――それから、しばらくののち。
「なぁ、起きぃや、えぇ加減。」
「…。…………」
「…水、ぶっかけられたいんか?」
――いつぞやの事を思い出しながら、瑠璃は葉介に声をかけました。…いえ、葉介の腹の辺りに乗り、ゆさゆさとその身を揺すぶってもおりました。
「…………、瑠璃、か?」
「ああ。……何やの」
「…おはよう。――有難う、起こしてくれて。」
欠伸まじりにそう言い、眠たそうに目を擦る葉介の目には涙。――よほど眠たかったのでしょうか。
「…。…二度寝はあかんよ、おとーさん」
「ああ。…大丈夫、ちゃんと起きるから。」
「うん。――えらいな」
――どこか安堵した様子の葉介を、瑠璃はぽんぽんと撫でました。
***
「葉介さん。おはようございます。」
「ああ、おはよう。」
花蓮は、少し驚いた様子で葉介に挨拶をしました。
「今日は珍しく早いのね。」
「…たまにはね。」
――葉介は新聞を片手に悠々と、珈琲を口に含みました。
「おとーさん、うちが起こしたんやで!」――えへん、と胸を張る瑠璃を見、
「あら? なぁんだ、自分で起きたんじゃないのね?」――花蓮は、くす、と少しからかうような笑みを浮かべ、葉介に向けました。
「…瑠璃、それは内緒だと言ったろう…。それに、一度はちゃんと起きたんだから…」
――思わずむせそうになった葉介は、少し気まずそうな様子で言いました。
まるで子供のような葉介の様子に、花蓮は思わず声を立てて笑いそうになりましたが、どうにか堪えたようでした。
「…葉介さん、おとなげないですよ。」
「…。」
花蓮の言葉に、葉介はまだ少しむっとしたような表情で、けれどもどうにか言葉を繕い、言いました。
「………、あー、えぇと…。ありがとう、瑠璃。起こしてくれて。」
「おとーさんには、うちがおらんとあかんのや。」――一層鼻高々な様子で、やれやれ、と瑠璃は肩を竦めました。
「瑠璃は、ひとりで早起きできたのにねぇ。お父さんたら。」
変わらずくすくすと笑う花蓮に、どことなく面白くない様子の葉介は、話題を変えようと瑠璃に話しかけました。
「…。ところで――しっかり者の瑠璃おねえちゃん。そろそろ晶くんの起きる時間じゃないかな?」
「あ! ほんまや!」
瑠璃は時計を見ると、少し慌てたようにたたた、と走って晶を起こしに行きました。
それを見た葉介と花蓮は、互いにくすくすと笑い合うのでした。
「あきらー、今日はえんそくなんやろ! 早う支度せな!」
そう言って晶を起こす、瑠璃の声が聞こえてきます。
それを少し遠くに聞きながら、葉介は花蓮に微笑みかけました。
「――良かったら君も、飲んで行くかい?」
「あぁ…はい。じゃあ、少しだけ。」
葉介の言葉にちらりと時計を見ると、花蓮は頷き、居間の椅子に腰掛けました。
「…相変わらず、珈琲は苦手かい。」――葉介は、自身の飲んでいた琥珀色の液体に目をやると、苦笑したように言いました。
「…、まぁ…。…でも、お砂糖はなくても飲めるようになったんですよ。」――花蓮もそれを見やると、苦々しげな――或いは恥ずかしそうな面持ちで呟きます。
「ミルクは?」――葉介は冷蔵庫の扉に手を伸ばし、何気なく尋ねました。
「…。………ください…。」――花蓮は、相変わらず恥ずかしそうにしていましたが、その顔に少し悔しそうな色が混ざったのを、葉介は見逃しませんでした。
「…どうぞ。――心持ち、少なめにしておいたよ。」
――琥珀色のそれに、ゆっくりと白が混ざります。
「…。………、ありがとう…。お陰で、目が覚めました。」
――いつもよりも幾分苦さの残る珈琲でしたが、花蓮は尚も笑いました。
「どういたしまして。――昨日も少し、遅かったからねぇ。」
――無理をしてまで飲むものではないのに。
そう思いつつも、葉介は少し嬉しそうに話題を変えました。
「…おっと、そろそろ、君も出かける時間じゃないかな?」
「本当だわ。二人の事、宜しくお願いします。」
花蓮は、いつもよりも少し苦めの珈琲を口にしたせいか、先程よりも引き締まった表情を浮かべました。
「任せなさい。――気をつけて、行っておいで。」
「行ってきます。」
――そう花蓮を見送った葉介の背後から、
「あー!! おかーさん、おしごと行ってもうたで!」
「え!!!」――どたどた、と騒々しい音と共に、瑠璃と晶が駆けてきました。
おかあさん、いってらっしゃーい!! と、早朝にふたりぶんの声が響きます。
…やれやれ、と葉介は苦笑し――けれども、悪くないな、と目を細めるのでした。
「ほら、二人とも。特に晶、落ち着いて、まずはごはんにしよう。」
「はあい…」――葉介にそう言われた晶は、まだ眠いことを思い出したように、卓につくとまず欠伸を漏らしました。
――いただきます。
いつもより少し早い朝を迎えた3人は、揃って手を合わせるのでした。