時を歩いているから、そう感じるだけなのだろうか?

『――葵。』
葵がそう考えていると、唐突に名を呼ばれました。

『どないしたんや、こんな処まで。』
「…!」
不意に聴こえた聞き覚えのある声に、葵は驚き、顔を上げました。

すると眼前には、銀翅と十六夜の暮らす家がありました。
妙に歩きまわったせいかやたらと疲れていましたが、ようやくたどり着いた場所を見、葵は確かに安堵しました。

「――瑠璃、さん。」
『こんな山をわざわざ登ってくるくらいやったら、よっぽど何かあったんやろ。…村の奴らと折が合わんのか?』
家から顔を出した十六夜は、なおも驚きを隠せない葵に近づき、如何にも不安そうに尋ねます。

「いえ。銀翅…さまに、お礼が言いたくて。」
『…? 銀翅なら今、村に下りとるけど。――村では、会わんかったんか?』
十六夜は、妙に畏まった葵の様子に首を傾げつつ、なおも尋ねました。

「はい。――村では…、おれごときでは、到底お会いできませんから。」
遠慮がちに俯いた葵が発した言葉に、十六夜は僅かに目を細めました。

『………、ふうん…。』
そして頷くと、ひどく冷めた表情を浮かべます。
『…あんた、銀翅のこと、そんな風に思うてたんか。』

「…? はい。ですので改めて、お礼にと」
――葵にはその意味が解らないようでした。
『もうええ、解った。…うちから伝えとくさかい、早よ帰り。親が心配しよるで。』
――これ以上話すことなど無いとばかりに、十六夜は葵に告げました。

「…は、はい。瑠璃さまも、おれを助けてくださってありがとうございました。」
『…。』

不思議そうな表情を浮かべて去っていく葵の背を、十六夜は目を細めたまま、静かに見送りました。
――銀翅は葵を気に掛けて、そろそろ様子を見てくると言って出て行ったのに。
ああも過剰なそれを見ては、おそらく落胆するであろう銀翅を想いました。


そして、帰り途。
葵は、どこか妙に冷たかった十六夜の様子に首を傾げていました。

すると、向かいから人影がやってくるのに気付きます。
――もしや、物怪の類だろうか。
そう慄いていると、その人影に声を掛けられました。

『おや、葵じゃないか。』
「!」
――まさか、わざわざ巫に化ける物怪もいまい。

『――私だ。銀翅だよ。』
葵の疑いを見透かしたように、人影は改めてそう名乗りました。

『君の家を訪ねたら、出掛けているようだと言われたから、出直すことにしたんだが。まさかこんな処で遭うとは、――何かあったのだね?』
「いえ、大したことではないんです。銀翅さまにお礼を言おうと思って」

『…それで、わざわざこの山を登ったのかい?』
いつも朗らかに笑みを浮かべている銀翅でしたが、そう言って浮かべられた笑みの中には僅かに呆れが滲んでいました。
『それに――礼なら、既にじゅうぶんすぎるほど戴いたよ?』

――おれみたいな普通の人間にも、気さくな御方なんだな。
そう思った葵は、微笑む銀翅を見て俯き、さらにぽつりと呟きました。
「…その…。おれなんかのために力を尽くしてくださって、ありがとうございました。」

『…、…。そうかい。――いいんだよ。気にしないで。』
その言葉とは裏腹に、銀翅はどこか哀しげに言います。
『そう気兼ねしないで。何かあったらいつでも言うんだよ。』
けれどもそう言いながら、すこし離れた葵の頭を優しく撫でるのでした。

『私は、私にできることをやっているだけなんだ。――私の手が及ばなかったことも、もちろんある。』
「…?」――何故、そのような話を…? 葵は首を傾げます。

『君も、…自身にできることは何か。よく考えるんだよ。』
「は、はい。…頑張ります。ありがとうございます。」
言われた意味も解さぬまま、葵は頷きました。

『………』
見兼ねた銀翅はしゃがみ込み、葵に視線を合わせると、言いました。
『…もし、君がよければ、だけれど。――こんど、外の話を聞かせておくれ。』
――どことなくさびしそうに、微笑みながら。

「…! あ…、ご、ごめんなさい。」
その笑みを見た葵は、咄嗟に謝りました。
――なにか、良くないことをしてしまった気がしたのです。

『うん?』
銀翅は尚も、朗らかに微笑んでいました。
「なんかおれ、その…。」
その瞳はおそろしく澄んでいて、後ろめたさを感じた葵はまたすぐに俯いてしまいました。

『…、うん。――いいんだよ。気にしないで。』
意味もなく謝られても…と、銀翅はすこし苦笑しました。――しかし。

「…、やりすぎ、ました。ごめんなさい。」
葵はどうやら、奇妙な感覚の正体に気付いたようでした。そして、銀翅がそれを快く思っていなかったことも。

『…良し、偉いね。やはり、素直なのは良いことだ。――過ぎたるはなお及ばざるが如し。』
銀翅は葵の言葉にどうやら驚いたようでしたが、すぐに眼を細めて笑いました。

「ありがとうございます。」
『礼を言うのは私の方だ。有難う、葵。』

銀翅の朗らかな笑みに、葵の緊張も少しずつ解れてゆきます。
先程よりは自然な様子に、銀翅は一層嬉しそうに微笑むのでした。

「また今度、お話させてください」
『ああ。是非聞かせておくれ。…また伺おう』

「はい、いつでもお出で下さい。…あ、あの。何かお手伝いできることがあれば、おれにも手伝わせてください」
『ほう? 物好きだね、君も。…何かないか、考えてみるよ。どうしてもと言うなら、本家の方にでも――』

「いえ。おれが手伝いたいのは、あなたですから」
『…。……、そうかい。有難う。――また。』
葵が遮るように言った言葉に、銀翅はすこし複雑そうに微笑んで、ゆっくりと歩き去ってゆきました。

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