「…堪忍な。」――そう言いつつも、私の頬は確かに笑んでいた。
目をつけていた通りだった。
何と甘美なのだろう。
あいつの魂を喰らうなんて絶対に厭だったのに、そんなことも忘れるくらいに。
――ひとの魂のうちにも、美味いものと不味いものとがある。
不味いものを喰らってしまうと、少なくとも数日は何も口にしたくなくなる。もちろん、腹は減るのだが。
美味いとか、不味いとかいうのは、どうやらその魂の持つ“特性”のようなもので決まるらしい。相性が良ければ美味く感じて、相性が悪ければ不味く感じる、という単純なもの。
魂を喰らううち、その程度のことは察しがつくようになった。――これも、あいつが執り成してくれたお陰で得た経験だ。
執り成してくれた本人を喰らって確証を得るとは、何という皮肉だろう。
得になるように動く、とは言ったものの、これではあんまりではないか…。
「…。けど確かに、得は得やな…。」
あいつの持っていた――魂の力とでも言うのか――そのお陰で、以前よりも随分と力を得た。
これで、余程のことがない限り、穢されることはあるまい。
あいつを祓うための力を、
あいつを喰らうことによって、ようやく得た。
こうでもしなければ、穢されていたのは私の方かもしれない。
それ程までにあいつは、強い力を従えていた。封じたはずの、数多の印を解くことによって。
最も忌避すべき事態を避けて通れぬまま、此処まで来てしまった。
あいつが全てを壊し尽くしてしまう前に、私が止めなければいけないのだ。物怪に魅入られてしまったあいつでも、私の声にならば耳を傾けるだろう。…そう、信じたい。
思えば、初めからそうだった。
あいつはこんな事をしなくとも、多くの力を持っている。
物怪達にとってはまさしく極上の餌。
此度のように狙われた事は初めてではないだろうし、寧ろ――数え切れないほどあったに違いない。
このような事態を避ける術なら、あいつは既に遣り尽くしているだろうし、その為の心構えも、日々精進して培っていた筈だ。
――あいつは日々を怠ってなどいない。それを否定する事は、私が今まで見てきたあいつを否定する事になる。
だから、それでも。
それでも、あいつがこうなってしまったなら、それはもう…。
――違う。断じてさだめなどではない。
あいつは、こうならないように、毎日無理を重ねて精進していたに違いない。
それが村の為でもあり、あいつ自身の為でもあったのだ。
そうしなければ、ただ村に物怪を呼び寄せ、徒に災厄を呼び込むだけの者に成り果ててしまう。そうなれば恐らく、直ぐに始末された事だろう。
「――うちがやらんで、どないするんや。」
村に向かいながら、そう己を叱咤する。
それでも尚、物怪に魅入られてしまったならば、一体どうすれば止められるのか、見当もつかない。――しかし。
長い間そう言い続けて、村を支えた人間を知っている。
何より、喰らわれる寸前にさえ、あいつは信じていたのだ。――まだ、間に合うと。
間に合う、間に合わない、ではなく。――間に合わせなければいけない。
まだ、たったひとりでも、生きている人間がいるのだと信じて。
今こそ――あいつの知恵を借りたい。
喰らって力にしたのは、浅知恵だったのか。…解らない。
今更になって思う。
あいつはやはり、強い人間だったのだ。
けれど――そんな珍しい人間でさえ、迷うこともある。
それを知った今なら。…少しだけ、やさしくなれるような、気がした。