カプに拒まれた。一言で状況の説明が終わるたったそれだけの事実がウィリの将来を左右するには十分な理由だった。
アローラのウラウラ島に生まれたウィリはキャプテンを務め上げる父とその父を支える母の元で育って行った。アローラは温暖な気候であるためこおりタイプのポケモン数が少ない。しかしウィリはこおりタイプポケモンに幼い頃から惹かれていた。きっかけは父親のサンドパンの美しさだっただろうか、それとも野生のキュウコンに見惚れた時だっただろうか。自分もいつかは立派なこおりタイプのエキスパートになるんだ、決意するには十分な理由だった。
父親と母親からの大きな期待を背負いウィリは11歳を迎えた。アローラの子どもは一定の年齢になると一人前に成長するために存在する儀式を受ける資格を得る事ができ、多くの子ども達が旅に出る事となる。もちろん旅に出ないという選択肢もあるが、ウィリは旅に出る事が当然であると思ってる。それもそのはず、彼女の両親も当たり前のようにウィリが島巡りに挑むのだと幼い頃から言い聞かせてきていたのだから。
島巡りは楽しいものだった。時には険しく、厳しい試練が待ち構えていてもポケモン達と、そして旅で出会う同じ様なホープトレーナー達と力を合わせ、知恵を絞り進んでいけば怖いものなんて無い。多くの出会いと別れを経験してゆっくりと、しかし確実に島巡りは進んでいった。生まれ故郷であるウラウラ島に戻ってきた時、あんなに親しんでいたラナキアマウンテンが非常に大きな壁に錯覚を覚える。なにせしまキングを務めるのは自分の父親でありポケモンはこおりタイプ。こんなにも強大な壁になるとは思いもしなかったのだ。
何度も負けを繰り返し、時に諦めそうになって。ようやく父を、しまキングを倒した。その時の達成感はきっと忘れられないだろう。『流石自慢の娘だ』、満足げに父は笑っていたのだ。優しい手で、撫でてくれたのだ。その時までは。
ウィリはそっと心に決めていたことがある。カプ神から授かったZリングを使うのはこおりZクリスタルを手にした時だと。最後に選んだのが氷の大試練であったため長い島巡りを経てようやくZわざを使う時が来たのだ。期待に心を弾ませてウィリはZクリスタルを手にし、Zわざを使おうとした。大丈夫だ。お前ならできる。父親の言葉を胸に。
「なんで、」
無意識にこぼれ出た言葉はか細く震えていて、今の自身の気持ちを表していた。Zリングに嵌めていた筈のクリスタルをそっと掴めばピリリと痛みが走り仄かな反射を返す水色と真っ赤な赤が入り混じっていた。
父の動きを真似てZポーズを取ったその瞬間、パキパキと不吉な音を立てZクリスタルが恐ろしい程に光り輝き―――暴走という表現が一番ふさわしかった。パリィンッ!!ガラスを割った時のようなけたたましい音を立て、ウィリのZクリスタルは砕け散った。こおりZだけではない、すべてのクリスタルが、だ。これが何を意味するか。ウィリもウィリの父親も痛い程理解していたが頭がそれを認めなかった。
―――カプに拒まれた。
それはウィリの将来を左右するに十分な理由になりうる。
ウィリの身に起きた事件はあっという間に周囲に広がっていった。しまキングの子がカプに拒まれたと。Zクリスタルは未熟なものが使うと砕け散る事はあるがすべてが砕け散るだなんてそうそうあることでは無い。となればウィリに好奇の目が寄せられるのは時間の問題であった。父親は狼狽え、母親は涙し、ウィリに詰め寄った。カプに何をしたのだと。キャプテンの娘であるのにあってはならない事態を引き起こした事を責め立てた。そして、ウィリの今後を決定付けてしまった。
くり返されるその行動に飽き飽きしたウィリは心底うんざりとした顔で両親に向かい合う。幼い頃から物静かであまり表情筋の動かなかった顔が今日も今日とて仕事をしないまま、彼女は両親に向かってぼそりと吐き捨てた。
「くっだらない」
たった一言。どの氷よりも鋭利で、酷く冷めきっていた言葉。
「カプが気まぐれなのも、島巡りをこなしたからといって全員が全員Zクリスタルを使える訳じゃないのも、ずっと昔から言われてるじゃん。今更大騒ぎすることじゃないでしょ」
暗く澱んだウィリの声がしんと静まり返った空間に響く。なにも島巡りで学んだことは楽しく明るく幸せなものだけではないのだ。島巡りを途中でやめた者に対する態度やカプの気まぐれによって人生が狂わされた者の末路など、歴史の闇にそっと押し込められていた所まで敏い彼女は見ていたのだった。だからウィリは考えていた。もしも自分がそのような境遇になってしまったらどうするのだろう?ポケモン達は自分についてきてくれるだろうか?両親はどんな反応をするのだろう?周囲は?―――その結果がこれである。瞳に込められた感情がどんなものであるか、その位は分かるつもりだった。
「ポケモンバトルで負けた時はポケモンに怒鳴り散らすの?そうじゃないでしょ。一緒に何が悪かったのか、どこが良かったのかを考えて次に進んでいくんでしょ。なんでバトルでそれができるのにヒト相手でそれをやらないの」
アローラは素晴らしいところだ。ヒトとポケモンが共存していて、自然が豊かで、根強い信仰心がある。でもそれだけじゃあだめだった。あまりにも閉鎖的過ぎた。それが旅をしてきてウィリが思ったことである。
「私はキャプテンになれない。クリスタルを使えない理由も分からない」
それで落ち込んでも構わない。泣いて暴れたっても構わない。でも、とウィリは考える。そこで立ち止まっても何も起きないのだと。立ち止まってもいいからもがくしかないのだ。
「でもカプだけが、アローラだけが全てじゃない。アローラに必要とされていないなら私は他の地方で生きていく。キャプテンとかカプとかはそれに見合った人がこなしていけばいい話だよ。逃げてるみたいで癪だけどカプは私を選ばなかったんだ。父さんは選ばれたけれど私は選ばれなかった。それだけじゃん」
他の地方は大試練ではなくポケモンジムを制覇して旅をこなしていくらしい。途中で挫折しても周囲は責立てる事なく温かく迎え入れてくれることが多いのだと旅の途中で知り合ったバックパッカーは言っていたが、両親の反応はまさに正反対の物だった。こおりタイプの使い手である彼女は氷以上に冷え切った自分の気持ちに気付いていた。
「父さんと母さんは何が欲しかったの。私にはわからないよ」
娘が欲しかったのか。それとも次期キャプテンを約束された将来有望なトレーナーが欲しかったのか。ただただ分からなかった。無言になり戸惑う両親を見て、はぁ。小さく息を吐くしか逃げ道は残されていない、そんな状況がただただ悲しくて。
ウィリはひとりアローラを去るしか己の心を守る手段が無かったのである。