第九話 畏敬

-leve-

昔、とある山に一匹の蛇がいた。
その蛇は不思議な力を持っていて、その蛇の力によるものか、山の水はいつも枯れる事が無かったという。

木々は豊かに育ち、けものや鳥も多く暮らした。
やがてその山を人々が見つけると、(ふもと)に村を造り始めた。

蛇はさほど気にも留めず、けものや鳥と共に人々を見守った。
ところが人々は、山の麓のみならず、山の木や土にまで手を付け始めた。

棲む処を追われ、困ったけもの達は、蛇に、どうにかして人々を抑えてくれないかと願い出た。
蛇は苦心の末に水を操る術を覚えると、その力を用いて、麓の村に暴れ水を向かわせた。

畏れを覚えた人々は、村を拓く事を止め、山には手出しをしない事を約束した。
すると忽ち暴れ水が引いたので、一人の男が蛇を祀ったのだという。

暫くは安穏な日々が続いたが、麓の人々がその畏れを忘れかけた頃になり、蛇が病に(かか)った。
すると今度は山の水が干上がり始め、山だけでなく村までもが渇ききってしまった。

困った人々は、蛇が病であることも知らず、山に立ち入って祈りを捧げた。
何事も無い間は互いに好きにしているのに、困った時にだけ頼るのも可笑しな話だと蛇は考え、病が癒えるまで人々の祈りに応えず、じっと耐えた。

蛇が姿さえ見せないことを不思議に思った人々は、当て所なく山の土を掘り返し、何とか水を得ようとした。
しかし水は一向に出ず、人々もけものも共に苦しんだ。

為す術もなく、ただ年月だけが過ぎた。人々の中には、村を見限り、出て行く者もいた。
蛇の病が癒え、再び山に水が齎されるようになった頃には、蛇を初めに祀った一族と、ほんの一握りの人々しかいなくなっていた。

蛇は、祀りをした一族の男に、旱魃(かんばつ)理由(わけ)を話した。
男は其れを聞くと、言ってくれれば力になったのに、と残念がった。困った時には互いに手を貸し、助け合うものだと。

蛇はそれを聞いて、大層喜んだ。
そこで、もし次に何か困った事があれば力になろうと男に申し出た。

蛇は、何度か男の困り事に力を貸した。
その度に気を大きくした男は、段々と蛇への敬いを忘れていった。

いつしか、力を与えるばかりになっている事に気付いた蛇は、これでは男の為にならぬからと、男を説得した。
しかし男は有耶無耶(うやむや)にして聞き入れず、尚も蛇の力を求めた。

蛇は、こうなれば男を追い返すより他に無い、と、力を使って男を脅した。
蛇の脅しに肝を潰した男は村に逃げ帰り、暫くは山に顔を見せなかった。

これで良いのだと思った蛇は、男との日々を懐かしみながら山で過ごした。
けもの達に囲まれ、賑やかに過ごす夜もあった。

次に男が山に現れた時には、大勢の人々を引き連れていた。
何事かと問うた蛇は、男にこう言われたという。

――これより以後、村人共々、無闇に山に分け入るのはやめにする。

蛇は、男の言葉に首を傾げた。
――しかし、山と村とは決して切り離せはしない。山が栄えれば村も栄え、山が衰えれば村も衰える。山と村は連なっているのだから。

男は答えた。
――近付き過ぎれば敬いを忘れる。私がそうだったように。敬いを忘れれば(わざわい)を受ける。あなたがそう言ったように。

蛇は頷いた。
――神は、敬い在ってこそ。敬いは、(たたり)在ってこそ。

***

「――其れで山は殊更聖域とされ、けものや神の棲むところとなった訳だ。」
「私が知っていたのは、顛末のほんの一部だったのですね…。」――銀翅は頻りに感心している。
「…そんで、何や。肝心のとこが分からんままやな。」
私は玄鋼のした噺を思い返しながら、尚も眉をひそめた。

「……、肝心なところ、というと?」――玄鋼は、何処か至らぬ点があったかと僅かに畏まって尋ねる。
「何で蛇はその後、山からおらんようになったんか。何で蛇やのうて狐のうちが、かみさまなんかやってんのか、や。」
山で見かける蛇どもは、そこらのけものと何ら変わりない。玄鋼が話したような、水を操るといった特別な力があるようには見えないのだ。

「…兄上、その話には何か――続きはないのですか?」
「ふむ。…私もこれ以上は、聞き及んでいないな。」
「惜しいとこまでいったんやけどなぁ…。」――もう少しで手が届きそうなのに。

「…――この噺。我が一族のみが、伝え聞いている噺ですか?」――銀翅は尚も問いかける。
「さて、それは解らぬな。」――しかし玄鋼の答えは変わらず、解らないままだった。

玄鋼が実は知っていて隠しているにせよ――本当に知らないにせよ、これでは手詰まりだ。
何か、そう、例えば…。

「あんたらと似たような、――村長の奴らは、何や知らんのやろか?」

「もし知っているとすれば、彼の一族でしょうな。」
銀翅も同じ考えに至っていたのか、私に続いて頷いた。

「――分かった。いずれ、尋ねてみるとしよう。」
「忙しいとこ悪いけど、早いとこ頼むで。気になってしゃあないわ。」
やれやれ、と言わんばかりの玄鋼に、さっさとしろとまぜ返す。

「…君、この手の噺を聞くと夜も眠れない性質(たち)だものね。」
そうして玄鋼をからかっていると、銀翅に横槍を入れられた。

「…、そうなのか。」――玄鋼はよほど驚いたのか、いつもしかめている顔が僅かに綻んだ。
「…。せや。何や文句あるんか。」――思わぬ秘密をばらされたが、嘘ではないので渋々ながら認めるしかない。
「いや、何も。」――銀翅は笑いを噛み殺しながらそう言うと、咳払いをひとつした。

「…先に言うとくけどな。滅多なこと、言いなや。」――そう言いながら、玄鋼をこつんと小突く。
「あ、ああ。――言ったところで、誰にも利はないからな。」――すぐにまたしかめ面に戻ってしまった玄鋼は、ぎこちなくそう言った。
「…。」――銀翅だけが、くすくすと笑っている。

――もしも誰かに話せば、利があるどころか、十中八九は障りが出るのだろうな。
おそらくそう感づいているのだろう。如何にもその通りだ。
念を押すように二人を睨み付けると、銀翅はけろりと微笑み、玄鋼は重く息を吐いた。

「あと。…また何か分かったら、銀翅に文な。」
「無論。」――不意に立ち上がって、こちらに背を向けた玄鋼は、去り際に言い捨てて足早に外へ向かった。

――逃げおったな。
「…、やれやれ。」
逃がさんとばかりに立ち上がり、玄鋼を見送ろうと続いた私の背に、銀翅の小さな呟きが届いた。

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