ーーッパアァン、

乾いた音が小さく部屋に響いた。音の出先はどうやら隣の部屋からであった。寝る前にベッドの上で読書するのが日課だった私は今日も本を読んでいた。そろそろ寝ようかな、うとうととしていた矢先に先程の音がして、一気に眠気が覚めてしまった。
なんだろう?本から壁に視線をずらすと今度は荒々しい女の声がはっきり聞こえてきた。

『なんで私だけを見てくれないの!?あなたの気持ちが分からないっ』

どうやら隣の部屋で言い争いをしているようだった。いや、言い争いというべきなのか、女の声が一方的で男の声は微かにしか聞こえない。

先程の音は女が男の頬を叩いた音?
会話から憶測したが、聞き耳を立てるのは下品な行為だと途中で気付き、私はイヤフォンをつけて聞かないようにした。

ーー隣の人、浮気でもしてるのかな。だとしたら最低だな。

イヤフォンから流れてくる明るい曲とは逆に私の心はどんよりと暗くなる。浮気、という言葉はどうしても父親の事を思い出してしまう。
ああ、嫌だな。隣人のせいで嫌な事を思い出してしまった私は聞こえるようにわざとらしく大きな咳払いをした。布団をすっぽり被って目を閉じる。それからは音も声も聞こえなくなり、いつの間にか寝てしまっていた。

***

それから数日が経った夜の事であった。残業で帰りが遅くなった私はくたくたの足で部屋まで向かっていた。廊下を歩きながらバッグの中に手を入れて、鍵を探す。ーーあった。
チャリン、取り出そうとした鍵がバッグから抜け落ちた。慌てて鍵を拾いながら目線を落とすと、誰かが壁に寄りかかり、座っている足に気付く。ゆっくりその足元から目線を上げると、思わず息を呑むほどの光景があった。

ーーそこには血まみれになった男がいた。

どこか見覚えのある服装は確か、この里を守る忍という者の服装だった。忍がなんでここに?
驚きつつも男をよく見れば、よほど苦しいのかとても息遣いが荒く、息を吐き出す度にその男の綺麗な銀髪が揺れる。
私は落ち着こうと、深呼吸をしてから倒れている男に声を掛けてみる。

「…えっと、大丈夫ですか?」
「…っ、」

返答はなし。布で口元を隠しているので表情は読めないが、相当苦しそうだ。
ーーどうしよう。放っておくわけにもいかないし。私はしばらく考えると、まずは人を呼ぼう、と足を踏み出そうとした。しかし、男に左腕を捕まれて阻止される。

「…人は呼ばないで」

男は目を閉じて眉を僅かに歪ませながら私に言い放った。口調は優しいが、どこか威厳がある声で胸がざわつく。

「…では、病院に行きますか?」
「…病院にも行かないし、行けない」

どういうことだろうか。私は疑問に思うだけだった。その間も男の脇腹から流れる鮮血が恐ろしくて冷や汗が出てくる。
人は呼べないし、病院にも連れて行けない。
…だとしたら、一つだけしかない。
私は男に近付いて自分の肩に腕を掛けた。
意外と逞しい腕に驚きつつ、ぐ、と力を入れるが女の力ではびくともしない。

「‥私の部屋に連れて行きます。少しだけ立ち上がれますか?」

そう問い掛ければ男は驚いた表情をして、否定しようとした。しかし、立ち上がらせようとする事をやめない私にようやく観念したのか、男はゆっくり弱々しく立ち上がった。
ポタ、ポタ、歩く度に血が廊下に浸る。その赤い色が私の恐怖心を煽るので、見ないようにしながら自分の部屋の鍵を開ける。

「…え?」

耳元で驚いた様な声が聞こえた。どうしました?そう問い掛けたが、男はよほど苦しいのか、それ以上口を開かなかった。
ぐ、もう一度男を抱え直して、耳元で苦しそうに荒い息を吐く男を部屋に入れた。


初めて見たあの人





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