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男に閉じ込められてどれくらいが経った時だっただろう。何度目かの脱走を試みた時、結局はいつものように最後には捕まってお仕置きだといたぶられて。その後に連れ戻されたあの監禁部屋のベッドの上でも、縛り付けられ散々犯された。そのまま気絶して。

そして、次に起きてみたら足が、なかった。

「ぇ?」

一瞬、脳みその思考回路が完全に停止した。

目に映るのは脹脛の途中から途切れた足。左右で適当に当たりをつけて切り落としたのか、揃えた状態だと長さが違う。
それが確かに自分の胴体と繋がる、俺の足なのだと、認識して。

「あ、ああ゛ぁあぁあ゛あ!!!!あし、俺の足が!」

いつの間にかギブスの様なもので膝関節を固定された足は簡単には動かなかったが、その断面だけは曝されて醜く爛れてるのが窺えて。俺は喉が引き攣りそうになるのもお構いなしに喚いた。

だって、足が、俺の体が、壊されてる

ぎゃあぎゃあと認めたくない現実に狼狽えまくっていれば、ガチャリと部屋のドアが開いた。

「よお、やっと起きたのかよ。あんまり寝てっから心配したじゃねえか」

「っ!!???!?!お、前」

「ん、何?てか腹減っただろ、ほら飯食おうぜ」

何事もないかように、この異常には触れもしないで。
平然と男が皿とナイフとフォークを持って俺のベッドサイドに近づいてくる。本来の俺ならここで動けないながらも男に掴みかかって憎悪の感情をぶつけただろう。

でもその時の俺は、男のすべてを捉えて、怯えることも抗うことも出来ないほど混乱していた。

なぜなら、奴が揚々と運んできた皿の上に乗るのは、明らかに人の体の、足の形をしていて。
多分、それはおそらく、誰かのモノではなくて、おれの、いや、でも、

混乱する俺を他所に、男は、嗤った。
嗤い声はやはり聞こえなかった。

「ほら、お前の足。焼いてみたんだけどやっぱ人の肉ってあんまうまそうな匂いしねえよな」

「っ!!!!お、れの、足……ぁ、ぅ、ぁ、!っおえ゛」

その言葉と自分の中の最悪の予想が重なった瞬間、俺は、

吐いた。
肉の焼けた匂いにしては血なまぐさい悪臭と黒く焦げた断面。肉の隙間に埋もれる砕けた骨の端。その全てが気持ち悪さや恐怖、絶望、悲嘆、憎悪と混濁して一気にせり上がって。

俺の中に、留めて置けなかった。

溢れ出た吐瀉物と胃酸の臭いも相まって部屋の中に更に悪臭が広がる。

だが、男は何も気にした風ではなくその皿を持ったまま俺のベッドの傍らに座るとサイドテーブルにそれを置いた。俺はまた吐きそうになって、見ていられなくて顔ごと目を逸らした。口から息を吐いて出来る限り臭いを嗅がないようにする。吐いたものでベトベトになったシーツを気にせずに握りしめた。そうでもしないと気が触れそうだったのだ。
最大限の現実逃避は脳の片隅にギリギリで理性を繋ぎ止めるのが限界だった。

だが、その限界さえも男は平気で打ち砕く。

ギコギコギコギコ
ナイフが俺の足だったものを削る、音がする。脂肪が熱で溶けただでさえ筋と筋肉ばかりの肉は固くなって食用には向かない。だが、そんなことは気にも止めずにナイフは一心に突き立てられて。最後にはガチッと皿とぶつかって止まった。

「ほら、口開けろよ」

「っ」

突き出されたものが、何かなんて見たくもない。口に入れるなんて言外だ。それが自分の肉体だったものなら尚更。

俺は必死に顔を背け目を瞑る。
何がなんでも喰う気のない俺を認めて諦めたのか男は一つ嘆息した。

「まあいいや。………どっちにしろ紺の足は俺が全部食べるつもりだったしな」

「?」

俺の口元から男の手が遠退く気配がする。ならなんで俺に差し出したのかと疑問に思ったが、油断させてくわせる気かもしれないと意地でも口は開けない。顔も背けたままだ。

だが、男はそのまま突き立てることもなくフォークを持ち直すと、

「じゃあ、いただきます」

「!?!!っ!!」

その言葉と一緒に、追うように聞こえてきた肉と骨の咀嚼音。いや、咀嚼音なんて生易しい物じゃない。
ゴリッとかブチッとか。とにかく聞きたくもない音が、無音の部屋に響く。チラリと視界の端で男が握っているものはよく見ればナイフよりもギザギザとしたノコギリに近いような歯を持ったモノで、フォークよりも先が鋭く尖ったモリのようなモノだった。それが、脂のような白い塊をくっつけながら、鈍く光る。

「何驚いてんだよ。俺がお前の足を捨てるわけねえだろ?紺の全ては俺が貰うんだから」

愛している紺の一部だと思えば美味しいよ。
そう言って、飲み込んで。微笑んで。

俺の体だったモノは程なくして男に全て平らげられた。






その日から男の行動は更に狂って行った。

次に奪われたのは喉だ。
ある日男が珍しく外に出て買い込んできたのは業務用の洗剤だった。2L程の液体洗剤。それが3袋。

足を失った動けない俺のベッドに無造作にそれらが放られる。液体特有の反発性のあるゼリーのような躍動が太腿で跳ね、その後重くのしかかった。

傍らに立つ無表情の男は言う。

「これ以上俺はお前の拒絶の言葉なんて聞きたくねえんだよ」

俺の全てが欲しいと言っていたはずなのに。
拒絶の言葉を渡したら要らないと言われた。

そうして俺の口に差し込まれた漏斗の注ぎ口。反対側から注がれるのは俺の上に放られた液体洗剤。ここまでくれば目の前の狂った男がこれから何をしようとしているかなんて考えなくてもわかる。
だが、それに気づいて必死に抗おうとした時にはもう遅かった。俺の顎に食い込む無骨な指。その指が無慈悲に俺の顔を固定する。

そして、目の前に迫る、刺激臭を放つ液体。
それが、狙いを定めて漏斗の注ぎ口に傾けられて、

「っ゛゛゛!!!!」

ゴポゴポと飲み下すことしか許されない異物が、喉を焼いた。息をするためには飲み込むしかなく嚥下するが、すぐに熱く痛む咽頭に噎せ返る。吐きそうになれば漏斗が外され顎の下に洗面器が翳される。俺は我慢もせずに吐いた。

吐き出した液体は胃液を含んで濁って泡立っていた。

「飲み込んですぐに吐き出してもいい。その代わり全部喉を通せよ」

言って、男はまた漏斗を咥えさせる。顎を強く掴まれれば注がれるそれから逃れることはできない。生理的なものだけでない涙が頬を伝う。

「これで、紺はもう俺への愛しか紡げないな」

全てを飲み込んで吐き出してグッタリとベッドに沈む俺を、奴はそっと抱きしめた。

俺の喉はもう、掠れた息の音しか囁やけない。

「紺の言葉も声も、俺のものだな」

男は俺の熱を持つ喉を愛おしそうに撫でて目元を緩めて、声もなく嗤った。



そうして男はどんどん俺から何かを奪い取っては俺の一部を手に入れたんだと喜ぶ。

人には既に自分という容器と中身があって満タンの筈なのに。こいつは一体俺を取り込んで何を満たすつもりなのだろうか。
許容量を超えた器に注がれる俺という異物に溢れかえった中身が狂気として零れる。

対する俺は削れて削れて。
最早元の俺とは重ならない部分が多いほど削られて。その削れた部分に奴の狂気が塗りたくられていった。

本来の『俺』はもうほとんど残っていない。
足も声も腕も右目も。この男に奪われた。人間としては限りなく欠陥品。これは本当に『俺』と言えるのか。

そんな俺を、もし仮に全て手に入れられたとして。
それにどんな意味があるのだろう。

揺れるベッドと天井のシミに問いかけて見るが、応えなんて返ってこない。

でももう、応えなんて返ってきてもどうしようもないこともなんとなくわかっていた。
こんな体になってしまった俺を、奴の狂気を取り込んで壊れかけている俺を、一体誰が引き取ってくれるというのだろう。

どうしようもなく沈んでいく思考回路は少しずつ狂った方に方向転換し始めている。

「怖えんだ、紺はいつだって綺麗でかっこよくて人気だから。もしかしたら明日にはここに誰かがやってきて紺を俺から奪っていくかもしれない」

「紺は俺のものなのに。俺が紺の全てを愛し尽くすってあの日決めたのに」

「でもそれを邪魔する奴が世の中には沢山あるんだ」

こんなに壊れ尽くした、壊され尽くした俺を見てまだ男はそんな世迷い事を言う。そして問うのだ。


「なあ紺、俺のことを愛してるか?」


ここで昨日までの俺なら声がなくともはっきりと嫌いだと、お前が憎いと、拒絶の言葉を口に象ったんだろう。

でも、俺はもうわかってしまった。
もう俺にはお前のその狂った愛情くらいしか残っていないんだって。だから、言ってやろう。

『愛してる、寛大』

「っ、」

俺の許容量を超えて溢れたのはかんたへのその言葉だった。

目を見開いて俺の顔を凝視する寛大。その顔に久しぶりに嗤ってみれば、

「は、はは、ハハハ」

男から溢れたのは初めて聞く声を持った笑い声だった。

彼のものとは違う笑い、声だった。



end


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