「カカシ大丈夫だったのか!?」

待機所に入って早々、声を掛けてきたのは一番に会いたくない奴、ガイだった。案の定、ガイはオレを見るなり肩をがっしり掴み、体を思い切り揺さぶった。そのせいで塞がり掛けた傷口にずきりと痛みが走る。無駄に艶のある髪を持つこの男に苛立ちを覚えて、制するよう口を開いた。

「大丈夫も何もお前のせいでまた傷口が広がるからやめて、それ」

ガイはオレの言葉に過剰に反応すると、「おっすまんっ」と肩に置いた手をぱっと離した。

「カカシ、お前が怪我した事、三代目は知らないのか?」

…こいつはたまに意表を突くことをいうから困る。いつもは単純な思考のくせに。ガイは太い眉を下げながらオレの顔を覗き込んで返答を待っている。相変わらず濃い顔だ。距離が近いガイの顔が暑苦しく思い、思わず一歩、身を引いた。

「…お前には関係ないでしょ、余計なこと言わないでよね」

念押しするかのように鋭い目付きをガイに向けるとガイは肩を落として「むぅ…」と唸り、項垂れた。その拍子に切り揃えられた厚い髪が揺れる。心配してくれることはありがたい。でも、この件のことばかりは秘密にしておいて欲しかった。特に三代目には。

「なにかあったのか?」

ふと入り口付近から声がして視線を向ければアスマが怪訝な顔をこちらに向けて立っていた。口には相変わらず煙草を加えている。恐らく扉の外までガイの大きな声が響き渡り、心配して来たのだろう。アスマがふうと煙を吐けば、紫煙がゆるりと舞い上がり、消えていった。

「おぅ!アスマ!聞いてくれ!実はな「何もないよ」

すかさず余計なことを口にしようとするガイの言葉を遮った。ぴくりとアスマの眉が動く。どうやらオレの言葉に納得していない様子だ。

「カカシ、お前、何か思い悩んでないか?…もしかして、まだあのこと引きずっているのか?」
「…あのことって何」

わざと冷たく言い放つようにアスマに問い掛けた。アスマはオレの目を逸らすと、黙り込んでしまう。黙り込むくらいなら軽はずみにそんなことを口に出すんじゃないよ。言いたかったが、アスマも心配して掛けてくれた言葉だと気付いて口を紡いだ。

「オレたちならいつでも話聞くぞ」
「ありがと、でも気持ちだけもらっとく」

優しい言葉を掛ける二人にこれ以上心配をかけたくない。オレは背を向けて待機所を後にした。途中、二人の刺さるような視線を背中に強く感じたが、遮るようにパタンと音を立てて扉を閉めた。






外に出ると以前よりも増した冷たい風が髪を撫で付けて攫ってゆく。オレは毎日の日課になっている、ある場所へと向かっていた。何度その場所に訪れたことか、数えてもきりがない。もはや目を瞑ってでも辿り着いてしまうであろうこの場所はオレが懺悔できる唯一の場所だった。

足をピタリと止めて前を見据える。今日もオレは慰霊碑の前に立っていた。
刻まれた名を目でなぞり、同じように胸に深く刻み込む。目を閉じてアスマがさっき口にした『あのこと』を思い出す。ふいに遠くで烏が鳴く声がした。


アスマが口にしたあのこと。ーーそれはオビトとリンのことだ。オレだって分かっている。いつまでも後ろばかり振り向いてなどいられないと。分かっているのに毎日のようにこの場所に訪れてしまうから仕方ない。
オレにとって、この場所はいつまで経っても慣れることはない。いや、慣れてはいけない。こうして自分を苦しめなくてはまた忘れてしまいそうで怖かった。同じ過ちを繰り返してはいけない。
ふと空を仰げば、どんよりとした雲が空を覆っていた。同時に乾いた土に水が落ちて、埃っぽい匂いが鼻に入る。
遠くで雨でも降っているのだろうか。こちらにかけて風に流されている灰色の雲を確認すれば、もうじき雨が降るのだろうと予測した。

ぽつり、空から滴が落ちてきて肩を濡らした。草色のベストがより一層、濃い緑色に染めてゆく。

ーー帰ろう。

もう一度、慰霊碑に目を向けて、また来るよと刻まれた名の主に約束するとその場を後にした。







アパートに着いても特にすることもなかったので、しばらくソファに横になりながら本を耽読していると、ふと隣の部屋から男の声が聞こえた。

なんだお隣さん、付き合っている奴いたのか。

別に聞き耳を立てているつもりはなかったが、隣人と男のやり取りをする会話を聞いて少しだけがっかりする自分がいて、思わず苦笑した。
ソファからはみ出した足を組みかえて照明の明かりを遮るように開いた本で顔を覆う。
そういえば、明日は三代目に呼び出されているんだっけ。もしかして気付かれたか?いや、ガイにもあれだけ口を酸っぱくして釘を刺したから大丈夫なはずだ。少しだけ不安になり無理矢理ぎゅっと目を瞑った。

ーーガシャンッ

突然、何かが割れる音が部屋に響き渡った。身を起こして素早く体勢を整えたが、どうやら音の出先は自室ではなく隣の部屋だと気付き、ほっと息を吐く。
隣人は、喧嘩でもしているのだろうか?
そう思い、耳を傾けてみるが争っているような声は聞こえない。なら心配ないだろうか。戦闘体制になっていた自分を少しだけ恥じて、安堵の息を吐くと再びソファにゆっくり腰を沈めた。


隣人とはあの一件以来、会うことはなかった。
一般人と忍では生活時間帯が違うなんて当たり前なことだろう。それでも、もう一度会って礼を言いたいなと思っている自分がいた。

ーー今なら会えるだろうか?いやしかし、男もいることだし邪魔してはいけない。でもあの物音を心配して訪れたと言えば彼女に会えるだろうか?あの汚れを知らない綺麗な瞳を持った彼女に。
下げていた口布をすっと上げてオレは玄関に向かった。サンダルを履いて玄関の扉に手を掛ければ、無機質なドアノブがひんやりと自身の手の熱を奪ってゆく。しかし気にせず扉を開けた。

すぐ隣にある彼女の部屋まではあっという間だ。オレは彼女の部屋の扉の前で足を止めた。
深呼吸しようと息を大きく吸えば冷たい空気が肺に溜まり、じん、と広がった。
意を決してそっとインターフォンのボタンを軽く押す。呼鈴の音が彼女の部屋で鳴り響くのを確認して扉が開くのを待った。
しかし、なかなか部屋の住人がやって来る気配がない。おかしいなと思い、もう一度ボタンを押した。それでもやはり返事が聞こえるどころかこちらに向かって来る足音さえ聞こえない。

部屋に人がいる気配は確実にあるので恐らく居留守を使っているのだろう。
諦めてここで帰る事も出来るのだが、なんとなく嫌な予感が頭によぎったのでオレは目の前のドアを軽く叩いた。しかしそれでも返答がないので、叩く力が自分でも分かるくらいに段々と強くなってしまう。近所迷惑だろうか。それでもなぜか彼女のことが心配で手を止められなかった。

「…うるさいなぁ、近所迷惑だよ」

ようやく扉を開けたのは気怠い目をした男だった。男は冷たい目でこちらを一瞥するとわざとらしく嘆息を漏らす。男の肌蹴たシャツを見ればなかなか扉を開けなかった理由が容易に理解できた。恐らく隣人との情事の最中だったのだろう。

「あんた、だれ?」

男はあからさまに迷惑そうな目をオレに向けて訊ねた。見るからに横暴で冷酷そうなこの男が彼女を抱いているのかと思うと何故か嫌悪感を抱いた。

「隣の者です」

別に名乗る必要もなかったので簡潔にそう伝えれば男はふぅんとオレに興味などないと言わんばかりに相槌を打った。

「…で?」
「隣から大きな音がしたので心配して来たのですが、彼女はいますか?」
「は?なんでたかが隣人ごときにアイツを呼ばなくちゃいけないの?」

男の物言いにふと疑問を抱く。なぜ彼女はこんな奴と付き合っているのだろう。オレを助けることを厭わない真面目で優しいあの子が。男と彼女があまりにも不釣り合いな組み合わせで、つい嘲笑ってしまった。

「何笑ってるんだよ」

男は気付いたのか、鋭い目でオレを睨み付ける。

「ごめんね。つい」

咄嗟に謝れば男の顔はみるみる内に怒りで真っ赤に顔を上気させた。

「ふざけてるのか、お前」

悪態を吐く男にふと試してみたいことが思いつき、今もなおオレを睨みつける男の目を見てふっと鼻で笑ってやった。

「オレ、ここの部屋の子と付き合ってるの」
「はあ?」

唐突なオレの言葉を聞いて男は素っ頓狂な声を上げた。しばらく目を見開いてオレをみると男は急に焦りはじめ、続く言葉に喉を詰まらせている。
…反論しないということは付き合ってはいないってことか。読みが当たって、ついほっと胸を撫で下ろす。再び男に鋭い視線を向けると、追い討ちを掛けた。

「だから迷惑だから帰ってって言ってるの」
「…ちっ」

男は苛立ちを隠しきれず舌打ちを打つと部屋に戻って行った。恐らく荷物でも取りに向かったのだろう。案の定、荒々しく足音を響きかせながらオレがいる玄関まで歩いて来ると無残にも玄関に脱ぎ散らかしたままの靴を履いた。
オレは寄り掛かっていた出入り口から身を引くと男に出ていくことをもう一度促す。

「もう来ないでね」

すれ違い様にそう言葉を掛ければ、窺えた男の横顔がますます怒りで紅潮させた。言いたいことがあるのなら言えばいい。目を向ければ男は悔しそうに視線を逸らして去って行った。虚勢ばかり張る、小さな男だ。しばらく男を見届けたあと、ふと隣人の存在に気付く。

そういえば、お隣さんは何してるのよ。

とん、と玄関の扉に背中を預けて寄り掛かり、彼女を待つ。しばらく廊下から窺える寝室の扉を眺めているとようやく扉を開けてこちらに向かって歩いてくる彼女の姿が目に映った。
薄暗い廊下の照明に照らされた彼女の顔はオレを見るなり、驚いて目を見開いている。初めて出会った時と同じ表情だ。しかし何故だろう彼女の目が少しばかり潤んで充血している気がする。
訝しげに思いながらも隣人としばらく見つめ合っていると、先に沈黙を破ったのは彼女の方だった。

「どうしてここに?‥え、というか、傷は大丈夫なんですか?」

驚きながらもオレの傷を労わる彼女の言葉にゆっくり微笑むと以前から言いたかった礼の言葉を口にした。釣られたように彼女もふっと笑う。

「それよりも大丈夫なの?すごい音がしたけど」

彼女はオレの言葉にびくりと肩を揺らすと思い当たる節があったのか、気まずそうに合わさっていた視線を逸らした。しかしみるみるうちに彼女の顔が強張って行く。
そういえば、彼女はオレが隣人だということは知らない。だとしたら何故、物音が聞こえたのか疑問に思っているのだろう。逸らされた視線が疑念の目に変わり、再びオレに向けられる。これではまずい。不審者扱いにされては困る。

「怪しい者じゃないよ。オレね、実は隣の部屋に住んでるの。…挨拶が遅れてごめんね。オレ、はたけカカシっていいます」

すかさず自分の名を名乗れば彼女はオレの言葉に理解する時間が少しばかり要したらしく、しばらく黙り込んでしまった。彼女の顔を見れば自分が想像していたよりも驚いている表情をしていたので、思わず口元が緩んでしまう。

「びっくりしました。あ、あの、私の名前はえんどうチフユと言います」

こちらこそ挨拶が遅れてすみませんでした。頭を下げる彼女にすかさずオレも軽く頭を下げる。
えんどうチフユ。オレは初めて彼女の名を知った。これからは隣人、お隣さんという呼び方ではなく彼女の名が呼べるのだと思うと何故か胸が弾んでしまう。

「よろしくね」

彼女の目を見てゆっくり微笑む。彼女、チフユさんも緩やかにオレに笑い掛けた。
ようやく互いの素性が知ることができて、オレは本日何度目か分からない安堵の息を漏らす。外に面する廊下から降り注ぐ雨音が背後で鳴り響き、オレの吐いた息の音を一瞬にして掻き消していった。


時雨





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