あの悪夢、と言って良い程の出来事は今にも夢に見る程だ。人生嫌な事は1度や2度あると思うが忘れられない過去なんて丸めて捨ててしまいたい位だ。飛び起きて時計を見ればまだまだ深夜、起きて何かするにも面倒臭い。サイドテーブルに置いてあった飲みかけのペットボトルに手を伸ばしフタを開ける。水の冷たさが気持ち良かった。
昔、仕事で大きくしくじったお蔭で人生はがらりと変わった。当時の上司は行方知らず、対立していた組織は解体され仲の良かった同僚は今何しているのかも分からない。辛うじて自分と一緒に行動していた部下たちは全員逃がす事が出来たものの、故郷に留まる事は出来ずやむを終えなかったが海外へ逃亡してきた。いわゆる、『悪の組織』で自分は働いていたのだ。数年経った今もきっと警察は追いかけているのだろう。ただ他の同僚と比べ、自分の立ち位置的にも情報が割れていなかったのは幸いな事だった。だからといって今更真っ当な道を歩むなんて事、考えられないが。
目が覚めてしまい目を瞑っても寝れそうにない。仕方無くベッドから起き上がり部屋の電気を点ければ、昔からの相棒が首を擡げてこちらを見た。
「タバコ、吸いに行くけれど」
付いて来る?そう聞けば嬉しそうな様子ですり寄ってくる。顔付きも怖く更に巨体からは想像しにくい彼だが、進化する前はそれはそれは可愛らしい子供だった。ニュースで野良騒ぎも当時はあったなぁ、なんて想いながらもジャケットを羽織り、部屋から出る。タバコは吸うが嗜み程度、だ。金は節約して持っていた方が良い。いつ警察に追われるか分からないのだから貯蓄した方が高跳びできる。
紫煙を吐き出し空を見上げる。遠くの方は眩い光を放っているがここは違う。都会らしく華やかといえば華やかであるが、裏路地を進んでいけば華やかさは失われ、自分の様な『わるいひと』の住処となる。安いマンションやアパート、居酒屋やはたまた危険な物々交換…都会らしさが滲み出る場所に部屋を借りた。華やかな町や穏やかな場所は居心地が悪かったのである。明日の仕事の為にも、タバコは1本と決めていたので大人しく携帯灰皿にカスを押し込める。そろそろ寝ないと、肉体労働は辛いのだ。欠伸をしてから帰ろう、彼に促しマンションの方に足を向けた―――が叶わなかった。目の前の細い路地から喧しい声が近付いて来る。どうやら質の悪い呑兵衛がこの路地に迷い込んでしまった様だ、酒場や賭場はもう1つ2つ手前の路地にある、恐らく反対に進んできてしまったらしい。放っておけばその辺で酔い潰れて朝を迎えるか、自力で帰るかのどちらかのパターンだがどちらにも当てはまらなかった。
「おいおいテメェ、何見てるんだ!見せモンじゃあ、ねぇーんだぞ!」
酒臭い。むわり、体中から臭うアルコール臭に思わず顔を顰めた。飲みたいのに、仕事があるから我慢しているというのに。黙って歩き始めようとしたが肩を強い力で掴まれてしまい身動きが取れない。落ち着いて、と声を掛けても帰ってくる返事はンだとゴルァという要領を得ないもの。一方的にがなり立てる男は運が悪かったとしか言い様が無い。揉め事を解決するだけの労力が好きではなく、道徳という言葉と縁が無い俺に絡んでしまった事が運のツキだった。誰も見ていない事を祈り、側に待機していた彼に一言。
「トドゼルガ、やれ」
慣れている俺の命令。まず足を凍らせ、相手が慌てふためいている間に俺は手を振りほどき歩いて行く。トドゼルガの頭を撫でてもうひと押し、と言えばのそのそと動いて男にのしかかりを食らわせた。もがき苦しんでいるがそんな事関係ない。証拠隠滅という名前のもみ消しよりははるかにマシな目だろう。そのうちぴくりとも動かなくなった男の上からトドゼルガは無言で退き、俺は襟首を掴み路地裏を抜けたゴミ捨て場まで引き摺って行った。悪酔いしたから、と記憶吹っ飛んでくれないかなと願いつつ。
わるいこだあれ
「帰ろうか」
汚い路地裏には喧騒はいらない。欲しいのは不気味なくらいの静かさと居心地のいい暗さだ。こういう事をしているから、俺はいつまで経っても『わるいひと』を卒業出来ないのだろう。泥濘の方が生きやすい事だってあるんだぜ。