第六話 山神

-leve-

それから玄鋼は、何事にも以前より懸命につとめるようになりました。
蓮華も以前よりは健やかになったようで、時折村人の前にも姿を現すようになったのだといいます。
遙は健やかな日々を過ごし、すくすくと成長しました。
朱鳥は村長の任を退き、悠と葵が共に村を支える立場となりました。

銀翅は、屋敷にある隠し部屋を去った後、十六夜の待つ山へと居を移しました。
以前よりも山深く、より山頂へ近いところへ移りはしましたが、入り用なものは玄鋼に頼めば、夜の深いうちに密かに銀翅の元へ届くので、さほど不自由なことはありませんでした…。

***

「まさか、こないな事になるとはなぁ。」
「…此処へ来て随分と経つのに、まだ言うのかい…。」

「まさかあんたら兄弟が、自分らで仲なおりするとは思わんかったわ。」
「…仲なおり、って…。」

「結局あれ、兄弟喧嘩みたいなもんやん。あんたは本気やったんやろうけど、端から見てたらあんたの我儘を兄貴が叱っただけにしか見えんかった。」
「…。」――私がそう言うと、銀翅は少しだけ、不服そうな表情を浮かべる。すぐに繕ったが、私の眼を誤魔化そうとしても無駄だ。

もはやそれさえ可笑しくて、やはり面白い。
「別に、茶化しとる訳とちゃうよ。」
「…笑いながら言われても、何の説得力もないよ。」――銀翅は呆れを隠そうともせずに、皮肉げともとれる表情で笑った。

むくれられても仕方がないので、こちらもひとつ種明かしをすることにする。
「――祟った甲斐あったなぁて、思てるだけや。」

「…祟った? まさか…」――銀翅はころりと表情を変え、怪訝な声音で問いかけた。
「そのまさかや。…おとんおらんくなってもいがみ合うてたら、流石にお手上げやったわ。」

「…、そうかい。……」――考えるような仕種をしたかと思えば、こちらに背を向けた。
「…何や、考え込んで。」――急に黙られては、流石に咎められるだろうかと、ほんの少しだけ不安になる。

「…いや。――有難う。其処まで気を回してくれていたとは、思わなかったよ。」
相変わらずこちらに背を向けたままだったが、銀翅はどうやら喜んだらしい。
「うん。…あのおとん自身、よっぽど村に恩感じてたんか知らんけど、ちっと上手くいかんからって自分のガキに当たり散らさんでもええわなあ。ええ迷惑やわ。お陰で兄弟揃って(ひね)くれてしもたやろ。」

「――そうなのかな?」――振り向いた顔は、いつも通り笑っていた。
「そこんとこの自覚は無しか。…まぁ、えぇわ。――そんで引っ込みつかんくなって、自滅やな。どっかの誰かにそっくりや。」
私がそう言うと、銀翅の笑みに苦みが混ざった。

「――せやけど、ちっと灸が効きすぎたんかな。水まで飲まんくなるとは…。」

「…? 何処か、腑に落ちない所があるのかい?」
「うーん。…あんたの家って、もとは何なん?」――おや、と言いたげな表情に乗せられ、気になっていたことを尋ねてみた。

「もと?」
「…いや、言いにくかったら、別にええんやけど。――何かこう、家に残ってる言い伝えとか、あらへんのん?」

「言い伝え、か。…そういうのは、私より兄の方が詳しいと思うが…。確か――」
遠くを見るような様子で、ぽつりぽつりと話されるそれに、私は耳をそばだてた。

***

君も知っての通り、この村では狐は悪いものだということになっているね。
では、よい神は居ないのか――それが、蛇神だといわれているらしい。

というのも、元々、君の山にいた神というのは蛇神だとされていてね。水の恵みを齎してくれる、善いものだと。
それが、あるとき村にくだってきて――私の祖先といわれている――村の男になにか約束事をした…らしい。

***

銀翅はそれだけを語り終えると、苦く笑って言った。
「…私が知っているのは、これだけだよ。」

「えらいざっくりやな。」
――どれだけ長い(はなし)が始まるのかと身構えたのに、あっさりと終わってしまったので拍子抜けだ。

「あまり教えてもらえなかったんだ。…これでは御役に立てそうにないか。」
「ふうん…。ま、そんならしゃあないな。今度、玄鋼に聞いてみるわ。――おおきに。」
銀翅に尋ねる以外に全く手がない、という訳ではない。急ぎでもないのだし、追々知る事ができればいいだろう。

「ああ、そうしておくれ。――では、兄に文を出しておくよ。近々話をしに来るようにと。」
「えぇの!?」――思わず、大きな声を出してしまった。
まったく立場の違う私に家の秘密を明かそうというのだから、言いにくいだろうし、気長にいこうと思っていたのだが、銀翅自らそう言うとは思っていなかった…。

「実際に話すかどうかを決めるのは兄だから、如何とも言い難いけれども…。私に出来る事はさせて貰うよ。」
相変わらず律儀な男だ。 ――しかし、以前はあれだけ毛嫌いしていた兄に、こうも容易く相談をするようになるとは。…こいつも色々と吹っ切れたらしい。

「――おおきに。」
「どういたしまして。」――早速文の支度をしながら、銀翅はにこやかに言った。


銀翅ばかりの手を煩わすわけにもいかないからと、粗方支度を手伝い。
「…しかし、水かぁ。その蛇神っちゅうんは、まだどっかに居るんやろか…?」
文を書き始めた銀翅の傍らで、さらさらと流れるような文字を眺めながら、ぽつりと呟いた。

「…。君にすら居所が判らないとなると、既に居ないか――余程、隠れるのが巧いのか…。本家では、未だに祀りごとをやっているようだけれどね。」
――そう話しながらも、銀翅は文を書く手を止めない。こちらの話を考え、受け答えをしながら文まで書くのだから、器用な男だ。こちらは悪戯のつもりで邪魔をしているのに、先程から容易くかわされている。

「…ほんまは、うちに対してやられてるあれも、その蛇神っちゅうんにやってるもんなんやろな…。おもんな。」
せっかくの悪戯が実を結ばないと分かって、どこか面白くない。それも相俟(あいま)って、余計に腹が立った。

「…、私や兄や――君の姿が視える者達は、ちゃんと君を敬っているとも。…昔はどうあれ、今は君が、この山の主だからさ。」――はい、出来た。
さらりと書き終えた文を見せられ、何だか負けた気がして悔しい。

「解ってる。…けど、もしそいつが居らんならともかく、まだ居ったとしたら、せやのに姿をあらわさんっちゅうんが、気に食わん。何考えとるんかが、さっぱり見えへん。」
――考えが見えないのはこいつも同じだ。そこが、気に食わないところでもある。

「…。そうだねぇ…。『約束事をした』という所に、何かあるのかも知れないが…。」
いつの間にか式神を出し、それに文を持たせると、式神はすぐに麓へと向かっていった。

「玄鋼にみっちり聞くしかあらへんなぁ。」――そうだ、銀翅がだめなら玄鋼に悪戯をしよう。これは良い楽しみを見つけた。
「…君がそうして笑うと、何処か薄ら寒いものを感じるよ。」――銀翅にも、私の考えが解ったらしい。器用な上に勘も鋭いとは、まったくもって隙のない奴。

「阿呆。――話してくれるまで村に帰したらへんとか、そないなことは考えてへんわ。」
流石に節度は弁えている。大きく事に出れば村が騒ぎになって、下手をすれば矛先がこちらに向くからだ。
有象無象といえど数があれば、投げつけられた小石程度には痛い。

「以前も言ったが、お手柔らかに頼むよ。」
「玄鋼次第やな。」

「…。………、へんな意地を張らなければいいけれど…。」
式神が飛んでいった方角を見遣り、銀翅は小さく息をついた。


玄鋼からの文は、すぐに届いた。
『近い内、遙を連れて行こうと思っていた。何事も無ければ、その時に。』
どうやらあっさりと話すつもりらしい。――まったく、二人揃ってからかい甲斐のない兄弟だ。

***

「今宵、山神様の御許へ参る。…礼を失する事の無き様、(とく)と念を入れて支度をせよ。」
「はい、父上」
玄鋼は遙にそれだけを告げると、すぐにその場を後にしました。

「…後は、以前話した通りに。」
「承知致しました、玄鋼様。――万事、この梔子(くちなし)にお任せください。」
玄鋼は、部屋の前で待機していた妻――梔子に、そう声をかけました。

「ああ。…お前がこの家に来て、もう随分になる。お前にだからこそ――任せられるのだ。」
「有難う存じます。」

「では私は、村長殿の所へゆく。」
「ええ。お気を付けて、行ってらっしゃいませ。」
僅かに微笑んだ玄鋼の横顔を見送り、梔子は誇らしげに後を見送りました。


「遙。」
「母上。」

「あなたが立派になったところを、山神様に――父上にも、御覧になって戴かなくてはね。」
「…? はい。…どうぞ、宜しくお願い致します。」

「…。」
梔子は、僅かに思案するような表情を浮かべると、家人にこう告げました。
「――支度をしましょう。蓮華も呼びなさい。」

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