俺と折原臨也は高校の同級生だった。
当時から親しかった、などとは俺は思っていない。が、ドタチンなどと不本意なあだ名で呼ばれ、こうして呼び出されて一緒に酒を飲む程度にはどうやら懐かれているらしい。
折原臨也はよく喋る。話題は近所の猫の話から政治話にいたるまで千差万別と言っていいがそれは最初だけで、大抵はひとつの話題に絞られる。
「ねえ見て見てドタチン。これヤバくない?」
新宿のとあるビルに入っている居酒屋で、向かいの席から突き出された臨也の携帯画面に目を向ける。そこにあるのは金髪バーテンの立ち姿だった。
「足超長くない?カッコ良すぎない?なんなのシズちゃんカッコ良すぎて俺胸痛いんだけど」
ヘラヘラと笑いながら臨也は携帯をクルクルと回す。
臨也にビビッている奴らがこの面を見たらどう思うだろう。
俺には一瞬だけ見せた携帯を、すぐ自分の手元に引き戻し、両手で包むおまえは一体どこの乙女だ。
「最近仲良くなった来良の子がね、隠し撮りうまくて俺にたくさん送ってきてくれんのよ。もうヤバい。俺のシズちゃんフォルダがリア充すぎる」
「そうか、良かったな」
適当な俺の返事にも臨也は嬉しそうに頷く。
「最近の携帯って画素数ハンパないからポスターにも耐えるんだよね。等身大作ろうと思ったらプリンター考えなきゃだけど」
「作ったのかポスター」
「え?作るよ?そして飾るよ?もちろん春夏秋冬衣替えだってするよ」
「カレンダーかよ」
「おはようからおやすみまで暮らしを見つめたり見つめられたりしたいんだよ」
このように臨也はとても楽しそうに、そして少し気持ちの悪い話をする。
俺はその話にたまに付き合い(そう、たまにだから堪えられる)相槌を打ってやるのが学生の頃からのお約束だった。
いつも俺はあきれた様に言ってやる。
「おまえ本当に静雄のこと、好きなんだな」
そして臨也は満面の笑みでもってそれを肯定するのだ。
「好き好き大好き!ああ、もう、ほんっとうに、シズちゃんラブ!なんであんなに俺の好みドストライクかなあ!顔も体も性格も!かっこいいところもかわいいところも大っ好き!!」


静雄の話をする毎にテンションの上がる臨也をたしなめつつ、明日に響かない程度の酒を飲む。
臨也は頼んだほっけを箸で突きながら、ただただ静雄の話に花を咲かせている。
普段池袋に来ては静雄に追い返され、死ねやら殺すやら言ってるこいつは実は恐ろしく天邪鬼だ。
好きな相手にだけ思いとは逆のことを言うし、やってしまう。
気を惹きたくて女の子をいじめてしまうガキと同じで、第一印象の酷さがショックだったのをきっかけに、どうせ好かれないなら嫌われた方がいいという答えに行き着いてしまったこいつはたぶん可哀想なんだろう。
思惑通り静雄の関心は悪い意味ではあるが臨也に向かっている。
臨也はそれで満足しているらしい。
だが結局のところ好きという感情を殺しきることはできないらしく、溜まった思いを吐き出すようにこうして本人以外に垂れ流すのだ。
いや、本人に言えないからこそ他人にぶつけている。
例えば今、俺相手にくだを巻いているように。
「シズちゃんね、最近は機嫌がいいみたいで、たまに笑顔とか目撃されてるんだよ。いいなー俺も見たいなー。もしかして俺が最近池袋に行ってないからかな。ハハッ」
ちまちま食べていた箸を置き、ビールを喉に流し込んで、臨也はふうと溜息を吐いた。
「もう1週間も会ってないんだよね〜。会ってないとよけい好きだなあって自覚しちゃうから困る。出会って何年経ったと思ってんだか、いい加減そろそろ覚めてもいいのにねえ」
「そういやもう8〜9年になるか」
指折り数える俺に臨也はまた笑った。
「すごいよね。正直もう一生好きなままの気がする。出会って10周年にはダイヤでも記念に買うよ。スウィートテンダイヤモンド買ってパーティでもするよ」
「まさか俺はそれにも呼ばれるのか」
「そりゃシズちゃん呼ぶわけにはいかないからね。いいじゃん付き合ってよドタチン」
いつもの嫌味な笑みとは違う、へにゃりとした笑顔に俺も溜息が深くなる。
計算された表情だろうが、必要だからそれをするのであれば、俺は乗ってやるしかない。
「しょうがねえな。ここまできたら祝ってやるよ」
本当は早いとこ諦めて嫌がらせなどをやめてくれれば池袋も平和になるとは思うものの、こう見えて本当に好きなのだということを長い付き合いで知ってしまったので、無駄な異論は口にしない。
昔は口も挟んだし、説得もした。
しかし人の恋路の邪魔というのは相手が誰であれ、無意味なことだ。
今はただこのガキのまま成長しない男の報われない恋の話だけでも聞いてやろうと思っている。
嫌われていることを知っている。それでも好きだとこいつは言う。
どうにかなりたいとは思ってもいない。
ただ好きなだけ。
ただそれだけなのに迷惑な殺し合いを繰り返し、勝てもせず傷だけ増やすこいつに俺は少なからず同情している。
応援はしない。
話を聞くだけだ。
それだけの付き合いが、二人の出会いと同じだけ続いていた。

「あーそろそろ出るか。の前にトイレ行ってくる」
今日も延々と静雄好き好き話を聞かされ続け、時間もいい頃合になってきたので席から腰をあげた。
そしてなにげなく、本当にただなにげなく衝立の向こうの隣の席に目を向けた。
俺は固まった。
客は入っているようなのに、どうも隣は静かだなとは思っていた。
思ってはいたが、自分達には関係がないと気にもしていなかった。
自分達の席は店内では端っこで、臨也は入り口の方に背を向けており、俺は衝立の向こうは死角になっていて誰がいるかなど見えなかった。
今立ち上がった俺に見えるのは、お通夜のごとくうつむいて顔を覆っているドレッド頭と、同じようにうつむいて座っている話題の張本人である金髪の後頭部だった。
息を飲んだ俺に気付き、訝しげに眉をひそめた臨也は俺の視線の先をひょいと覗き込んだ。
そして同じように息を飲んで固まった。

どれほど時間が経ったのかも分からなかった。
依然お通夜状態の隣の二人。
そして臨也は顔を真っ青にしてずるずると座り込み、衝立を挟んで背中合わせの静雄と同じようにうつむいた。
どう考えても今までの会話は筒抜けだっただろう。
自分達が店に入った時二人はいなかった。
だがさっき来たばかりだとは言い難い卓上の状態が見えてしまった。
一体どのタイミングで隣に座り、静雄が切れもせず、俺達の会話を聞いていたのか、これがどういう状況なのか、まるで分からない。
分からないが、残念ながら幻でもなんでもなく今この場に静雄がいるのは現実であると、俺はようやく正気に返って臨也の肩に手を置いた。
途端にビクゥッと跳ね上がる体に合わせて椅子がガタンと音を立てる。
その音に静雄とその上司の肩も震えた。
俺の顔を見上げる臨也の目はまるで死んでいる。
臨也は今まで一言だって静雄の前で好きだと言ったことはない。
冗談でも口にしたことがないと言っていた。
臨也なりの思いがそこにはあったのだろう。
俺の前では好きだ好きだと簡単に吐き出すくせに、本人にだけは言わなかった。
こんな形で静雄に伝わってしまうのは想定の範囲外であろう臨也の肩を、俺はぎゅっと掴んでお通夜二人組に声をかけた。
「あー、その、静雄、これは…」
「アハハハハハハハハハッ」
突然臨也が笑い出してぎょっとする。
「アハハハッなんなのそのリアクションうけるんですけど!ちょ、まさか真に受けちゃった?ないない!ありえないっつーの!」
臨也は俺の手を振り払い、立ち上がって財布から万札を引き抜き、机に置いた。
「最初から知ってたし、そこにいること!やーいつ暴れ出すかと思ってたらだんまりって!うけたっつーかむしろ引いた!勘弁してよシズちゃんきもーい!」
手が震えている。
目が笑えてない。
無理があるぞ臨也…と思っていたら、静雄の上司も同じ思いだったらしく、おずおず上げた顔がなんだか哀れなものを見る目を浮かべていた。
「つかなんでシズちゃん達ここいんの?マジうざいんですけど!ほんっと一刻も早く死んで?俺からのお願い!」
「臨也、ちょっと落ち着け」
「は?落ち着いてるけど?ドタチンこそトイレ向こうだよ。行ってきたら?」
そんなもんとっくに引っ込んだっつーの。
「とりあえず話しした方がいいだろ。座れよ」
「なんで?意味分かんないし、俺もう帰るし」
オートで喋っているのか普段通りの口調と、焦点の合わない視線とが、あまりにチグハグな臨也を俺は初めて見た。
そして、あ、これはやばいな、と思った。
「おい臨也」
「じゃーねドタチン!おっやすみ〜」
俺の手から回りながらすり抜けて、踊るように臨也がレジ横を通り抜ける。
俺はあせって伝票と臨也の置いていった金を掴んで追いかけようとしたが、横から伸びてきた静雄の手に腕を掴まれた。
「…門田、ちょっと話聞かせろ」
地を這うような声だったがそれどころじゃない。
「悪いまた今度な。今はまずい、行かせてくれ」
「あ?なんでだよ」
ようやく顔を上げた静雄の目が重苦しく据わっている。勘弁してくれと言いたい。
「あいつがまずい。自殺でもされたら困るから行かせろって言ってるんだ」
「はあ?!あの野郎が自殺だぁあ?!」
ハッと鼻で笑った静雄の手を思いっきり振り払うと驚いた顔をされた。
「これでもな、もう何年もあれに付き合ってんだ。おまえに分かってくれとは言わねーから、今だけ邪魔してくれんな」
静雄には悪いが言い捨てた後はもう振り返らずに、レジに金を放って店を飛び出した。
すぐ目の前のエレベーターは動いていない。外階段を駆ける音が恐ろしいことに上に向かっている。
舌打ちしながら全力で駆け上がり、屋上につながる扉の鍵を今まさにこじ開け手をかけた臨也を後ろから羽交い絞めにした。
開きそうだった扉を蹴りつけ閉じさせるとドアノブを掴んだままの臨也が暴れる。
「お願いドタチン!見逃して!」
「あほか!見逃せる状況じゃねーだろ!」
「後生だから!後生だから飛ばせてくれええええええ!!!」
ここで見逃したらおまえの後生はどうなると突っ込みたい。
おそらく静雄にも聞こえているだろう臨也の絶叫が新宿の夜にこだました。



続く
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