第一話 乖離(かいり)

-leve-

夢と現の(あわい)より。
確か私は何時もの通り、村で起こる怪異を鎮めようとしていて。
みなもとを突き止めて、祓おうとした折に――大怪我をしたはずだった。
しかしどうやらその傷はもう、随分と癒えたらしい。

眠りが過ぎた目を瞬く。しかし変わらぬ辺りの暗さに、よもや目すら失ったのかと思ったが、何のことはない。
座敷には障子もなく、明かりも点されていなかった。

少しして、目が慣れてくる。
――自身が臥す布以外に、これといって物はなく。かといって、伸ばした手に感じている感覚は、地面とはまた異なる。物の少なさからして、急遽(あつら)えた場所のようだ。

…否、違う。
如何にも重そうな扉の向こうから聞こえてくる音は、幾重にも連なる鍵の音なのだろう。――となれば。
元よりこの部屋には、物など必要ないのだ。…なかにいる者が最低限、眠ることさえできるのなら。

恐らくここは、鎖された牢の内。
遥か昔に折檻を受けた時でさえ、ここまで重く鎖された部屋に入ったことはない。――それが意味する処は…。

「銀翅様。気が付かれましたか。」
錠の解かれる音と共に明かりを携えて入ってきたのは、家人(けにん)のひとりだった。

「ああ。…たった今、ね。」
「良う御座いました。当主様もさぞ、お喜びになられましょう。」

「…。」――手持ちの道具を失わずに済んだ、という意味では、確かに。
皮肉を込めて笑ったが、明かりが点って尚闇の深い牢の内では、家人の目には映らなかったらしい。

「――当主様にお伝えして参ります。」
家人はそう言うと、何処かへ去っていった。

すぐにまた、錠の音がする。其れは暫く続いた後、はたと止んだ。
――抜け出そうにも、此方は怪我で動けぬ身。にも関わらず、此処まで厳重に鎖すとは。

何故そこまでするのかは、大方見当が付いている。
恐らく私は、既に…。

***

それからまた、幾月の後。
銀翅の傷はすっかり癒えたものの、牢の内では出来る事もなく、退屈を持て余している銀翅の姿がありました。

銀翅が目を覚まして以来、世話をしてくれる使用人以外は、誰も訪れる者はおりません。
銀翅は、常に薄暗く昼も夜もない牢の内では、眠るより他に、退屈を紛らわす方法を知りませんでした。

もちろん、眠る以外に全く何もしない訳ではありません。
目を覚まして食事をし、出来るだけ身体が(なま)ってしまわないよう、狭くも広くもない牢で身体を動かすのです。

――しかし、銀翅には病があります。
身体を動かすだけで一日を終えられるほど、銀翅の身体は強くはありませんでした。

まだまだ動き足りないのに、息が上がるとすぐに咳へと変わります。
それに苛立ちを覚える事さえ、銀翅には無意味に感じられました。病の身である銀翅にとって、身体を動かす事はあまり好ましい事ではありませんでした。何もやる事がないから、こうしているだけなのです。


「――ひとつ、尋ねても良いかい?」
ある時銀翅は、食事を運んできた使用人に、重い口を開きました。

「…。当主様より、何を尋ねられても答えるなと、仰せ付かっております。」
「そうか。…では、答えなくて良いから、話を聞いておくれ。ここは話をする相手もいなくて、どうにも退屈しているんだ。」
「…、はい。私で良ければ…。」

おずおずと頷いた使用人を前に、
――聞き流してくれれば良いからね。
と前置きをしていつものように微笑むと、銀翅は嬉しそうに口を開きました。

「村では――私は既に、死んだ事になっているのだね。もはや私には、あれから何日経ったのかも、今が朝夕の何時なのかも判らないが…今まで訪ねる者もなく過ごしている。」
「…。」

「父は元より、このような場所にお出でになる事などあり得ない。――兄ならば…、嫌味ったらしく文を送りつけてくるくらいはしそうなものだが、それもない。…となれば」
「…。……」

「既に私は死んでいて、関わる必要もないから、こうして放ったらかしにされている。」
「…、」――使用人は、何か言いたそうにしましたが、それをぐっと堪えました。

「私は、あの傷で――死ぬものと思われていた。私もそう思っていたが…何の因果か、生き延びてしまった。それで、どうする事もなく、地に足がつかぬようなことになっている――」
銀翅は、真偽を問うように、使用人に目を向けました。

使用人は口を開きませんでしたが、その仕草や様子からして、どうやら図星らしいと銀翅は思うのでした。
「死人を外へ出すわけにもいかないから、傷が癒えても外へ出られない。かといって殺すには惜しいから、ここで意味もなく生かされている。――否、それとも単に、私が油断する隙を窺っているだけなのかな?」

其処まで言って漸く、使用人は叫ぶようにして、言葉を発しました。
「玄鋼様は…! お忙しいからお出でになれないだけで、銀翅様の事をいつも、気に掛けておいでです…!!」

――くす、と銀翅は笑いました。
「ならば益々気味が悪い。私に関心を持っていて、予想に反して私が目を覚まし、日々を持て余している事もすべて解っているのに…こうして君達に世話をさせたり、食事を与えたり…。どうせ死人ならば、なまじ生かさず、さっさと殺せば良いのに…!」

「…っ。」――使用人はさっと青ざめ、唇をかたく引き結びました。
「君にはどうせ、私の様子を兄に伝えるお役目があるのだろう? ならば、これも伝えておくれ。――『私は貴方に殺されたりしない。』」

使用人はその言葉を聞いて、逃げるようにその場を後にしました。
己が咄嗟に口にしたことで、銀翅を傷付けてしまった。その事を嘆いたのか、決して口を開いてはならないと言われていた禁を破った事実に慄いたのか――或いはその、両方か。

どこか騒々しい牢の外の事など意にも介さず、銀翅はぽつりと呟きました。
「――無意味な生を歩まされ、貴方に殺されるくらいなら…私自ら死を選びます。」
銀翅はその言葉と共に、運ばれてきた膳を蹴り付けました。

――銀翅はその時以来何も喋らなくなり、自ずと食を絶ちました。

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