「玄鋼様! ようこそ御出でくださいました…。」
「直々に御出で下さるとは。有難う御座います。」
出迎えた悠と葵は、予め報せを受けていたとはいえ、驚きを隠せないようでした。
「悠殿。お心遣い、痛み入る。――遙は今宵、大切な儀を控えているのでな。私がこうして参ったのだ。」
「左様で御座いますか…。」
「…。」
「その事で、御二方に存じていて戴きたい事がある。」
すぐに下がろうとした葵に、玄鋼は声をかけました。
「はい。…それでは葵も共に。」
「ああ。」
「――こちらへどうぞ。」
葵は僅かに緊張している様子で、玄鋼を部屋に案内しました。
普段であれば、遙が家を訪ねる事はあっても、悠にだけ話をし、すぐに帰ってしまいます。
その内容は悠によって、後から葵にも伝えられるのですが、まさか突然玄鋼から直接伝え聞かされるとは、余程の事なのだろう、と、葵は緊張を隠せずにいました…。
「――今宵、遙は山を訪ねる。」
「左様ですか。それはお目出度い。」
「いよいよで御座いますね。」
「うむ。…山の神にお認め戴ければ、遙はまさしく我が家の跡継ぎとなる。その為の儀だ。」
玄鋼は、期待と緊張の入り交じった表情を浮かべて言うのでした。
そんな玄鋼の表情を汲み取り、葵はおずおずと口を開きました。
「もしも――お許しが戴けるのであれば、私もお供致しましょうか?」
「ほう?」――玄鋼は、それを咎める事なく問いました。「私一人で手は足りると思うが…何故か?」
「僭越ながら。遙様にとっても、無論この村にとっても、今宵の儀はきわめて大切なものです。玄鋼様としても、十二分に手筈を整えてお出ででしょう。しかし…」
玄鋼は、静かに葵の言葉に耳を傾けます。
「確かに、山の神に伺いを立てるは玄鋼様御一門のお役目。本来ならば、唯の村長の一族である私共は門外漢。お任せするより他にない、というのが道理といえば道理。ですが――私は、今は亡き銀翅様より、直々に手解きを受けました。村の為の儀であれば、私にもお手伝い出来ることがあるのではと思いまして…。」
「つまり――村の為に何か出来ることがあるならば、同じく村の一員である以上、喩え微力であろうとも手を貸したい。…そういう事だな?」
「左様です。」
「…変わらぬな、お主は。」――呆れたように、傍らの悠は言いました。
「全くだ。しかし――長いし諄い。気兼ねせず簡潔に話せといつも申している。」
「そういう訳には…。」
「村の皆の前では確かに気にすべき事もあろう。しかし今は私達しかいない。――気にするな。」
「ほら。玄鋼様が仰っているのだ。気を張るのは良いことだが、またすぐにぼろが出るぞ。」
「…。悠、俺を何だと――」
「そら、もうぼろが出た。」
「…。」――玄鋼は、声を殺して笑いました。
「…。………」――葵は、僅かに赤くなった顔をしかめました。
「ふふふ。」――悠は、愉快そうに笑いました。
「まぁ、好きにしろ。以前よりは良くなったな。」
「うっ…そ、そうですか…。」
「玄鋼様を練習台にするとは、お主もなかなか度胸があるな。」
「えっ。そ、そんなつもりは…」
「ある意味、私達の前だからこそ出来ることではあるな。」
「…其処まで気にするのなら、一度、指南するが?」
「いえ、玄鋼様のお手をこれ以上煩わす訳には…。」
「…そうか。もし望むならば、いつでも申すが良い。」
「…有難う御座います…。」
「構わん。…では今宵は、葵殿にも来て戴く手筈としよう。」
「はい。それではまた、宵に。」
そして、静かな夜が訪れました。
梔子や蓮華の手を借りて華やかな装束を纏った遙は、自らの足で山をのぼってゆきます。後には玄鋼と葵が、ひっそりと付き従うようについておりました。
銀翅は面をつけ、枝葉の影からその様子を見守ります。
その傍らには、十六夜の姿もありました。
『なぁ、やっぱり、うちが行った方がええんちゃう?』
『いや、葵がいる。君は以前、瑠璃として葵の前に姿を現しているだろう。――今になって、神だと言う訳にはいくまい。』
『うーん、いけると思うんやけどなぁ…。』
『君の着ている衣の色は、唯でさえ見た者の心に残る。あまり多く心に残れば、有耶無耶にするのにも手間なのだろう?』
『それは…そうやけど……。』
『――大丈夫。上手くやるさ。』
『気ぃつけや。』
『ああ。君もね。』
そう言って笑うと、銀翅は、遙が祝詞を詠み終えた頃を見計らい、枝葉の影からそっと進み出ました。
『――久しぶりだね、葵。』