蝉の声が降り注ぐ夏。毎年この季節にだけ、彼はこの町にやってくる。

「久しぶりだね、ナマエ」

懐かしい顔で笑う彼は、去年の夏に見た時よりも少しだけ大人びた顔になっていた。
「久しぶりだね、先輩」そう言って、私も笑い返すと彼は嬉しそうに私の頭を撫でた。
彼、はたけカカシは私の二つ上の先輩だった。先輩は一昨年の春に無事に東京の名門大学に合格し、それからはずっと東京で暮らしている。先輩は年に一度、夏休み中のこの時期にだけしか帰ってこない。以前、お正月にも帰って来てくださいよと言ってみたところ「そっちの冬は寒いからね」とやんわり断られてしまった。

ちなみに私は高校一年の頃から先輩に片思いをし続けている。当時、高校三年だった先輩は生徒会長で、彼の演説を聞いて一目惚れした私はすぐさま生徒会に立候補して参加した。私の役職は書記。地味で目立たない仕事だったが、先輩のためならと思い、書記以外の仕事も手伝ったりと熱心に取り組んだ。そして日頃の努力の甲斐もあって、ようやく私は先輩から一目置かれる存在になった。それからというもの、私達はあっという間に仲良くなり、今では先輩が卒業した後もこうして年に一度の夏の日にだけ会うことになっていた。けどそれは私が一方的に「会いましょう」と声を掛けているだけ。「会おう」と彼から声を掛けられたのは一度もなかった。

「ナマエ、少し背伸びた?」

先輩は私の頭をポンポンと軽く叩くと、からかうような笑みを向けた。子供扱いされていると判断した私は慌てて「やめてください」と、手を払い除ける。先輩は気にする素振りもなく、払われた手をポケットに入れると「ごめんごめん」と軽く謝った。

「ナマエの反応が可愛いからつい意地悪言っちゃうんだよねぇ」

先輩は冗談なのか、本気なのか、判断しかねる言葉を吐くと先程よりもにっこりと笑みを浮かべて歩き出した。先輩は確信犯だ。気持ちを知っておきながら思わせぶりな言葉を吐いて、私の反応を見ては楽しんでいる。
恨めしい目で先輩の背中を睨みつけていると先輩はくるりと振り返り、「置いていっちゃうよ?」と声をかけた。手招きをしながら向ける先輩の顔は眩しいくらいにかっこいい。さっきまでの怒りが嘘のように飛んで行ってしまった私は「今行きます!」と、慌てて先輩の元へと駆け寄った。先輩は私が隣に並んだことを確認すると前を向き、再び歩き始めた。

「相変わらずここの空気はおいしいね」

ぽつりと吐いた先輩の声に私は「そうですか?」と訊ねる。

「東京は人だらけだからね」

先輩は久しぶりの地元に思いを馳せているのか、懐かしげに辺りを見渡すとポツリと呟いた。つられて私も先輩が見ている景色に目を向ける。けど、それは私にとって何も変わらない、いつもの町の景色。先輩の目には違って見えるのだろうか?

「けど、ここは田舎過ぎて不便ですけどね」

コンビニも一つしかないし。この前なんて服が欲しいって言ったら若者が着る服屋がないからって年配向けのブティックショップに連れて行かれたんですよ。そう言って、わざと大袈裟に肩を竦めれば、先輩はククっと喉を鳴らして笑った。

「もしかしてナマエは東京に行きたいの?」
「当たり前です」

はっきり答えると先輩は「そっか」と言ったきり、黙り込んでしまった。何かまずい事を言ったかな。不安に駆られて隣で歩く先輩の顔を盗み見れば、先輩はどことなく悲しい表情を浮かべて遠くを見つめていた。どうしたのだろう?聞くか聞かないかしばらく逡巡していると、見慣れた住宅街が私の視界に入った。いつのまに自宅に到着していたのだろう。先輩はピタリと足を止めると、私に顔を向けた。

「今日はわざわざ駅にまで迎えに来てもらっちゃって悪かったね。ありがとうね」

礼を言う先輩の顔はいつもの優しい顔に戻っていて、私はほっと胸を撫で下ろすと、首を横に振った。

「こちらこそ送ってもらっちゃって逆に申し訳ないです」

先輩と私の家は逆方面だ。それなのに嫌な顔一つせず送り届けてくれる優しさが嬉しかった。やっぱり先輩は東京に行っても変わらない、優しい先輩のままだ。

「いーのいーの。ナマエと話すのが年に一度の楽しみだからさ」

先輩は目を細めて笑うと、いつものように私の頭を撫でた。先輩はことあるごとにこうやって私の頭を撫でる。その度に私の胸はぎゅっと掴まれたように切なく苦しくなった。先輩に別れを告げてから家のドアの前まで歩くと、私は足を止めて振り返ってみた。
家の門の前で立っている先輩は、私が家に入るまで見送ってくれている。目が合った先輩はにっこり笑って「じゃあね」と手を振った。私も慌ててお辞儀をしてから家に入る。パタンと閉めたドアに背を預けると、小さく息を吐いた。

やっぱり私は先輩が好き。

どうしようもない気持ちを心のなかで呟くと、先輩と一緒に迎える夏をどうやって過ごそうか、そんなことばかり考えていた。


先輩が帰省中の間、私は惜しげなく先輩の家に行っては先輩を外へと誘った。暑いのが苦手だと口にする先輩を連れ出す場所は、決まって近所の図書館。先輩はいつも難しい本を手に取ると熱心に耽読していた。こうなると軽く二時間は超えてしまう。私は本を読む先輩の横顔を見るのが好きだった。男性なのに意外と長い睫毛やスッと通った鼻筋、時折小窓から風が吹き抜けて揺らす、綺麗な白銀の髪。見れば見るほど私の恋心が加速して止まらなかった。

図書館の帰りはいつも近くにあるかき氷屋に向かった。私が決まって頼むのはイチゴ味。やっぱりかき氷と言ったらこれ。王道の味は間違いなく美味しい。そして先輩がいつも頼むのはブルーハワイだった。甘い物が苦手な先輩だったが、これだけは唯一好きらしく、氷に掛かった水色を見ては「海に行った気になるよね」と楽しそうに食べていた。

先輩と一緒にいるとますます東京への憧れが強くなっていった。もっと先輩と一緒にいたい。もっと先輩を知りたい。先輩のいる東京へ、行きたい。膨れる願望は抑えきれなくなり、ある日突然、大きな音を立てて弾け飛んだ。


「私、東京に行きたい」


はっきりと口にすれば、料理中の母がくるりと振り返り、驚いた顔で私を見た。大きい鍋からは湯気が立ち上り、調理台には素麺の袋が置いてある。今日の夕食は素麺か。そういえば一昨日も食べたな、と思い出してがっかりした。

「どうしたの?遊びにでも行きたいの?」

一瞬だけ目を丸く見開いた母だったが、すぐに鍋に視線を戻すと、素麺の袋を手に取った。

「違う。進学の話。私、東京の大学に行くから」

もう一度、母の背に話しかけると母は「冗談はやめなさい」と振り返りもせずに答えた。

「この前の三者面談でも言ったでしょ?ナマエはこの町の大学に進学するって「それじゃイヤなの!」

声を張り上げて母に訴えると、母の菜箸を持つ手が止まった。母は黙り込んでしまい、これ以上何も話そうとはしない。
もう一度「東京に行きたいの」と呟くと、しばらくしてから母は「いい加減にしなさい」と、呆れたように溜め息を吐いた。気持ちを分かってくれようとしない母に腹が立ち、私は先程よりも声を荒げた。

「私はこの町を出たいの!お母さんみたいにつまらない人生送りたくないの!」

言い切ると、自分でもびっくりするほど息が上がっていた。ようやく振り向いた母の顔は真っ赤で、私を見る目は明らかに怒りを含んでいる。母は手に持っていた菜箸を調理台に置くと、私の目の前にまで来て立ち止まった。私を見下ろす母の目は変わらず鋭い。けど少しだけ涙ぐんでいるのは気のせいだろうか。
母の背後にある鍋はぐつぐつと素麺が煮えたぎっていて、今にも吹きこぼれそうだった。

「誰のおかげでここまで大きくなったと思ってるの!」

耳をつんざくような母の怒鳴り声と共に私の頬に強い痛みが走った。咄嗟に頬に手を当てれば後からジンジンと熱が帯びる感覚が伝わる。殴られたんだ私。ショックを受けつつ、母に文句を言ってやろうと顔を上げた。しかし開きかけた私の口は再び閉ざしてしまった。てっきり怒っていると思っていた母の顔はとても悲しげで、目からは涙を流していたからだ。
頬の痛みと母を泣かせてしまった情けなさ。色んなものがぐちゃぐちゃと入り混じり、私の心を容赦なくかき乱した。今の状況に耐えきれなくなった私は、気がつくと家を出ていた。背後で母が私の名を呼ぶ声がしたが、聞こえないふりをした。

どこか知らない場所に行きたい。この町から離れたい。先輩に、会いたい。
走っても走っても私の目に映るのは見知った道。看板。公園。店。どこに逃げたってこの狭い町ではすぐに見つかってしまう。
走るのにも疲れて途方に暮れながらとぼとぼ歩いていると町に一つしかないコンビニが目に入った。もうここでいいや。店の壁にもたれてしゃがみ込み腕を交差させると顔を埋めた。

結局、私はこの町でしか生きられない。

鼻の奥がツンと痛くなり、目の縁からは涙が滲み出てきた。ああなんて情けないんだ、私。思い出すのは悲しそうな母の顔と先輩の笑顔。
東京に行くのなら家族から離れないといけない。ここに残るのなら先輩と離れないといけない。どちらも選べない私はまだ東京に行く意思が弱いのだろう。
きゅっと目を閉じた拍子に膝の上に涙が溢れ落ち、生温い感覚が広がった。外は夕暮れ時だというのにまだ暑い。じわじわと襟首に掻く汗が不愉快で、このまま腐ってしまいそうな気持ちになった。

「ナマエ?」

ふと頭上から降り注がれたのは聞き慣れた低い声だった。怪訝に思いながらも顔を上げるとそこには先程まで会いたくて仕方なかった先輩の顔があった。
先輩は私の顔を見るなり「やっぱりナマエだ」と核心を突いたように言った。

「先輩、なんでここに…」
「おばさんに頼まれたんだよ。ナマエを見つけてくれって。おばさん、ナマエのことひどく心配してたよ」
「お母さんが?」

ポツリと呟いた私の言葉を聞き漏らさなかった先輩は私の隣にしゃがむと「そう」と頷いた。
…あんなにひどいことを言ったのにお母さんは私の事心配してくれているんだ。

「じゃあ、帰ろっか」

先輩はすっと立ち上がると私の目の前に手を差し伸べた。私は先輩の手を見て躊躇した。もしも今、家に帰ったらまた同じことの繰り返しになってしまうだろう。ぐらついた私の心はまた母を傷付けてしまいそうで怖かった。先輩は、なかなか手を握ろうとしない私を不思議に思ったのか「ナマエ?」と私の顔を心配そうに覗き込んだ。
先輩の目は私をしっかり捉えている。その目を見た私は先輩と一緒にかき氷を食べたあの日のことを思い出した。あの日、先輩はブルーハワイの色を見て海に行った気になると言っていたけど、私にとって海を連想させるのは先輩の深海のように深くて黒い瞳だった。その目を見ればいつだって、遠い場所へ行ける気がした。

「先輩、私を東京へ連れて行ってください」

私の言葉を聞いた先輩は一瞬だけ目を見開いた。「本気なの?」その問いに私は強く頷く。先輩はいつもの柔らかい笑みを浮かべて差し伸べた手を引っ込めるとそのまま私の頭の上に手を乗せた。


「いいよ」


***


先輩に連れて来られた場所は東京でも駅でもない、夏草の繁茂するただの川沿いだった。
東京は?隣にいる先輩に訊ねると、先輩は腕時計を見ながら「んーもうそろそろかな」と呑気な口調で答えた。
すっかり日も暮れてしまい辺りは真っ暗。おまけに地面はぬかるんで歩きづらいし最悪。全く持って先輩が何をしたいのか分からない。訝しげに先輩の様子を眺めていると先輩は「ほら見て」と足元にある雑草を指差した。私は仕方なく先輩が示す方向へ目をやる。するとそこには点滅するように光る蛍がいた。

「わぁ…!」

思わず感嘆の声を上げてしまい慌てて口を閉ざした。先輩は「ほらここにもいるよ」とあちこちに光る蛍を指差しては嬉しそうに笑う。

「初めて見た」

たちまち増えてゆく蛍の光を見て、私は興奮した。こんな美しいもの見たことない。ここ本当に私の住む町?知らなかった。途切れることのない私の言葉に先輩は誇らしげな顔を浮かべた。

「それだけじゃないよ」

そう言うと、先輩はそっと蛍を指先に乗せてスズランの花を長細くしたような花筒に蛍を入れると「よく見てごらん」と私に白い花をじっと見るよう促した。私は先輩に言われた通り、瞬き一つせず花の様子を見る。

「綺麗…」

花の中に入った蛍は光を放ち、幻想的な光景を作り出していた。花筒の中で灯す蛍の光はまるで暗闇を照らす提灯のよう。しばらく見惚れていると先輩の声が頭上から降り注いだ。

「ここね、オレだけ知ってるとっておきの場所。ちなみに東京では絶対に見られない景色」

言っている意味、分かるよね?その言葉に私は小さく頷く。先輩が伝えたいこと。それは東京でしか見られないものがあるのと同じように、ここでしか見られないものもあるという事。先輩はこの景色を私に見せて、大切なことに気付いて欲しかったんだ。

「ナマエはどうしてそんなに東京に行きたいの?」

唐突な質問にドキリと心臓が跳ね上がった。だってそれは、先輩とずっと一緒にいたいから。無論、そんなこと言えるわけもなく、私は気付かれないよう小さく息を吐くと蛍から先輩に視線を移した。
蛍の柔い光に照らされた先輩の横顔はいつか見た時と同じ悲しい表情を浮かべている。儚い蛍の光も相まってか先輩の顔が余計に物憂いげに見えた。それはまるで先輩がいなくなってしまいそうで。引き止めたくなった私は必死に言葉を紡いだ。

「…それは先輩がいるからです」

自分の唇から吐かれた言葉は先ほど決して口にできないと思っていたもので、今更になってひどく後悔した。肩を並べて隣に座る先輩は変わらず蛍を見つめている。その瞳の中には緑色の光が映っていた。

「…だったらなおさら行かない方が良いな」

ポツリと言った先輩の声は本当に小さな声で、よく聞き取れなかった。

「東京にはナマエの大好きなお母さんも友達もいないんだよ。寂しいんだよ」

先輩は蛍から目を離すとようやく私の顔を見た。『寂しいんだよ』そう口にする先輩の顔こそ寂しげで。不安を取り除いてあげたい気持ちに駆られた私は、先輩の目をしっかりと見つめ返した。

「先輩がいるから寂しくない」

言うと、先輩はふっと笑っていつものように私の頭に手を乗せた。先輩の大きな手のひらの熱が髪越しから伝わる。

「いーや、ナマエの性格だと寂しくて毎日泣いちゃうだろうね」

からかうように話す先輩に腹が立った私は頭に置いてある手をパッと払い退けると、すかさず反論の意を述べた。

「どうしてそんなこと言うんですか。先輩は私に着いて来て欲しくないから意地悪言うんだ」

口にすればするほど本当に先輩が私を邪魔に思っているような気がして、余計に悲しみが胸に込み上げた。先輩は黙ったまま何も話さない。
泣き腫らした目からは再び涙が溢れ出す。泣いていることに気付かれたくない私は先輩から顔を背けると、声を押し殺して咽び泣いた。
先輩は「ナマエ」と私の名を呼ぶ。何度も呼ばれた声がなんだか今日はいつもと違うように感じる。なんとか涙を止めようとぐっと目に力を入れてみるが、我慢すればするほど壊れた蛇口のように止めどなく涙が溢れ出た。
先輩はもう一度「ナマエ」と私を呼んだ。

「…ナマエにはね。ここで待っていて欲しいんだ」

ホントは驚かせたかったから、言いたくなかったんだけど。バツが悪そうに話す先輩の手はいつの間にか私の手と繋がれていた。
いつも頭を撫でる手が私の手を握っている。初めて感じる手と手の温もりに嬉しく感じつつも、先輩の言葉に戸惑いを隠せなかった。

「どういうこと?」

浮かび上がった疑問をそのまま投げれば先輩は「それはねぇ…」と言いづらそうに目を泳がせた。いつもは冷静沈着な先輩が、珍しく慌てている。私は続く先輩の言葉を待つ間、目の前に広がる景色を見た。蛍の灯はどんどん増えてゆき、まるで大地に散らばる星空のようだった。

「実はオレ、ゆくゆくはここに帰ってくるつもりなんだ。父さんの家業を引き継ごうと思って」
「え?」

思わず素っ頓狂な声を上げて先輩の顔を覗き込むと先輩は繋がれていない反対の手で頭を掻いた。その表情はどことなく恥ずかしげで。私は先輩の言葉を頭の中で一から整理してみた。
先輩の家は専業農家だった。先輩のお父さんサクモさんとお母さん二人で農業を始めたが、先輩が小さい頃にお母さんは亡くなってしまった。男手ひとつで先輩を育てたサクモさんは今も一人、この町で野菜を育てている。
先輩は東京の大学に行ってしまったから、てっきり家業は継がず東京の会社に就職するものだと思っていたけど…まさかこっちに戻ってくるなんて。

「ほら。うち、農業技術はあるんだけど経営は向いてなくて。だから経営も勉強できる農学部に入ったのもあるんだ」

東京の有名な大学に行っているのは知っていたけど学部までは知らなかった。なんだ、と肩透かしを食らった私は力が抜けて先輩の手が解けてしまいそうになる。けどすぐにギュッと強く握り返されて手の温もりは消えることはなかった。

「だから、ナマエにはここで待っていて欲しい」

咳払いをしたあと、照れたように話す先輩の顔は蛍の光だけではよく見えない。けど、いつもとは違う上擦った声を聞いて先輩の顔は真っ赤なんだろうな、と思った。

「もちろんです」

言いながら、先輩の手を強く握り締める。先輩の細く長い指は見かけに寄らず、意外とゴツゴツしていて驚いた。

「本当に?あれだけ東京に行きたがってたのに?」

さっきまで恥ずかしそうにしていた先輩はどこへ行ったのか。私の顔を覗き込み、からかう先輩はいつもと同じ、意地悪な先輩だった。

「あれは…その…」
「冗談だよ。ナマエは見ててホント飽きないよね」

相変わらずサラッと歯が浮くような台詞を口にする先輩に「冗談はやめてください」と言うと先輩は「ごめーんね」と悪びれる顔もせずに笑った。

「そうだナマエ、帰ったらちゃんとお母さんに謝りなさいよ?」

お母さんナマエのことホントに心配してたんだからね。先輩は少しだけ強い口調で私を咎めた。そういえば私、母に東京に行くって言ったきり家を出て行ったんだっけ。最後に目にした母の泣き顔を思い出すと急に胸が痛くなった。
「分かってます」それだけ言うと先輩は「分かればいいの」と穏やかに微笑んだ。

目の前を流れる川の水面には飛び交う蛍の光がぼんやりと映っている。それはまるで宵の空に浮かぶ天の川のようで、青白く流れる星の群れを見てはその美しさにまた一つ涙を流した。私の流した雫はこの空の、散りばめる砂に消えてゆく。
年に一度しか会えない彦星と織姫はあの川を渡って逢えただろうか。
…逢えていたら、いいな。

「ナマエ」

名前が呼ばれ、視線を落として先輩の顔を見れば、先輩と目が合った。風に吹かれて靡く銀灰色の髪は頭上で流れる天の川と同じ色だ。
先輩は繋がれていた私の手を解き、自分の小指と私の小指を絡めるときゅっと結んだ。

「約束」

来年も会えるように、ね。ふっと笑った先輩に「今度は冬も来てください」と、言えば「んーまあ、ナマエのためなら来てあげてもいいかな」と、返された。

「約束ですよ、先輩」

聞こえないくらい小さく言うと、先輩は絡めた指を当たり前のように結び返してくれた。

私は首をすくめて手の熱に恥じらいながら「好き」と呟いた。時折吹く夏風が、私の伸びた髪を優しくなびかせた。

歌詞参考 天の川/aiko







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