兄と翠春は、宵夢が帰ってからも私の家に留まっていた。――実に、厚かましい次第である。
しかし、あからさまに事を荒立てるのも面倒だ。とりあえず、花蓮と兄達が話すのに適当に相槌を打っているうちに、いつの間にか、子供達がソファで眠りに就いていることに気付いた。
――…おや、静かになったと思えば…。
「…失礼。何かかける物を取ってきます。」
「あら、ありがとうございます。」
『ん? あ、あぁ。』
兄達も、子供達が眠ってしまっていたことに気付いたようだ。
何故か翠春が『気がつかなくて済みません』と花蓮に謝るのを背中に聞きながら、私は一旦部屋を後にする…。
ブランケットを手に居間に戻り、起こさぬように気をつけながら、そっとその肩にそれを掛けてやる。
それを見て何か思うところがあったのか、
『…。子どもが元気なのは良いことです。』
――突然、渋い顔をして兄は言った。…何故か、此方をちらと見て。
『お前が幼い頃は、こうも活発ではなかったものな。』
そして、僅かに笑んだように、私に言った。
「あら、そうなんですか?」
――すこし驚いたように、花蓮も此方を見る。
私は子供達の側を離れ、花蓮の隣の椅子に腰掛けて。
「…。そんな事はないと思いますが。」
変わらぬ笑みを貼り付けたままそう答え、彼等を見つめ返した。
『幼い頃の葉介は、少し身体が弱くて。季節の変わり目には、よく風邪など引いてな。…よく私が、診てやったものだ』
兄はなつかしむような表情を浮かべているが、私にはその真意が解らない。
――何れにせよ。
「…記憶にございませんね」
『まぁ、幼い頃の話だ。今はどうやら健やかな様子で、何よりだが。』
兄はすこし苦笑した。
『…そのせいか。元気の良い子どもを見ると、何よりもまず安心する。…歳老いた今となっては、お前の役に立てるかは判らんが…、何かあれば、いつでも頼るといい』
兄は確かに、私にそう言った。
「…ありがとうございます。」
言葉に詰まっていると、花蓮が代わりのように答えた。
間を置いて尚、私は、兄の言葉にこたえることができなかった。
――何よりもまず、気味が悪すぎて。次に、ひどく戸惑って。最後にほんの少し、安堵して。
私は深く息をした。
「…とはいえ。今日はもう散々遊ばれて、お疲れでしょう。お帰りになられては?」
――今日のところは帰ってくれ。
そういう意図を含ませた。
「そんな。お疲れのところを帰すなんて。」
花蓮は、責めるようでもなくただそっと私を諫めた。
「…子どもたちも目を覚ましたら寂しがりますし、どうぞご遠慮なく、このままお泊まりくださっても――」
『…いや。少々長居しすぎたようだな。…お暇しよう。』
花蓮の言葉を、兄が遮った。
『…よろしいのですか?』――小さく翠春が尋ねた。
『ああ。…馳走になった。葉介はつくづく、よい女性を妻に持ったようだな。』
「いえ、そんな。至らぬところばかりで…。またおいでください」
すぐに退出しようとする兄と翠春。花蓮はそれに続き、私もそれに続こうとした。
『ああ、お前は良い。…もし二人が目を覚ましたら、誰もいないと驚くかもしれんしな。…二人には宜しく伝えておいてくれ』
「…わかりました。」
兄に止められてしまった。
更に、小声で。
『あまり、無理はするなよ。』――などと言うのだから、いちいち気に障る兄である。
やれやれ――と息を吐くと、傍らの誰かがもぞもぞと動く気配がした。
「おや、晶。起きてしまったか」
そう声をかけると、晶は眠そうに目を擦りながら、此方をじっと見つめた。
「…? おとうさん、どうしたの」
「うん? どうもしないよ。」
「そう…?」
「…まだ眠いんだね。…さ、たくさん遊んで疲れたろう。お風呂に入って、寝てしまおう」
「…。」
どこか気遣うような視線を此方に向けつつも、晶は素直に頷いた。
――眠いのも事実なのだろう。
「おねえちゃん、おふろはいろ」
晶は、隣で眠っていた瑠璃を揺すって起こした。
「ん…。あ、寝とった…。おふろ?」
「うん。」
瑠璃も、晶と同じく眠そうに目を擦り、辺りを見回し、言った。
「そういや、つよしは?」
…が、晶にそれが分かるはずもない。寧ろ、瑠璃に指摘されて気付いた様子だった。
「さあ。おとうさん、おじさんは?」
「帰ったよ。ついさっき。」
――二人に背を向け、そう告げる。
途端に瑠璃が不満げな声を上げた。
「えぇー! もうすこしで倒せそうやったのにー…。おとーさん、つよし、またくる?」
「…そうだね。」
我ながら、少し不自然な返答をしてしまった、と一歩遅れて気付いた。
「…ふたりとも、今日はお母さんとお入り。」
「え?」
「お母さんはいやかい?」
意外そうに声を上げる瑠璃に、くす、と笑ってしまった。――或いは、自分自身にも。
「…おねえちゃん。おかあさんと入ろ。」
「う、うん」
流石に瑠璃もどこか妙だと思った様だが、あまり深くは聞かずにおいてくれた。
…まぁ、瑠璃――十六夜のことだから、恐らく花蓮辺りにでも尋ねるのだろうが…。
「おっと」
「あら、葉介さん、ごめんなさい。」
「いや、こちらこそ。」
風呂の準備をしようと廊下に出ると、二人を見送った花蓮と鉢合わせしてしまった。
「おかーさん、おふろまだー?」――瑠璃がそう尋ねる。
「さっき沸かし始めたところだから、もう少し待ってね。」
既に掃除を済ましてある湯船に湯を張りに行こうとしたが、花蓮が二人を送ったついでにそれを済ませたらしい。
「おかあさん、はやく入ろ」
「あら? 今日はお母さんと一緒がいいの?」
おずおずとそう告げた晶に、花蓮は嬉しそうに微笑んだ。
「うん!」
二人は、花蓮の言葉に、無邪気に揃って返事をした。
「…葉介さん、先にお入りになりますか?」
「いや、いい。3人とも、先にお入り。瑠璃と晶を先に寝させておやり。」
「…、それもそうですね。――では、お先に」
「ああ。君も疲れたろう。…ゆっくりしておいで。」
湯殿に向かう3人を見送り、ソファに座り込んだ。
段々と、考えるのが億劫になってくる。
――健やかであれと願う心が、まさか、兄にあったとは。
それがどちらの兄にあったものなのか。…そんなことは、解るはずも無かったけれど。