俺、本当はね
黄瀬は本当によく笑う。
楽しそうに、嬉しそうに。
それにつられて周りもよく笑うようになった。
じゃれあって、からかって、ふざけあって。
でも、俺は気付いていた。
黄瀬が心の底から笑ってはいないということに。
「黒子っちおはよー!」
いつも通りの無邪気な笑顔で体育館に入ってきた黄瀬は、真っ先に黒子に抱きついた。
「おはようございます、黄瀬君。…重いので離してください」
「えー」
口を尖らせ残念がりながらも、ぱっとすぐに離れる。
その後青峰たちにも笑顔で挨拶をし、一人部室へと姿を消した。
そんな黄瀬を遠くから見ていた俺は、密かにため息を吐く。
また、今日もいつもの笑顔。
本心からじゃない、上辺だけの笑顔。
しかしそれは、誰もそうだとは気付かない程に完璧で、まるで仮面のような表情だ。
それをいつも出来るのは、もうそれが染み付いているからだろう。
それが普通の表情になってしまったからだろう。
作り笑顔じゃなく、ちゃんと心からの、本心からの笑顔が見たい。
そう思い始めたのは、作り笑顔だと気付いた日からだ。
もう随分前だが。
今だに本心からの笑顔は見れていない。
部室から出てきた黄瀬は、真っ先に俺の所へと走ってきた。
「赤司っち、おはよーっス!」
ニコっ、と音がしそうな笑顔。
でもこれも、仮面の表情。
「…あぁ、おはよう黄瀬」
俺も黄瀬に笑顔を作って挨拶をする。
それを聞き、また一つ微笑んでから黒子や青峰の元へと戻っていく。
人の考えていることは分かりやすい。
表情に出る人もいれば、態度や雰囲気に出る人もいる。
それを読み取るのが得意な俺は、黄瀬に会って驚いた。
黄瀬の考えていることは、全くなにも分からない。
表情にも、態度にも、雰囲気にも、どこにも出てこないのだ。
それに、俺たちとどこか距離を置いて、わざと身を退いているようにも見える。
本心からじゃない作り笑顔に、読めない心境。
馬鹿な考えだと思うが、人形やロボットなんじゃないかと考えたこともあった。
黄瀬が屋上でうたた寝をしているところに出くわした時、出来心で黄瀬の胸に手を当ててみた。
ちゃんと心臓は脈を打っていて、温かかった。
それが分かって、酷く安堵したのを覚えている。
人だった、と。
「赤司っちー!3on3やろー!」
俺に向かって腕を振っている黄瀬の傍には、黒子と青峰、それと緑間に紫原がいた。
「…そうだな」
考えるのを止め、俺は足を進めた。
*******
「…ん、あれは」
学校も部活も終わり、帰ろうと校門を出たところで、少し先に黄瀬を見つけた。
一人で歩いているその背中に、そっと話しかける。
「黄瀬」
「赤司っち。どうしたんスか?」
「よければ一緒に帰らないか?」
「俺でよければもちろんOKっスよ」
もう見慣れてしまった笑顔で言う黄瀬の隣に行き、再び歩きだす。
部活や黒子たちの事など、他愛のない話をして家路を歩く。
…聞いてみようか。
今まで、ずっと聞きたかった事を。
知りたければ本人に聞くしかない。
頃合いを見計らって、さり気なく話を変える。
「黄瀬、聞きたい事があるんだが、いいか?」
「赤司っちが俺に聞きたい事、スか?」
「…黄瀬はなんで笑わないんだ?」
「笑わない?俺、結構笑ってると思うんスけど」
「作り笑顔じゃなくて、本心からの笑顔で、だ。いつも仮面を被ってるような笑顔だろ?それに、黄瀬の考えていることが分からない」
「………」
俺の言葉に、黄瀬はただいつもの笑顔を作っていた。
無言で、けれど笑顔で。
暫く黙っていた黄瀬だったが、唐突に話し始めた。
「気付いてたんスね。さすが赤司っちっス」
「………」
「…俺、本当はね、皆が嫌いなんスよ。赤司っちも、黒子っちも、青峰っちも皆。赤司っちたちだけじゃなくて、人間が全員嫌いなんス。女でも男でも、子供でも大人でも」
「…嫌い?」
「…ぁ、嫌いはちょっと違かったっスね。人間不信、て言うんだっけ?それなんスよ、俺」
そう笑顔で言う黄瀬に、僕は眉を寄せる。
人間不信。
自分以外の人間を信じられなくなること。
「そう見えないように振る舞ってたんスけどね。なるべく笑顔で話しかけたり、スキンシップしたり」
人間不信なんて、相当なことがなければならないはずだ。
一体、黄瀬に何があったのだろうか。
いつから、無理な笑顔を作っていたのだろうか。
聞きたいことは沢山あったが、もしトラウマなどからのものだとしたら、それを思い出させてしまうことになる。
今でさえ悲しい笑顔をさせているのに、これ以上無理をさせたくなかった。
「…色々聞きたいって顔してるっスね」
「…まぁ、ね。だけど止めておくよ」
「いや、いいっスよ。気付いたの赤司っちが初めてだったし、暗い話になるけど、それでもよければ」
黄瀬の目を見て頷けば、その顔から笑みがなくなり、真剣なものへと変わる。
そして何かを思い出すかのように空を見上げ、話始めた。
「…俺がまだ六歳くらいの時かな。父さんが浮気したんスよ。その事が母さんにバレて喧嘩になったんスけど、もうしないって約束して、仲直りしたんス。けどそれからも父さんは隠れて浮気を続けてて、しかも浮気相手に子供まで出来て、母さんはあっさり捨てられてさ。そのショックで、母さん事故起こして死んじゃったんスよね」
話す黄瀬の顔が、どんどんと歪んでいく。
それが悲しみからか怒りからかなのは、俺には読み取れない。
「まだ小さかったから、そのことがトラウマになって人間不信になったんス。でもまだその時はそんなに酷くはなかったんスよ。その後父さんに引き取られたんスけど、子供が生まれたこともあって俺はほとんど野放し状態。父さんの所為で母さんは死んだのに、そうとも考えないで新しい女と子供と幸せそうに笑いあって。父さんを信じてた母さんを裏切って殺したくせに自分だけ幸せになって。引き取られてから一ヶ月も経たない内に、他人を誰も信じられなくなったんス。血が繋がっていても、友達でも、本当にいい人って分かっていても。あの家から早く出たかったから、中学に入ってから一人暮らしを始めて、父さんとはもう連絡もとってないんス」
そこで言葉を切り、再び仮面の笑顔を俺に向ける。
「中学に入って青峰っちに会ってバスケに出会って、赤司っちや皆に会って、本当にすごく毎日が楽しくて。人間不信なんてすぐに治るって思ってたんスけど、長い間自分の感情を殺して、他人を疑ってきたから笑うことが出来なくなってたし、裏切られるかもって無意識の内に心で思ってたから本心なんて出せなかったし出さなかった。だから簡単に人を信頼出来る皆が大好きだけど、嫌いでもあった。羨ましかったんス」
「俺たちは決してお前を裏切ったりしないよ」
「それは俺もよく分かってるっス。…分かってるけど、無理なんスよ」
弱々しく放たれた台詞に、怒りが湧いてきた。
全然分かっていないじゃないか。
どこが分かっているんだ、と。
「分かってねーじゃねぇかよ」
俺が言おうとした台詞を、背後からの苛立ちを含んだ声に先を越された。
「…え」
「…お前たち」
驚いて振り向くと、そこには青峰、黒子、緑間、紫原の四人がいた。
いつの間にか後ろにいた四人に、黄瀬は目を見開く。
「…いつからいたんスか?」
「お前が親の話をし始めた時からいたのだよ」
「聞いてはいけないと思ったのですが、話しかけずらい雰囲気だったので」
「マジバに寄ってこー、って話になったから、先に帰っちゃった赤ちんと黄瀬ちんを誘いに来たんだよー」
緑間は面倒そうに、黒子は少し申し訳なさそうに、紫原はいつもと変わらずに言う。
黄瀬は静かに青峰を見る。
「…分かってないって、どうしてっスか」
「本当に分かってるなら、お前は笑えてるはずだろ。笑えないってことは少しでも疑ってるからじゃねーのかよ」
「……それは」
「黄瀬君が作り笑顔をしていることは、ここにいる全員気付いてましたよ」
「お前が俺たちと一線を引いていたこともな」
「分からない方がおかしいっしょー」
「…気付いてたのに、普通に接してくれてたんスか?なんで…」
「なんでって、当たり前じゃないですか。友達だからですよ。キミが僕たちを好きと言ってくれるように、僕たちもキミが好きなんですから」
「だからお前が自然に笑うまで待ってやろーと思ってたんだよ。でも、やっぱ赤司みてーに直接聞けばよかったんだな」
黒子たちの言葉に、黄瀬は瞳を滲ませる。
涙が出ないようにか、口を固く結び、目を瞬かせている。
「黄瀬、今はまだ無理かも知れないが、必ず心から笑えるようにさせてやる。俺たちを信頼出来るようにしてみせる。だからせめて、思ったことを何でも言ってくれ」
「…あ、かし…っち…」
「そうですよ。遠慮しないで言ってください。青峰君の肌を白くしろ、とかでも大丈夫ですから」
「おいテツ、例えが酷すぎねーか」
「聞いてやらないこともないのだよ」
「俺もー」
黄瀬の瞳に溜まっていた涙が、ポロポロと地面に落ちていく。
「あ…りがと、う…。…俺、本当は青峰っちともっと1on1やりたい、し、…黒子っちのパスももっと受けたいし、紫原っちとスイーツとか食べに行きたいし、緑間っちともっと話したい…し、赤司っちにも聞きたいこといっぱいあるし…」
言いながら、流れて留まらない涙を制服の袖で拭う。
そんな黄瀬にハンカチを渡すと、まだぎこちないが笑顔を向けてくれた。
「1on1ぐらい、いくらでもやってやるよ」
「僕のパスでよければ喜んで。イグナイトもプラスしますよ」
「はは…、イ、グナイトは遠慮す、るっスよ…」
「黄瀬ちんになら俺のオススメのスイーツ特別に紹介してあげるね」
「話すことなどないが、付き合ってやらなくもないのだよ」
「俺に聞きたいことってなんだい?」
俺の問いに、少し考える素振りをして答える。
「一番聞きたいの、は…赤司っちがいつも投げつけてくる大量の鋏はどこで買ってるんスか、とか…」
「あぁ、あの鋏か?あれは毎日緑間からパク…、拝借してるものだから買ってはいないよ」
「なんだと!?いつも筆箱に入れてるはずの鋏がなくなっていくのはお前だったのか赤司!毎日買いに行くのが大変なのだよ!」
「気付いてなかったのか?」
「気付く訳ないのだよ!鋏ばかり買うから、いつも店員に変な目で見られるんだぞ!お前のせいで!」
「ふ…、あはは…っ」
「…!!」
笑い声に、黄瀬の方へ視線を移す。
そこにあったのは今まで見てきた本心からじゃない上辺だけの笑顔ではなく、ちゃんと心から楽しんでいる自然に出てきていた笑顔だった。
初めて見た黄瀬の笑顔はいつもよりずっと輝いていて、綺麗という言葉がとても合う。
「黄瀬!笑えたじゃねーか!」
「え?…嘘」
「本当ですよ!もう一度笑ってみてください!」
黄瀬は不信がりながらも、もう一度笑ってみる。
しかし先程の輝きはなく、作り笑顔に戻っていた。
「あー、戻っちゃったねー」
「…そう、スか…」
「だが、一歩進んだんだ。確実に治る」
「…うん、そうっスよね。ちょっと時間かかるかもしれないけど、絶対治してみせるっス」
「僕たちも手伝います」
「おう」
「うんうん」
「…皆、本当にありがとう…」
「気にすんなって。…あ、そういやマジバ行くんじゃなかったか?」
「そういえばー」
「では今から行きましょう」
「そうだね」
「黄瀬、早く歩くのだよ」
「はいっス…っ」
俺たちは黄瀬を囲むようにして歩き、店に着くまでの間ふざけたり話をしたりした。
本人は気付いていなかったようだが、その間に二回ほど綺麗な笑顔をみせていた。
黄瀬が普通に笑えるようになるまでそんなに時間はかからないことだろう。
─END─