星降る街

幾多の困難を乗り越え、ようやくその街に着いた。
「お兄さん、どうだいこれ、安くしとくよ」
「必要ない」
【星降る街】のどこにでもありそうな露店で勧められたのは、奇妙な色をした豆のような粒である。
店主曰く、一応珈琲豆の一種なのだというが、空色をした珈琲豆など存在しないと、私の中の常識が告げている。
「珍しいでしょう。普通に暮らしていては、到底お目にかかれない珍品でして」
「だから必要ないと言っている」
「そう言わず、一杯だけでも…。天にも昇る気持ちになれますよ」
はっきりと断っているのに、店主は試飲だけでもと食い下がってくる。
「…通りがかりとはいえ、客に妙なものを勧めるな。迷惑だ」
こちとら長旅で、あらゆるものに窮乏しているのだ。妙なものに出す金はない。
「妙なものなんてとんでもない。この機会を逃すと後悔しますよ、お客さん。――安くしときますって」
「何度も言わせるな。要らんものは要らん」
なおも揉み手をしてくる店主をぴしゃりと怒鳴りつけ、露店を後にした。

必要なものを粗方買い揃え、その日は宿に身を寄せた。
少々粗末な宿ではあったが、なにぶん金がないのだから仕方がない。飯をくれと女将に言うと、女将ははいと頷いて何かを持ってきた。
「こちら、天泣(てんきゅう)でございます」
「てんきゅう? …飲み物を頼んだ覚えはないが」
「うちにお泊まりくださるお客様にはどなた様にも、お食事の前に一杯、珈琲をお淹れすることにしております」
「…そうか、有難い。戴こう」

珈琲といえば、先頃のしつこい店主を思い出す。しつこいだけではなく、胡散臭い店主でもあったが。
渋面で熱い珈琲を飲んでいると、女将が心配そうに声をかけてきた。
「…あの、お口に合いませんでしたか?」
「…いや、何でもない」
「さようでございますか。失礼いたしました」

それにしても。――天泣。聞いたことのない名前の珈琲だ。
「天泣は、この街でしか採れないものでございます」――ほっとした様子の女将が続ける。
「こうして淹れると、よくある珈琲と変わらぬ見た目となってしまうのですが…。雲もなく澄みわたる空から不意に雨粒が落ちてくることを天泣と申しまして、この豆が世にも珍しい空色をしておりますもので――」
そこまで聞いて、驚きのあまりむせてしまった。
「まさか――あの空色の豆か」

すると、今度は女将が目を丸くして言った。
「お客様、まさかご覧になったことがおありで?」
「…ああ。この街に入ったときに、露店で見かけた」

「そんなことが…」――女将はなぜか、しきりに感心している。
「私共は身内に造り手がおりますもので、頼めば多少は分けてもらえるのですが…。露店で売っていたなんて、信じがたいことでございます」
「…そんなに珍しいものなのか」
「はい。…それについては、仔細は申し上げられませんが…。天泣は、淹れてから時を経るごとに――まるで天候が移り変わるように、だんだんと味わいが変わってゆくのでございます。そのうえ採れる量も少ないものですから、私共のように伝手(つて)がなければなかなかお目にかかれないと思います。この街が【星降る街】と呼ばれるのは、夜に天泣が起こるのをご覧になった高貴な方が、まるで星が降ってくるようだと思し召して、そう呼び始めたのだと伝えられております」
「ほう…」
曖昧に微笑みながらそう言った女将を尻目に、粗末な宿屋を見渡す。
――そんなに珍しいものを売っているのに、なぜもっとましな宿にしないんだ?
そう思っていると、俺の内心を察したのであろう女将が、くすくすと笑って言った。
「高貴な方々ばかりではなく、皆様に、天泣の美味しさを知っていただきたいものですから」
「…失礼した」
「いえ。…長旅、お疲れでしょう。少しでも旅の疲れを癒していただければ幸いでございます」
女将はそう言うと厨房へ退がった。

――露店の店主に、せめて値段を聞いておくべきだった。
ゆっくりと時間をかけて食事を終えた俺が寝床に入る頃には、ため息を隠せぬほどに悔やんでいた。今となっては、露店の場所などよく覚えていない。街に入ったあたりということは覚えているのだが、膨大な露店を虱潰しに当たるほど、時間が有り余っているわけでもなかった。

…まぁ、これも旅の醍醐味と割り切るしかないか。ひと所に暮らしたのでは、絶対に巡り合えなかっただろう。
すべては一期一会。――雲のように流れるのが旅人というものだ。

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