第四話 鉄と葵

-vana-

そうしておれは、山で出遭った夫婦に礼を言い、山を越えた。

「おいあんた、見ねぇ顔だな。何処から来た?」
山を降りて一番に、そう尋ねられた。

「近くの里から来ました。――あっちの方角の」
そう言いながら、通ってきた山を指す。

「…!? あの山を越えて、来たってのか!?」
「…? はい。…あの、何かまずいことでもあるんでしょうか?」

「…ああ、まずいな。…疲れてると思うが、すぐに、この村の長に会ってくれねぇか?」
「…はい。分かりました…」
何をそんなに慌てることがあるのだろう、と思いながら、おれは男の案内に従った。


「…なに、あの山を越えてきただと?」
「えぇ。そう申すものが訪ねてきとります。」

「すぐに通しなさい。」
「はい。」
長の男がそう言うのが聞こえる。と、すぐに通された。

「――(ゆう)。お前は今の話を玄鋼(くろがね)さまにお伝えしてきてくれ」
「かしこまりました。」
おれと入れ替わりに、少女がひとり出て行く。

「少年。君の名は何という?」
「葵と申します。」

「そうか。私は朱鳥(あすか)という。この村の皆を統べている者だ」
「よろしくお願いいたします。」

「――それで、君があの山を越えてきたと言うのは、まことか?」
「はい。」

「そうか…。――我らにとってあの山は、神域でな。濫りに侵すことならず、と掟があるんだ。」
「…!」

「君は、知らなかったとはいえその禁を侵した。それも、外からきた君が、だ。――どの様な意味を持つのか、調べる必要がある。…解るね?」
「…はい。」

「…と、いうことで。これから君には、この村の(かんなぎ)さまに、会ってもらわなければならない。」
「わかりました。」


村長と連れ立って屋敷に向かうと、すぐに一室に通された。
そして、少し待たされた後、一人の男が現れた。

『――朱鳥殿、お待たせして申し訳ない。…当主は多忙ゆえ、代わって私が用件を承ろう。』
「玄鋼さま。お忙しい中、誠にありがとうございます。――既に悠よりお聞き及びかと存じますが、この者が、かの神域を越えてきたと申す者でございます。」

『うむ。』
――(じっ)と、鋭い目を向けられる。

『…確かに、見ぬ顔だ。名はなんと申す。』
「葵と申します。」

『そうか。――かの山を越えてきたというのは、まことか?』
「はい。」

『そうか。…暫し席を外す。待たれよ』
「はい。」
此方を見つめていた目をすこし伏せると、玄鋼と呼ばれた男は部屋を出て行った。

――それから、随分と待たされた。
足が痺れを切らす頃になって、漸く男が戻ってきた。

『…。』
男は、何やら重苦しい溜息をついた。

「…。」
おれも、村長も、固唾を呑んで言葉を待った。

『――吉兆だ。』
「…は。」――思わず、間の抜けた声を出してしまった。

『山の禁を侵せし事、不問。…ときに、葵』
「! は、はい」
ほっとしているところに声をかけられて、はっとした。

『お前は、この村に何用で参ったのだ? 行商人には見えぬが…』
男は、俺の持つ荷の少なさを指し、そう言った。

「あ、あの…。実は、訳あって、元いた里から出てきまして。住むところを探して彷徨っておりました。」
吉兆ならば、悪いようにはされないだろう。…そう信じて、おそるおそる口にしてみた。

『そうか。ならば――この者は、朱鳥殿の許にて引き取られよ』
あっさりと頷くと、ひどく顔をしかめながら、男はそう告げた。

「…! …(しか)と、承りました」
朱鳥はそう言って、深々と頭を下げる。――おれも、それに倣った。

良かった。どうやら住むところが決まったらしい。
食糧もないまま叩き出されるようなことにならなくて、本当に良かった…。


「吉兆か。」
屋敷を出ると、朱鳥が嬉しそうに、そう漏らした。

「――良かったな、葵。」
「…は、はい…。これから、よろしくお願いします。」

「ああ。悠――娘もきっと、喜ぶだろう。」
先程見かけた少女か。
「…だと、良いのですが。」
…なんだか照れ臭い気持ちになり、おれはぼそりと呟いた。

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