翌日、あれだけ紅に遅れるなと釘を刺されたのにも関わらず、居酒屋まで向かう現在の時刻は言われた集合時間よりも遥かに越えていた。別に遊んでいたわけではない。任務が長引いた上に報告書に不備がないよう慎重に記入していたから遅くなってしまったのだ。

ま、先に始まってくれててもいいし。そもそも人数合わせにオレが仕方なく誘われたのだから少しくらい遅れてもいいだろう。軽く考えながらポケットに手を入れてのんびり歩く足取りは自分でも分かるくらい呑気なものだった。

不意にびゅっと秋風が体をすり抜ける。冷たい風に思わず身震いして首を竦めた。
…こんな日には熱燗が飲みたいな。今が旬の秋刀魚の塩焼きはあるだろうか。それをつまみにしたら最高だろうな。久しぶりに仲間と居酒屋に行くことが楽しみな自分が心の隅にいて、つい苦笑いを浮かべてしまった。

いつの間にか居酒屋に辿り着き、入口の前で足をピタリと止めた。引き戸に手を掛けてガラガラと音を立てながら戸を引く。紅達がいる席はどこだろう。店内を見渡してみると見慣れた二人の姿があった。瞬時に声を掛けようと口を開く。が、紅の隣に座る人物に心当たりがあったので開いた口はすぐさま閉ざしてしまった。

ーーチフユさんだ。

なんで彼女がここに?というか紅が紹介したい人ってチフユさんだったの?そもそもなんで彼女と紅が仲良いわけ?
頭の中で幾つもの疑問が浮かび上がる。オレの足は突っ立ったまま動かない。このまま気付かれない内にそっと帰ってしまおうか。背を向けようとした瞬間、大声でオレの名を呼ぶ声が聞こえた。

「遅いじゃねえか、カカシ」

アスマの声に彼女と紅が一斉にしてオレに視線を向ける。彼女はオレの顔を見るなり肩を小さく揺らすと目を大きく見開き、みるみる内に顔を強張らせていった。
…何もそんな顔しなくてもいいのに。

「何突っ立ってるんだ。早く来い」

アスマが手招きをしてオレを呼ぶ。これでは帰るどころではないな。はぁ、と長い溜息を吐いて渋々アスマ達のいる席へと歩み寄った。

席へと辿り着けばアスマは「お前はこっちだ」と彼女と向かいの席に座るよう促した。なんでよりによってチフユさんの前の席なのよ。ちらりとアスマの顔を盗み見れば早く座れとオレを急かす。仕方ない。指示された席にゆっくり腰を落とすと必然的に彼女と目が合った。
何か声を掛けた方が良いだろうか。口を開いてみたが、彼女は思い切りオレの目を逸らしてしまった。

さっきからなんなの。その態度は。

この前の件は自分でも悪かったとは思っている。彼女と男の関係に介入し過ぎた。だけどここにはアスマも紅もいる席なわけだし、そんな子供じみた態度取らなくてもいいんじゃないの。段々と彼女の理不尽な態度に怒りが込み上げてきたオレは気休めにメニュー表を開いた。

「あら?二人とも知り合いなの?」

彼女とオレの間に流れる不穏な空気を察知したのか、明るい口調で紅が問い掛けた。彼女は紅の質問に答えようとはしない。それどころがますます頭を下げて俯いてゆく。

「…オレの部屋のお隣さん」

彼女がなかなか答えないので痺れを切らしたオレは呟くようにぽつりと答えた。オレの返答を聞いたアスマと紅が感嘆の声を上げる。

「チフユ、そうなの?」

紅が興奮を隠し切れずに彼女に訊ねると彼女は微かに頷いた。それでも彼女はオレの目を合わそうとはしない。やりきれない彼女の態度を見て、ますます自分の怒りを煽らせた。

「でも、オレ嫌われているからね。そもそも人として見られていないらしいし」

気付けば口が勝手に動いていた。自分が口にした言葉はあまりにも軽率で、今更後悔が押し寄せて来た。彼女はどう思っただろうか。傷付いただろうか。怖くて顔が見れない。オレは俯いたまま時が流れるのをじっと待った。

「チフユ?」

紅が彼女の名を呼んだ。その声はチフユさんを心配して労わる声色だ。ゆっくり彼女に視線を向ける。チフユさんはオレを見ることもなく、まるで見えない何かに怯えて、微かに肩を震わせていた。

「ごめんなさい。…ちょっと用事を思い出しちゃって。今日は帰るね」

囁くように発した彼女の言葉は賑やかな店内の音であっという間に掻き消されてしまった。

「ごめんね」

言いながら、彼女は席を立ち上がる。彼女の放った『ごめんね』はオレが言わなくてはいけない言葉なのに。自身の唇はまるで縫い付けられたかのように開かない。

「チフユっ」

紅が彼女の名を強く呼んだ。彼女は振り向くことなくオレ達に背を向ける。ゆっくり覚束ない足取りで出入り口まで歩くと店から出て行ってしまった。ピシャリ。彼女の手により引き戸が閉まる音がやけに頭に残ってしまい、離れない。

「おい、カカシ。追いかけてあやまって来た方がいいんじゃねぇか?」

彼女がいなくなり、最初に沈黙を破ったのはアスマだった。アスマはオレの顔を見るなり早く行けと目で訴える。追いかけないといけないのは分かっている。でも追いかけたところで再び彼女に突き放されるのが怖かった。あの雨の日の時のような彼女の冷たい視線がオレに向けられるのが堪らなく怖かった。

「アスマには関係ないでしょ」

ようやく捻り出した自分の言葉は相変わらず冷めた言葉だった。アスマはムッとした顔でオレを見る。

「…お前はっ、心配して声を掛けてやってるのに」
「頼んでないでしょ」

声を荒げるアスマとは対称的にオレの声は自分でも分かるほど冷々たる声色だ。アスマはオレの言葉にますます怒りを煽ったのか、何か言いたげにオレの目を睨み付ける。

「二人とも落ち着いて」

紅がすかさず仲裁に入った。アスマはわざとらしく大きく息を吐くと背もたれに深く寄り掛かり、口に加えていた煙草の灰を灰皿に落とした。

「…やっぱりお前は暗部にいた方が良かったのかもな。オレらが間違っていた」

紫煙と共に吐き出したアスマの言葉は諦めと皮肉混じりの言葉で、癇に障ったオレは咄嗟に聞き返した。

「どういう意味?」

オレの問い掛けにアスマは罰が悪そうにオレから目を逸らした。答えようとしないアスマにますます苛立ちを覚える。なにそれ。自分で言っておいて。

「私達が三代目に頼んだのよ。カカシに下忍担当上忍をさせてもらえないかって」

紅が諭すようにアスマの代わりに答えた。そうか、紅の言葉で全て分かった。何故、オレが急に暗部を解任されたのか。何故、このオレがよりにもよって下忍担当上忍になったのか。ようやく全てが理解できた。全てコイツらのせいだった。

「…余計なお世話」

ぽつりと呟いたオレの小言を聞くなり、アスマの顔が一瞬にして怒りで紅潮させた。憤怒の形相のアスマは今にもオレに突っかかる勢いだ。

「お前っ「はいはい。オレがいたら酒が不味くなるよね。チフユさんも帰ったことだし、二人の邪魔しちゃ悪いからオレも帰るね」

これ以上ここにいても仕方がない。そう察したオレはわざとアスマの言葉を遮って、用のなかったメニュー表を閉じると、すっと立ち上がった。

「じゃあ、お二人さん、あとは仲良くね」

言い残すと二人の顔を見ずに店を出た。途中、アスマの刺すような視線が背中に強く感じたが気にせず無視を決め込んだ。ガラガラと戸を引いて外に出て息を吸えば、すん、と冷たい夜風が肺に染み渡った。

ふと空を仰げば星ひとつ見えない、つまらない曇天の夜空が広がっていた。まるで自分と同じ気持ちの空だなと自嘲して、笑った。


独り善がり





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