わたしはその目に一目で虜になったに違いない。わたしとは全く違うの髪の色、目の色。そして何より直感で分かったのだ。
『この人なら、わたしの事を必要としてくれる』―――と。
「小娘、私の質問に答えろ」
「なんですの?」
「今、貴様が見ている物は何だ」
噎せ返る様な血の臭いと、肌を舐める様に生温く吹く風。汚らしい路地裏にそぐわぬ美しさを持つ目の前の男は、自分の父親と比較するのもおこがましく思える、いやおこがましいと思う事が当然なのだとハッキリ分かるオーラを放っていた。
「乞食だったのが1つ、汚い路地裏で死んでる。あとは目の前にいるあなた」
「それだけか?」
「あと、他の人には見えないわたくしの友達。この子、かわいいでしょう?」
わたしからウネウネと生えている、オリーブ色の"友人"を愛おしく撫でる。誰にも見えないわたしの友達は、わたしの絶対の味方だから。
「わたくしの友達はわたくしの事を悪く言わないわ。他の人からも見えないの、でも分かるんでしょう?だから見ている物はなんだって聞いたんでしょう?それに今からあなたが何をするかも分かってる」
「どうしようというんだ?」
「わたくし、今逃げているの。そうしないと知らない男の人に売られちゃう。だから逃げて来たのよ。この子しかもういないの」
こんな夜中に子供に話しかけてくるなんておかしいに決まってる。しかも綺麗、とは思ったけれどゾッと凍ってしまいそうな美しさを持つ男の人に。目はギラギラ光っているし、気のせいかチラリとキバも見えた気がする。夢でも見ているのかしら、と思うが擦りむいた膝はヒリヒリと熱を持っている。
「名前は」
「無いの。さっき捨てちゃったから」
「そうか。希望はあるか?」
「ない、でも短くて覚えやすくて、偽物だって分かる様なチンケな名前で良いの」
だってどうせ名前というのは記号でしかないから。そう言ったのは誰だっけ、いつだっけ。ずっと一緒に生きて来たあの名前は重すぎた。だからさっき捨てたのだ。あぁ、これでどこにでも行けるんだと。解放感を感じたんだ。それに。
「きっとどんなヘンな名前でもそれがしっくりくるんだと思うの。最初からわたくしであった様に、受け止められるんだわ」
多分わたしは良い子じゃない。親の言い付けを破ってしまった子供。もう帰れはしないのだ。だからわたしはゆったりと微笑み、敵意が無い事を示すかの様にガラスの破片を手放した。
わたしの血と、名前も知らぬ乞食の血が付いたガラスの破片はガチャンと音を立て、割れた。
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