第八話 蒼青(そうせい)

-leve-

『――久しぶりだね、葵。』
そう言って悠然と微笑んだ銀翅でしたが、その表情は狐の面に隠され、誰の目にも映りませんでした。

「…!? 貴方は――」
突然気配もなく現れた男の言葉に葵は驚き、言葉を無くしました。

『元気そうで、何よりだ。村でも上手くやっている様だね、風の噂で聞いているよ。』
「っ、……はい…。」――葵は辺りを見回し、驚いているのが自分だけだと解ると、涼しい顔をしている玄鋼を見遣りました。

「…御存知、だったのですか…?」
「――まぁな。」

「だったら、何故…」
『言う必要はないだろう。私はもう死んだ身だからね。』――相変わらず言葉少なな玄鋼の代わりとでもいう様に、銀翅が言いました。

「…そんな。どう見たって貴方は生きた人間に見えます。霊のようには見えないし、ましてや――物怪でもない…!」
『この面を見ても、君はそう言うのかい。』――銀翅は感情を込めず、静かに問いかけました。

銀翅はそう言って、きっと笑っていたのでしょう。
――社会的には死んだ人間だから、敢えて物怪の面をつけているのに、と。

その苦笑をはね除けるように、葵は強い言葉で言いました。
「貴方を死者だと断じた人間はもう、とうに死に絶えました。あなたが村に戻っても、咎める者など誰もおりません!」

『…。』――銀翅は少しの間、思いを巡らせました。
蓮華のこと、遙のこと。家のこと、村のこと…。


『…生憎だが、私はもう懲りた。ここで暮らす方が気が楽なんだよ。――無論、気に掛かることはあるけれど、…自由を知って尚自ら籠に戻る鳥が、一体何処に居る?』
暫くの沈黙ののち、銀翅が放った言葉には、僅かに嘲笑が含まれておりました。

それに怯んだように葵が口を噤んだ刹那、銀翅はぽつりと呟きました。
『――ただ…、この娘に会わせてくれた事にだけは、礼を言う。』

寂しさなのか、喜びなのか。
相反する感情が入り交じった声音に、葵は首を傾げます。玄鋼は、どうやら報いる事ができたらしいと悟ると、そっと息を吐きました。

銀翅は遙に近付き、そっとその頭を撫でます。
当然の事ながら、遙はその意味を解する事はできません。しかし、不思議そうな表情は浮かべていたものの、その手を払い除けることもしませんでした…。

それで気が澄んだのか、銀翅は一同に向けて言いました。
『…さあ、もう村へお帰り。山の神は君達をお認めになった。これからも達者でおやり。』

その声がひどく安らかだったので、葵は安堵の息と共に言いました。
「…貴方もどうぞ、健やかに。」

『…、二度目はないよ、葵。』

「…え、」
その言葉があまりにも唐突だったので、葵は銀翅を止めることさえ出来ませんでした。

銀翅の向かう先には、赤い着物を着た女の姿。
その女の金の眼は、いつの間にか葵をとらえておりました。

――あ、あれは…以前、何処かで遭った…、

葵は懸命に考えますが、その女の名は思い浮かびません。
――よくよく思い返すと、面をつけた男の名も、(よう)として思い出せませんでした……。


「葵、戻るぞ。」
混乱している葵に届いたのは、玄鋼の言葉でした。――葵には何故かその声が、ひどく悲しげに聞こえました。

「…あれが、このお山のかみさまの御遣い?」――遙は、陰が消えた森の奥を見遣り、そう問いかけました。
「そうだ。」――玄鋼は淡々と告げると、遙の見ていたところと同じ方を見、重く息を吐きました。

「…なんだかひどく、私達に似た姿をしていらっしゃったわね。」
「…そうだな。だが、――我々とは違う。」
何故か悔しそうに響いた声音に、遙は首を傾げ、葵は肩を落としました。


銀翅は葵にのみ、別れの言葉を遺しました。
玄鋼と銀翅は和解したので、村との接点として手付かずにされました。
遙は元より銀翅の過去を知らず、人ではないものとして銀翅と接し。十六夜はそれを敬いとして受け取り、力としました。

者でありながら、者でも物でもない、曖昧な存在となってようやく、身の丈に合う生を得た銀翅。
だれとも満足に関われないのだからと、だれも訪ねることのない安寧を見い出し、あとは何を望むのでしょうか…。


遙や葵が山を訪ねてから、今暫くの頃。
玄鋼が、村の様子を銀翅に伝えに山を訪れるのが、もはや通例となりつつあった頃。

「ああせや、玄鋼。」
「ん。何だ?」

「前から聞こう聞こうと思てて忘れてたんやけど、あんたの家の言い伝えとかって、あんの?」
「あ、ああ。――そういえば、それを話してくれという事だったな。」

「…それは、私も聞いて良い類の噺でしょうか?」
「別に構わんだろう。聞きたければ聞くが良い。」

「…では、遠慮なく。」
「――家の言い伝えか。どの噺だ?」

「…そないに仰山あるんか。」
「然程多くはない。三つほどか。」

「…充分やがな。えぇと…ほなら、蛇の噺、詳しゅう教えてくれへんか?」
「蛇。とくれば、蛇神の事か?」

「うん、それそれ。何や、約束事があるっちゅう噺はなんとなく聞いた。」
「誰から聞いた?」

「銀翅からに決まっとるやろ。」
「そうか。なら…良いが。」

「勿体ぶらんで、早う聞かせてぇな。」
「…。そもそも、何故蛇神の話になったんだ?」
「――其れは…、以前、父の病の話になりまして、その時に何やら引っかかる事があると彼女が申したので。私の噺では些か不足が過ぎると。」

「そうか。――ならば私が、話して差し上げよう。」
「うん。」

玄鋼は、まるで幼い頃に聞いた話を思い出すように遠くを見る目をすると、訥々と話し始めました。
「…今は昔、狐が山に居ついた頃よりも、更に昔の話だ――」

×
「#甘甘」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -