第二話 流転

-leve-

その時玄鋼は、ちょうど見廻りを終え、帰ってきたところでした。
「言伝、だと?」
「はい…。『私は貴方に殺されたりしない』と…。」

「…それだけか?」
「…、恐らくは…。」

「ふむ…。」
「玄鋼様、私がこのような事を口にするのは過ぎたことと、わかっております。ですが、どうか…一度、お話しになった方が良いのではないかと…存じます。」

「そうか。…そうだな。あと数日もすれば身が空くだろう。」
「…っ、あの」

「何処に人の耳があるか判らん。以後、この話は廊下ではするな。」
「…、はい…。」


玄鋼はそう言うと、支度を解きに自室へ向かいました。
疲れているはずなのにその素振りを見せぬまま、自室に入って漸く、玄鋼は息を吐きました。

『――お休みですか?』
玉を転がすような声がしたかと思えば、虚空から滲み出るように、翠玉が姿を顕しました。

「ああ。」
『頃合いを見て起こしますので、適当にお休みくださいな。』

――…、いちいち勘に障る…。
『貴方こそ、気の細やかな方ですね。』

「心を読むな。」
『貴方の気が弛み過ぎなのですよ。』

――喧しくて、おちおち眠れやしない。
玄鋼はそう心の内でぼやくと、くすくすと聞こえる声を背にして横たわりました。
その様子からして、しばらく眠っていなかったのでしょう。荷を解いて横たわると、すぐに寝息を立てるのでした。


――今すぐに、と言おうとしていた使用人は、玄鋼の自室の前で立ち尽くしました。
暫くの間、その場をうろうろと悩ましげに歩き回りましたが、結局は自身のつとめに戻ってゆきました…。


結局、玄鋼が銀翅のもとを訪ねたのは、それから更に十日ばかりが経った頃のことでした。
「――具合はどうだ。」
「…、…。」
その言葉に目を開けた銀翅は、話す事などないと言わんばかりに口を閉ざしました。

「近頃、食を絶っているそうだな。どこか悪いのか? ――或いは何か、願掛けでもしているのか?」
――白々しい。銀翅は胸の内で呟きます。

「…。」
玄鋼はその様を見、どうしたものかと顎を撫でました。

「…別に、毒など入っていないぞ。」
せめて水くらいはたくさん飲んでくれればと、使用人が置いた桶を見、玄鋼は呟きます。――その水さえあまり飲んでいないのか、桶の中には水が多く残っていました。

「…。………」
それにさえ答える言葉はなく、玄鋼は尚も言葉を探ります。

「…、『殺されたりしない』だったか。…お前、何か誤解をしているようだな。何を考えている?」――こうなれば根比べ。とことん声を掛けるしかない。
そう思った玄鋼は、訥々と話し始めました。
「私は家人から、お前が(めし)を食わぬようだと聞いて、気がかりだから来ただけだ。元よりお前を殺すつもりなどない。あの言伝は――何だ。どういう心算だ。」

「……、」
――その言葉に銀翅は、玄鋼をちらと睨みました。

「『殺されたりしない』等と言いながら、お前のやっている事は何だ。食を絶ち、結局は死に向かっている。…『こんな牢など出されるまでもなく自ら抜け出でてやる』とばかりに気概に溢れているのかと思ったが、様子を見るに其れ所ではない様だしな。」
玄鋼は、衰え始めた銀翅の手先を見、吐き捨てる様に言いました。

「…お前の事だから、既に察しているとは思うが。」
「…。」

「お前は既に死んだ身だ。…傷を負ったお前が此処に運ばれてから、もう随分になる。…最初は行方が分からぬという事にしていたが、お前はずっと目を覚まさず…。段々と、もう戻らぬのではと、村人達も殆ど――諦め始めてな。」
「…。」

「私も父上も、お前はもう目を覚まさぬのだろうと思い、お前を、形の上では死人にした。父上は…益体無しはさっさと消せと仰ったが、私が適当な事を言って諫めた。…その矢先だった。――父上が、斃れたのは。」
「…!?」

「――流石のお前でも、其処までは考えが至っていなかった様だな。」
驚き、目を見開いた銀翅の様子に苦笑すると、玄鋼は尚も話を続けました。

「…、父上は…何処か妙な亡くなり方だった。何かの障りかと色々と調べたが、何れも意味を為さなかった。」
「…。」

「以前から、父上の御身体の具合は(かんば)しくなかったのだが、更には…ある時から、ものをあまり召し上がらなくなった。その所為で尚更、臥せる事が増えていたな。――最期には、水すら摂れなくなっていた。…今の、お前の様にな。」
「…っ。」――銀翅は僅かに、言葉に詰まった様子を見せました。

(もっと)も、お前の場合は自ら其れを選んでいるのだから、障りなどではないだろうと判ってはいるがな。…長い事顔も合わせていなかった筈だというのに、最期は似るものなのか。」――皮肉げに笑う玄鋼に、銀翅は微かに顔を赤くしました。

「…なぜ」――そしてぽつりと呟くと、辿々しく口を動かしました。
「――何故、私を生かすのですか。父上も私も死人となり、今や貴方は当主の身でしょう。私が生きていると万一知られでもしたら、様々な狂いが生じるでしょうに。」

「何故。――そうだな…」
玄鋼は眉をひそめ、勿体振る様にわざとらしく腕を組み直しました。
「父上とお前は同じ死人だが、間違いなく異なっている点がある。」

「…? 其れは、何です?」
「解らぬのか。」――玄鋼は呆れた様に、息をひとつ吐きました。

「お前の身体は、まだ生きている。」
「…、」

「父上は本当に死んだ。――お前は立場上、死んだ事になった。…此れは断じて、『同じ事』では無いのだぞ。」
「…しかし…、それでは…私は、何を」

「何をするのか、決めるのはお前だ。」
「…。」

「お前がこのまま本当の死を選ぶのなら、勝手にするが良い。――今までお前に指図をした連中は、既にお前の事に等関心は無い。お前は立場上、死んだのだからな。ならば、何を為すか決めるのは、お前自身しかいない。…そうだろう?」
「…。……………、……」

「…ではお前は、私が死ねと言ったら、死ぬのか? 『私は貴方に殺されたりしない』等と言っておきながら、結局は私に殺されるのか?」
「…嫌です。――貴方にだけは殺されたりしない。絶対に。」

「そうか。」
玄鋼は満足そうに頷きました。
「――ならば、勝手にしろ。」

「…。」――銀翅は僅かに頷きました。
「何時でも好きな時に、此処を出て行け。…まぁ、その前に――その痩せ細った身を、如何(どう)にかする事だな。」

「言われなくとも。」
「…。すぐ、これだ。生意気な口を利きおって。」――玄鋼は鼻を鳴らしました。
そしてそう言いながら立ち上がると、外で待機していた使用人に食事を運ばせるように言いました。


予め用意されていたのか、すぐに、食事が運ばれてきました。
「――それで、兄上。」
「何だ。」

「…当主となる為の儀式は、もう済まされたのですか?」
「其れは、父上の喪が明けてからだ。従って――厳密にはまだ私は当主ではないのだが、私を慕う者達が、そう呼び始めている。…気の早い事だな。」
やれやれと言わんばかりに、玄鋼は長い息を吐きました。

「そうですか…。」
「話は後で幾らでも聞いてやる。――()ずは食え。」
憐れむように呟かれた銀翅の言葉でしたが、玄鋼はそれをはぐらかすように、銀翅に食事をすすめるのでした。

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