――あくる日。
「蛇の伝承、ですか?」
「そうだ。悠殿であれば、何か存じているのではないか?」
玄鋼は早速、悠を訪ねていました。
「存じているも何も、かの山に宿っておられる神のことで御座いましょう。――其れは、玄鋼様もよく御存知なのでは…?」
「…私の家に伝わっているのは、旱魃を経て男と蛇神が互いに棲処を定めるまでの噺。――更にその後の噺を、何か存じていないか?」
「その後、ですか…。さて。――棲処を定めたのち、『されど我が力、忘るるに非ず。そなたらの求めであれば、何時でも応えよう』と、蛇神様が仰ったという噺なら、聞き及んでおりますが。」
「ほう…? 互いに棲処を定めて尚、求めがあれば応ずると?」
「はい。巫様と、その一族に向けて仰ったとか。」
「…そうか…。」
――試す価値はありそうだ。
玄鋼は密かに思案しました。
「…。何か、お力になれましたでしょうか?」
「充分だ。礼は、いずれ。」
「いえ。ほんの小噺をしたまでのこと。――普段、我等が受けている御恩に比べれば、些細なものですよ。」
「身構えるな。そう大層なものではない。面白い噺が聞けた礼だ。気兼ねせず受け取れ。」
「――ではまたいずれ、外の話でもお聞かせ下さい。」
「解った。また、いずれな。」
***
「――と、いう訳だ。」
「ほんに早う、聞いてきおったな…。」
「気の細かい方ですから。」
話を聞くが早いか、玄鋼はすぐに十六夜のもとを訪れました。
流石の十六夜も少し驚いたようで、けれども嬉しそうに笑うのでした。
「…。手が空いていたのでな。――昨夜はよく眠れたのか?」
「何であんたが気にすんねん。いらんわ。」
けろりと尋ねる玄鋼の様子に、十六夜は少し照れたように、顔を赤くするのでした。
「…。」
「…で、呼んでみたんか?」
愉快そうに口元を隠す銀翅をよそに、十六夜は玄鋼に尋ねました。
「其れは、未だ。――呼ぶならば、此の山で呼ぶのが良いだろうと思い、其の許しを得に来た。」
「ふぅん。…別にええよ。今からでも。」
「…。私も、構いません。」
口元を覆っていた袂を下ろすと、銀翅は静かに、己と十六夜を護る印を張りました。
その素早さに、玄鋼は銀翅を見、賞賛の混じった声音で言うのでした。
「相変わらず手の早い奴だ。」
「此れが私のお役目ですから。」――涼やかに、銀翅は言い切りました。
「……自分の身くらい自分で守れるっちゅうねん。」
――頭痛がするとでもいうような様子で、十六夜は溜息を吐きました。
「…何があるか判らないからね。」
――かつての山神は、伝承に残るほど昔からこの辺りにいるのだ。
――それは狐も同様だが、村のできた頃と村のできた後のこと。十六夜とて力はあれど、蛇と比べるとまだ若い。
――用心に越したことはないだろう。
銀翅はそう思いはしましたが、思うだけで口にはしませんでした。
それを口にするのは、慣れ親しんだ間柄とはいえ、余りにも無礼だからです。
十六夜の性格上、若さ故に侮られることは、決して快くは思うまいと、銀翅は考えたのでした…。
その銀翅を横目に、十六夜は微笑んで言いました。
「――おおきに。…ほなまずは、外出よか。」
こうして三人は、屋外へ出て、ひとまず祭祀場のある山頂を目指すことにしました。
「うちは、先行ってるさかいな。」
「ああ。頂で落ち合おう。」
そう話し合うと、十六夜は忽ち姿を消しました。残った玄鋼と銀翅は、共に頂を目指します。
山頂が近づいてきた頃になって、玄鋼は一度だけ銀翅に尋ねました。
「…銀翅、不調はないか?」
「まだ何も。――山頂へゆくくらいでしたら、日毎やっておりますから。」
「…何が起こるか分からん。くれぐれも無理はするなよ。」
「貴方こそ。…ほら、見えてきましたよ。」
二人が山頂に着くと、先に着いていたらしい十六夜が姿を見せました。
「…来たな。――銀翅、どうもあらへんな?」
「ああ。これくらいで疲れ果てていては、蛇神様にはお目にかかれまいよ。」
念のためにと木の棒を杖代わりに使っていた銀翅の様子を見つつ、頃合を見計らって玄鋼が告げました。
「――では、早速始めるとしよう。」