第十話 宵の月

-remota-

遙が家に帰り着いたのは、ちょうど夕暮れ時のことでした。

「…おかえり。随分遅かったなぁ。どうもあらへんかったか?」
「ただいま、おかあさん。」
ぽんぽん、と泥をはらう遙を見、十六夜は違和感を覚えます。

「…あんた、なんでまたそんな泥だらけに…。ん? これ…」
――銀翅の気や。

十六夜は、じっと遙を見つめます。
「…? おかあさん、どうしたの?」

「…何があったんや。話してみい。」
「え? うん、わかった。あのね…」
畏れることなく、十六夜を凛と見つめながら、遙は話し始めました。


「…だから、風車は墓標なの。…おかあさんのやったことは、忘れちゃいけないことなの。」
「…。………」
一瞬、複雑そうな表情を浮かべた十六夜でしたが、尚も考え込みました。

「…確かに、あんたの言う通りかもしれん。あんたはうちと違って人間やけど、あんたは…人間やのに、ええこやから。――村人らとは、違う。…あんたの言うことなら、耳を傾けんでもない。」
自身の分身に、心の奥底を代弁されたかのような不思議な錯覚を覚えつつ、十六夜は静かに言いました。

「…ここの人たちは、ただ生きたかっただけなの。それはおかあさんも一緒でしょう? すれ違ってしまっただけなの。だから、許してあげて。――おとうさんも、そうだって言ってた。」
遙の言う“おとうさん”とは、銀翅のことでした。

「…。あんたに親父なんかおらんよ。」
十六夜も、その意味を理解しつつ、静かに反論します。

「いる。おかあさんにとっては知らないひとかもしれない。でも、私にとってはおとうさんなの。」
遙は首を横に振ると、確かな眼差しを十六夜に向けて、自分にとっては銀翅こそが父だと認めるのでした。

「…。ほぅか。ほな、勝手にせえ。」
その様子を見た十六夜は、眉間に深い皺を刻み、溜息をつきつつも、遙の意志を尊びました。

十六夜はその晩、眠れぬまま夜通し考え込みましたが、答えは出ませんでした。
――娘はいい子に育ったし、私は精一杯育てたから、間違った教えはしてないはず。
――でも、村人は嫌い。…銀翅は最期まで私を嫌ってなかったけど、あいつは変わり者だったから。


翌日。
遙はまたしても、銀翅と出遭った家に向かいました。
――お墓参りのつもりで、両手に花を携えて。

昨日立てた風車が、風を受けてからからと回ります。
遙は、その合間から、男の声を聞いた気がしました。

怪訝に思って辺りを見回すと、やはりそこには銀翅の姿がありました。
「…おとうさん、夢の中じゃなくても、しゃべれるようになったの?」
遙は、満面の笑顔を顔に湛えたままで、銀翅のもとへ駆け寄ります。

それにつられたかのように、銀翅もまた笑顔を浮かべて応えました。
「なに、驚くことはない。たった今、お前が力をくれたんだよ。」

「そうなんだ…。じゃあ、これからもおまいりにきたら、おとうさんはもっとげんきになるの?」
「そうだよ。…しかし、私を父と呼んでくれるとは、お前はほんとうによい子だねぇ。」
そう言って微笑むと、銀翅は遙の頭を優しく撫でました。

「…昨日は突然、あんな夢をみせてしまって悪かったね。――恐かっただろう?」
「…ううん。だいじょうぶだよ。――おとうさんは、もうどこも痛くないの?」

「私かい。…そうだね、今はもう、どこも痛くないよ。」
――強い娘だな。…銀翅は密かに感心しました。

「そう。よかった。」
娘は、にこにこと屈託のない笑顔を浮かべます。――どうやら本当に、恐ろしくはなかったようでした。


「…おとうさん、おうちには来ないの?」
「そんなことをしてはお前が叱られるだろう。」

「わたしはだいじょうぶだよ。…おかあさんも、ほんとはわかってるんだけど、認めたくないだけだと思う…。」
「………、そうなのかい。――十六夜の子だけあって、十六夜のことがよく解るんだね?」

「うん。おかあさんと、ずっといっしょだったから。」
あくまで朗らかに、遙は答えました。

「…。そうだね…、行きたいのは山々だけれど、いずれにせよ私は、此処から動けないんだ。」
「どうして?」

「…。今の私は(はく)だ。天に昇るはずの(こん)は十六夜に喰われて既に亡く、魄である私は己の亡骸のあるこの地から、離れられない…。」
「…? よくわからない…。」

「…いや、無理もないさ。今のは忘れておくれ。」
銀翅は、気にするな、と遙に微笑みかけ、言葉を続けました。

「…まぁ、よかったらまた明日もお出で。お前が力をくれれば、動けるようになることもあるかもしれないし。」
「…そっかぁ。分かった。また明日ね、おとうさん。」

――そんなこと、万に一つも起こらないだろうけれど。
去ってゆく遙の後ろ姿を見ながら、銀翅は胸の中で呟きました。

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