第三話 黄雲(こううん)

-leve-

銀翅の食事は、すぐに終わりました。
暫くの間、何も口にしなかった銀翅ですから、突然大量の食事が用意された訳でもなく。粥のような物がひとつ、置いてあるだけだったからです。

銀翅は平然としていましたが、無理に起き上がっていなくとも良いと言いくるめて、横たわらせてからようやく、玄鋼は口を開きました。
「さて。…尋ねたい事は何だ?」

「そうですね…」
何から聞こう、と言わんばかりに悩む銀翅の様子に、玄鋼はそっと安堵しました。

「では、…此処は一体、何処ですか?」
「屋敷の地下だ。」

「地下。」
「恐らく初めは、氷室(ひむろ)のようなものだったのだろうが…。何時しか、このような…牢のようなものになったのだろう。」

「道理で、日が射さぬのですね。」
「ああ。…因みに今は夕刻と言ったところか。季節はそろそろ、春になる頃合だな。」

「そんなに…。」
「お前が倒れたのが、秋の中頃くらい。父上が亡くなったのは…冬の初めか…中頃、だったか…。」

「では、貴方が当主になるのは、もうじきですか。」
「そうだな。ひと月ほどを喪に服して、その後だ。」

「成程。…今はさぞ、お忙しいのでしょうな。」
「まぁな。だが――当主になれば、お前とこうして話す暇もなくなるだろう。今来ておいて正解だった様だ。」

「…。」
「…、其れで? 次は、何だ。」

「そういう事でしたら、この際、すべて訊いてしまいましょう。――何故、父上の意向を諫める様な真似をなさったのです?」
「…今更だな。此度(こたび)が初めてでは無いのだぞ。――お前は知らぬのかもしれぬが、父上は、お前が山に隠れ住んだ其の場所も、とうに突き止めていた。其処に暮らす女の真名も、其の女の正体も。」

「…!」
「其れを知った父上は、勿論烈火の如く怒り狂ったとも。…()りに()って狐に誑かされるとは、先祖の無念を忘れたか、とな。」

「村の者共をすべて集めて、お前諸共討ち取りにかかろうとさえ、言っていた。其れを――村人には漏らさぬ方が良いと進言したのは私だ。」
「…そうだったのですか。」

「ああ。――先祖の事も良く存じていた銀翅が、狐如きに誑かされる様な愚か者ではない。寧ろ如何にか狐に取り入って、村に出来るだけ長く実りをもたらそうとしているのだろうとな。事実、あれ以来、村が(かつ)えた事など一度もない。…無論、対価は必要だった様だがな。」
「…。」

「対価さえ払えば、この村はずっと続くのだろう。ならば取るべきは、対価を受け容れ、其の狐を神として敬うこと。神に見限られ…あまつさえ怒らせでもすれば、村が餓えるだけで済むとは思えん。」
「…ええ。」

「その対価――犠牲を快く思わぬ者も居るだろうが、其れは…突き詰めれば、生物が生きる為に生き物を食す事そのものを、咎めるのと同じ事。咎めるなら、受け容れられぬと言う者が、この地を去れば済む事だ。このままこの地で生きたいのなら、この地の定めに従わなければなるまい。若しくは、定めそのものを変えるかだ。」
「そうですね。この地の神を怒らせずに、穏便に説き伏せる事が出来れば。」

「…お前は、やったのか?」
「いえ、私は…彼女の出した条件を飲んだ身ですから。――変えてくれと此方から言うのは、些か難しいでしょう。」

「そうか…。…まぁ、今暫くは難しいだろうな。」
「はい。…稲が成らなくなったあの時では、ああするより外に無かったのです。…無論、皆が本当に納得したとは思えませんが…。」

朱鳥(あすか)殿も其れで良いと決めたのだから、万一責められるとすればお前一人ではないだろう。――(そもそ)も…お前はもう死んだ身だったな。ならば尚更――今になって責めたとて無意味だ。」
「…そう、なれば良いのでしょうが。」

「私を誰だと思っている。」
「…ほう。新しい当主様はえらく頼もしいですね。」

――揶揄(からか)うような銀翅の口振りに、玄鋼は愈々(いよいよ)舌を鳴らしました。
「…馬鹿にするな。」

「今迄散々私の影に隠れていた貴方が。突然矢面(やおもて)に進み出るような真似をして、無傷で居られるとでも?」
「くっ…。死人は草葉の陰で黙って見ていろ。」

「おやおや、御都合の宜しい事で。」――銀翅はからからと笑います。
いちいち勘に触る男だと、玄鋼は奥歯を噛むばかりでした。


「――自身の身ではどうにもならぬ事象がある事を、身を以て知ったからかもしれんな。私が子を授からぬのと同じ様に、お前の病も」
「…、…。」――玄鋼の言葉のせいか、銀翅の笑みに少し苦味が混ざったようでした。

「…人の手で…だれにも、どうにもならぬのなら、お前が障りを受けているのは、お前の所為(せい)ではない。祓えぬことこそ天の意志なのだと思う他、ないのだとな。」
「…。」――銀翅は黙って首肯しました。

「お前はもう随分と、己を恨んできた事だろう。其れが如何(いか)ばかりなのかは、私には計り知れないが…。其の恨みを罪だとして――お前がお前を恨むのなら、そして最早それを止むことが出来ぬのなら…それだけで(とが)には十分だろう。その呪を受けるのもお前。呪詛返しをしたとて、返る先もお前だ。…お前の好きに果てるがいい。」
「成程。…貴方がわざわざ呪うまでもない、と。」

「そうだ。」
玄鋼は、いかにも関心がないといった表情で、そう言い切りました。

「…では、それでも尚、私を捨て置くのは何故です? 私をこのまま生かせば、貴方も呪を受けるやもしれぬというのに。…私が呪っているのは私だけではない。貴方もなのですよ?」
「望むところだ。…これ以上、呪えるものなら呪ってみるがいい。返すくらいは造作もないのだからな。」

「面白い。…此処では日がなやる事もなく、過ごしていましたから。…少しは楽しめると良いのですが。」
口ではそう言いつつも、呪う気など失せたとでもいうように、銀翅は晴れやかに笑いました。

「…。少しは、生気が戻った様だな。」
玄鋼にもそれが解ったようで、嬉しさからか、僅かに目を細めました。

「お陰様で。…黄泉(よみ)より死者を呼び戻すとは、貴方もなかなか肝の太い男の様だ。」
「神を説き伏せたお前が言うな。…それで」

「…まだ、何か?」
「お前はここから、何をのぞむ?」

「…、さて。…此処から出してくれと言ったところで、私は死人(しびと)ですから。死人が村を出歩けば、忽ち貴方に祓われてしまいますしね。――死人は山へ還るべきでしょう。」
「…何も、聞かぬのか?」

「…死人に口無し、と言うではありませんか。」
「ばかを言え。全くお前は――」

呆れた様子の玄鋼は、長く息を吐いて尚、続けました。
「蓮華は今、私の妾のひとりだ。お前の死を聞いた時はひどく嘆いて、絶対に親元へは帰らないと言い続けたから、仕方なく、な。」
――玄鋼の言葉に驚いていた銀翅の顔は、少しずつ憂いを帯びてゆきます。

「…遙は梔子が、それはそれは大切に育てている。…悠殿はじきに、葵と共に朱鳥殿の跡を継ぐだろうな。」
――そして最後にはやはり、何処か苦く笑むのでした。

「それから。…先頃、これが届いた。」
玄鋼は唐突に、懐から文を取り出しました。

「…これは?」
差し出されたそれを見れば、宛名は玄鋼のものでした。銀翅は、私が読んでもいいのか? と怪訝な表情を向けました。

「読め。お前の式とよく似ていたから、驚いたぞ。全く…」
玄鋼はそう言うと、尚も不機嫌そうに去ってゆきました。

「…? ふむ。」
銀翅は珍しいものを見たような気持ちで、ひとまず文に目を戻しました。

開くと、その文には、ただ一文。
『銀翅 ()よ帰ってきぃや』――それと、けものの手形がふたつ。

「…く、」――あははは、と、銀翅は思わず笑いました。
その声が届いた玄鋼は、ふと足を止めます。その顔は自然と(ほころ)んでおりました。

「やれやれ。すべてお見通しという訳か。」
銀翅は、――侮れぬな、と、いずれにも向けた笑みをそっと浮かべました。

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