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朝、外に出たら自分の吐いた息が白かった。
家賃の安いボロアパートの扉を開けて、閉める。

狭い駐車場を横切る途中、夏になると大家のばあさんが水撒きに使うホースが丸まったまま凍っていた。通りで寒いわけだ。落ちる筈だった雫が表面張力に引っ張られたままの歪な形で固まって。それがまるで蛇の頭みたいだった。冬になって動く出番もなくなり蜷局を巻いたまま冬眠する蛇のホース。ゴムの緑も霜で鱗みたいになっていてちょうどいいじゃないか。

そんなアホみたいなことを考えながら、ツンとくる鼻頭をマフラーにうずめて敷地から出た。

持ってるのはスカスカの軽い財布とスマホだけ。
一応こーこーせーに当てはまる俺だが、学校にはろくに行ってない。まあ、不良とか馬鹿ばっかが集まるとこだから真面目に来る奴なんて居ねえんだけど。それを叱る大人も周りにはいないからもう、別に何でもいいじゃん。

スマホを見ながら道を歩いていると、何人かのリーマンのおっさんが言いたげな目で俺を見る。多分心の中では歩きスマホなんかして、これだから最近の若者は!なんて思ってるんだろうけど。だったらはっきり言ってこいっての。
視線を寄越せばどいつもこいつもそそくさと目を逸らしてやがって素知らぬ顔でまた前を向いて歩き出すから。

女と子供はまず俺とすれ違いそうになったら人一人分横にずれる。ついでにこっちも俺に目なんて合わせない。

誰も俺と、目を合わせる奴なんていない。
と言うかどんどん視界からも意識からも追い出されていく。

あー、ウゼえ。

俺はあからさまに避けられる人混みを自ら避けて表通りから路地裏に入った。そこは俺みたいな底辺ヤローにもお似合いの薄暗さが満ちている。

ようやく、息がしやすくなった気がした。白い息の靄が一際濃くなったように見える。
そのまま曲がりくねった路地を決まった順に曲がり抜け目的地を目指して、人通りの少ない方へ方へと歩いていけば。

「よっ、ヒョウ!今日も早えな」

「そういうお前もな、シズク」

路地裏でポッカリと開けた場所にある用途のわからない空き地。そこに転がったブロックの1つに腰かける人影は俺に気付くと軽く片手を上げた。
振り向いた黒いコートの背中。人目を引く青い髪が振り向きざまに散りながら、白い息すら気にならないほどの爽やかさで俺に声をかける男。

俺が近づけば男もブロックから腰を上げ、隣に立った俺の肩に慣れたように腕を回した。

「お前と会う以外俺もやることねーからさー。な、今日は何する?」

腕を回された首周りが温い。

「2人でいてもやることなんて無えだろ」

「まーまー。2人いた方が話はできるじゃん」

「とりあえずどっか行くか」

「だな」

いつもと変わらない定例の朝のやり取り。俺達はそれからこれまたお決まりのように宛もなく歩き始める。

男の名前は静玖雨音(シズク アマネ)と言う。だからシズク。年は詳しく知らないけど多分俺とそう変わらないと思う。頭おかしーんじゃねえかってくらいの鮮やかな青い髪に耳にはジャラジャラとピアスが付いている。でも、それらが変に見えないくらい奴の顔は整っていた。なんつーか、いつも無駄にニコニコしててやけに爽やか。チャラくて近寄りがたい見た目のくせに人懐っこい。

この男に出会ったのはほんの1ヶ月くらい前。
その日も俺は今日みたいに割れていく人混みに居心地が悪くなってこの路地裏に迷い込んだ。ぐるぐるぐるぐる。あまり変わらない建物の灰色の壁の間をすり抜けて。そしたら、こいつがいたんだ。

その日から俺の日常は変わった。



「そう言えば、最近隣が引っ越したみたいなんだよね。やっと静かになってよかったわ」

「あー、あの昼夜ヤッてる淫乱なババアってやつ?」

「そうそう。壁薄いんだから勘弁しろって感じだよなー」

「ヒョウも俺のとこに引っ越す?」

「そんなホイホイ引っ越しなんて出来るわけねえだろ。引っ込んどけ金持ち」

「口わりいな」

とりとめもない世間話をしながら路地裏を歩いた。
人二人がぎりぎり通れる狭い道。でも俺もシズクもそれなりにガタイがいいから並んでは通れない。微妙に斜めにズレながら後ろを向きつつ喋り歩く。

なんとなくしか知らないが、どうやらシズクの家はなかなかの金持ちらしい。でも、住んでるのはこの近くのマンションで一人暮らし。親は自分に興味が無いんだと軽いノリで言っていた。そういうとこもなんか俺に似てて親近感が湧く。俺んちの親も俺に興味ないやつだから。

クソみたいな親たちを捨ててきた俺達は今日も世間から少し離れたところを歩く。
そしてそんなところで出会うのはやはり俺達みてえにまともな奴らからはズレた奴たちだ。

「おい、てめえら見かけねえ奴らだが、どこの奴だよ。ここが俺達のチームのシマだってわかってんのか?」

そう嗄れた声で噛み付いてきたのはいかにもスカした格好をした同い年くらいの3人の男たちだった。ボロボロの擦り切れた学ランに派手な装飾。ピアスだとかバングルだとか。あとゴツい指輪。右から順に金髪茶髪茶髪。3人とも眉毛がない。
一目で不良とわかるいで立ちの3人は狭い路地を塞ぐように俺達の前に並んで睨みつけてくる。まあ、俺らだって周りから見たら十分不良なんだろうけどな。だからこいつらも突っかかってくる。

ピリピリとした緊張感。一触即発の展開。
でもこれは、俺達が望んでいたものだ。

日々募るやりどころのない苛立ち。それを発散するために、俺達は今日も人を殴る。喧嘩は何故かいつも胸の隅に貯まる虚しさのような感情を紛らわせる力も持っていた。
今思えば、それは俺が勝手に抱いていた幻想だったが。

喧嘩の始まりはいつだって唐突だ。
誰かが拳を振りかざすのをスタートに、それまでは人二人分ほど空いていた距離が一息で縮まる。俺とシズクは一瞬でアイコンタクトを取ると自分の拳を固めた。

そして次の瞬間には響く肉がぶつかる音。金属音。骨が砕ける音。怒鳴り声。罵倒。そして嘲笑。

そんな負の感情ばかりが織り交ぜになったものが混沌と混ざり合って狭い路地裏に谺する。興奮でアドレナリンが巡ってくる。

俺もシズクも、好き勝手に暴れて。
殴って、殴られて。

気がつけばそこに立っていたのは俺とシズクの二人だけ。

地面には顔やら手やらから血を流した3人の男が無様に無造作に転がっている。周りのコンクリートにも血が飛び散り、アスファルトの地面にも赤黒いシミができていた。

それが寒さで更に凍てついた暗い色に乾いていく。

「んだよ、呆気ねえなあ。もうちっと頑張れねえのかよお前ら」

「ぐっ!ぅ、」

どうも物足りなくて転がった不良の一人の横腹を蹴り上げるが、呻くだけで挑んでくることはなかった。

「チッ、つまんねえ」

吐き捨てて用なしになった雑魚たちに背中を向ける。

「……気は晴れたかよヒョウ」

「全然」

少し離れたところにいたシズクが服の埃を払い終わるとカラリと笑ってむきなおった。特に目立った怪我は見当たらない。それは俺も同じで、殴り腫れて赤くなっている拳と口元のかすり傷くらいしかダメージはなかった。適当に羽織っていたパーカーに汚い血が飛び跳ねてる。

「あー、マジでつまんねえ!ヤり甲斐なさすぎんだろ」

「じゃあどうすんよ?次の獲物でも探すか?」

「……………いや、興が削がれたから帰る」

「はあ?もうかよ」

まだ会ったばっかだろ。
そうシズクがゴネるが、なんたって今日は寒い。ただでさえほんの少しかいた汗が既に体を冷やし始めているし、今だってずっと風を切っていた指先が悴みかけていた。寒さに弱い俺はこれ以上寒空の下で徘徊したくない。というかなんだかんだで飯も食ってねえ。

朝よりも明るくなった路地裏は多分昼を過ぎたくらいの時間だろうと察せられる。

「とりあえず、さみいし、ハラ減ったから今日は帰るわ」

そう言ってさっさと家に帰ろうとマフラーに顔を埋めた。
その時だった。

「な、ヒョウ」

パシリ、と後ろから腕を掴まれる。
でかい手のひら。喧嘩慣れしたそれは表面の皮が固くて、そして強い。その逃さないとばかりに掴んだ手の持ち主に俺は1つ溜息を漏らすと、もう一度後ろを顧みた。

「んだよ?」

「なあ、お前暇ならさー、俺んちに来ねえ?」

「あ?」

ニコニコと、いつも以上に満面の笑みで俺を引き止め更には家に誘うシズク。
その顔は何かを企む狐みたいでなんだか胡散臭い。

「……何企んでんだてめえ」

「別に何も企んでねえけど?ただ、このままお前が帰っても俺暇だからさ」

言って、更に強く握られる腕。
それは最初から拒否権なんて許さない力で俺を繋ぎ止める。

「はあ、わかったよ」

結局はその真意の見えない笑顔と緩まない力に俺の方が先に折れた。嘆息してグシャリと前髪を握りつぶす。

俺が観念して頷けば、シズクの手は案外あっさりと離れた。

「近えんだろうな?」

「おう、ここから10分ぐれえで着く」

「ふーん、」

意気揚揚と歩き出すシズクの背中はやけに弾んでいた。
ふと、忘れていた血の匂いが去り際に鼻孔を掠めて振り向けば早くも凍りそうになっている塊が動いた気がした。薄暗く影になった路地裏は日が昇っても冷たい。でも、

「まあ、いいか」

呟いてからまた俺はシズクの背中を追って歩き出した。





シズクの言葉通り、奴が住んでいるというマンションには10分ほどで着いた。

「お前こんないいとこに一人で住んでんのかよ」

しかも広い。
俺の住んでるボロアパートの一室がまるまる入ってしまいそうなほど広いリビング。奥には他にも2つほど扉が見える。その上暖房が効いてるのか、中は心地いい温度で満たされており冷えた指先が急激に巡りだした血にじん、と痺れた。

「あー、まあ、親が金だけは持ってんかんなあ。好きにしろって言ってマンションやったら放置」

「金あんだけいいじゃん。俺の親なんて今頃どこで何してんのかもわかんねえよ」

そう俺が履き捨てれば思わずシズクも気まずげに黙りこんだ。でも、それも一瞬のことで。気を取り直したかのように他の話題に移される。

「そう言えばヒョウ、今度はバイトいつ入ってんの?」

「んー、明日だった気がする」

シズクと違って親からの仕送りもない俺は自分で生活費を稼ぐしかない。週5日はコンビニやらガソリンスタンドやらでバイトしてる。つってもチンピラばっかいるようなの物騒なとこにある店ばっかだけどな。

俺がそう答えるとシズクは何やら考えこみ、そして口を開いた。

「なあ、ヒョウもここに住まねえ?」

「はあ?」

「だってそしたらお前も生活費稼がなくていいじゃん。楽だろ?」

「いや、だけどよ」

流石に最近知り合ったばっかのツレにそこまでしてもらうのは気が引けた。しかも金と言ってもこいつの親の金だ。安易に受け入れられるはずもない。
当然俺は断ろうとしたが、ここでもシズクは退かなかった。

「あいつらの稼いだ金の事なんて気にする必要ねえよ。てか、俺に興味ねえから大丈夫だって。な?バイトもしなくていいし、お前寒がりっつってたじゃん。ここなら電気代のことも考えねえでいいし、それでも人の金使うのが嫌なら俺もバイトするからさ?な?」

畳み掛けるように、シズクが俺ににじり寄ってくる。その顔はずっと変わらない笑顔なのにやはり、気圧されそうな雰囲気が滲んでいた。

なに?なんなんだよ、その必死さ?

覆いかぶさるみたいに目の前に立つ奴の身長は180を越す俺よりも更に高い。結局俺はそのシズクの纏う空気をどうにかしたくて、逃げるように後ずさりしながら首を縦に振った。

「わかっ、たからんな近づくなよ。その代わり、俺も金は払うから」

どうにも全てを鵜呑みにすることはできなくて。妥協案を提案されば、シズクはやはりニコニコと笑って、

「そ?じゃあ、決まりな。これからよろしく、氷牙」

そう言って、俺の手に指を絡める。
奴の手は俺とは違い暖房の中でも全く温まらず、冷えたままだった。

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