風邪を引いた。
風邪というか、インフルエンザ。
この冬猛威をふるった新型インフルエンザに人ゴミラブな俺が感染してしまうのは自明の理であろう。
とはいえまいった。
このところ少し不摂生な生活をしていた自覚があり、かつシズちゃんに追い掛け回され体力を著しく消耗していたからか、今かなり症状は重い。
恐ろしく混んでいた待合室でさらに悪化させ、フラフラで出てきた病院の前、もしかしたらすでに感染させてしまっているかもしれない波江に1週間の休みを電話連絡した。
一部で有名人な俺はこの状況で人と会う気はさらさらなく、着慣れない白コートを羽織り、感染者のエチケットとしてマスクをかけ、背を丸めて歩く。
しばらく隠れ家にこもっていようと新宿の事務所とは逆方向に足を向け、とりあえず水と栄養ドリンクを買った。
食料をとレトルトコーナーのおかゆを見つめるが、レトルト嫌いだしなにより食欲が全然ない。
まあいっかと素通りして、飲料ばかりを買い込んで、そして後悔した。
重い。
今度からストックしとこうと反省しつつ、さらにフラフラで買い物袋を提げて歩く。
荷物も重いが足も重い。
ちょっと休憩と、人気のない路地で足を止めると、ああもう動きたくない。
まいったなあと呟こうとするも声がでない。
ゼエゼエと呼吸を荒げ、息苦しさのあまりマスクを顎の下に追いやった時、ふっと視界が暗くなったと思ったら、突然ものすごい衝撃が襲ってきて体が横に吹っ飛んだ。
叩き付けられたフェンスがガッシャーンと音を響かせ、跳ね返った俺の体はアスファルトの上を転がった。
「ガッハ…ッ」
地面に肘をついてなんとか起き上がろうとするが、息は詰まるは頭クラクラだは体が言うことをきかない。
「ゲホッゲホゲホゲホ」
うずくまったまま、せり上がってきた咳と胃液で喉が焼ける。
滲む目の端に映るのはどっかの店のプラスチック製看板と俺が撒き散らした飲み物たち。
吹っ飛ばされた先がフェンスじゃなくてコンクリの壁なら死んでた。
殺人未遂ですよこれは。
ただでさえ辛いのに、体中が痛い。
病院から出てきたばかりだっつーのに逆戻りかよ、と舌打ちしたかったが、咳が収まらないのでそれどころではなかった。
ジャリッと自分以外の靴が地面を踏みしめる音が近くでする。
顔を上げなくても分かる。
あーはいはい、シズちゃんシズちゃん。
「いーざーやーくん!…だよなあ?」
ここまでしといて疑問形とかwww
思考とは別に咳が止まらないので返事もできない。
苦しい。呼吸困難。死にそう。
痙攣する俺の腹の下にシズちゃんの靴が差し込まれ、ドッと蹴り上げられる。
体が浮いて、フェンスがまたガッシャーンと音を立てて、でも今度は跳ね返る前にシズちゃんの手が胸倉を掴んで俺の体は空中で止まった。
成人男性の体を片手で軽々とか相変わらず化け物じみてて笑える。
しかも本気だったらシズちゃんの蹴りで俺の体なんて上空何メートルをぶっ飛ぶか分からないので、軽〜く持ち上げたつもりなんだよこれで。
首がかくんと上を向いて、気道が確保された俺はようやく息を吸えた。
ゼエゼエヒューヒューいやな音に、俺もシズちゃんも眉をひそめる。
「なんだやっぱノミ蟲か」
胸倉を揺らしてガクガク俺の頭が振られて下を向いた顔を確認し、シズちゃんは銜えタバコのまま口の端からフーと煙を吐いた。
まあね、白いコート着てるし、飛んできた看板にも気付かずブチ当たるし、いつもの君の臨也君じゃないですよね。
何か言ってやりたいけど口開けたら咳が出そう。
いや出していいのか。シズちゃんだしね。
そう思った俺は遠慮なくこらえていた咳をシズちゃんの顔に向かって吐き出した。
「ゲホゲホゲホゲホッ」
「うっわ」
シズちゃんが引き寄せていた腕を突っ張ったので、俺の体はブランと揺れた。
ハハハうつれうつれ!シズちゃんにインフルエンザがきくとは到底思えないけど一縷の望みに俺は賭けたい。
「なんだテメェ、ノミ蟲の分際で風邪でも引いたか」
「シズちゃんこそ、シズちゃんの、分際で、新宿でなにしてんの」
息切れしてても体中痛くても、笑顔を絶やさない俺でいたい。そんな健気な俺にシズちゃんは相変わらず憎たらしいイケメンさらしてタバコを捨てて足で踏み消した。
「仕事だ。もう終わったけど」
つまり俺を殺す時間は十分にあると言いたいんですね。分かります。
「静雄ー、俺先に帰ってるぞー」
路地の遥か向こうでドレッド頭が手を振ってる。
「はいお疲れ様でーす」
シズちゃんが返事すると頷いてあっさり去っていった。
ちょっと!殺人を見過ごす気か!不作為犯だよそれ!
叫びたかったが咳しか出なかった。
酸欠でクラクラするが体の痛みが気を失わせてくれそうにない。
上司を見送ってこちらに振り向いたシズちゃんは、さてと、と俺をフェンスに押し付けた。
あー俺死ぬのか。
なんでこうなるかな。
こういう時によりにもよってシズちゃんに見つかる俺の運の悪さといったらなんなんだよ。
あ、厄年か。お払い行っとけば良かった。
熱でぼんやりする俺の頭をシズちゃんの手が掴む。
「おお、あっちぃな」
そりゃあね、さっき病院で計ったら39度超えてて笑ったからね。たぶん今はもっと上がってるでしょーよ。
今から冷たくなっちゃうんだろうけどね。
シズちゃんは俺の額に当てた掌を顔をしかめて見て、それからキョロキョロとあたりを見回し、ふむ、と頷く。
目撃者の確認を終え、さあ殺そうってか。
いよいよ覚悟を決めた俺を、シズちゃんはよっと軽い掛け声で放り上げた。
グルンと目が回って腹に衝撃。
ぐえっと呻いて、さらに自分の状況に目を白黒させる。
シズちゃんの肩に担がれている。
で、そのままシズちゃんは辺りに散らばったドリンクを拾い上げて、袋にまとめて、歩き出した。
「あ、あの〜、シズちゃん?」
歩く振動でゆさゆさ揺れるのに気持ちが悪くなりつつも俺は笑った。
「はは、あのさ、まさか、だよねえ?」
そこまで言って、またこみ上げた咳に体を震わせる。
ひとしきり咳をして、息をつくと、顎の下に下がってたマスクを引っ張られ、ぱちんと装着させられた。
無言とか。
ホント勘弁。
すうっと息を吸い、思いっきり暴れて肩から転がり降りた。
が、胸倉は依然掴まれたままで逃げられず、ドスッとわき腹に拳が入った。
ちょ、本気で痛い。痛いけどこれ全然本気じゃない。(本気なら風穴が開いている)
ズルズルと崩れ落ちた俺を、再度肩に担ぎ直し、シズちゃんは鼻歌を歌いながら歩き出した。
ああ、俺どうなっちゃうの?
無駄に歌のうまいジャイアンの肩の上で、俺はようやく意識を失った。
このまま目を覚ましたくないなあと思いながら。



俺の祈りむなしく目覚めたのはベッドの上、辺りを見回すと、そこは俺の部屋だった。
「…あれ?」
夢を見たのか?とぼんやりしながら体を起こそうとして、全身に走った痛みにまた沈み込んだ。
痛い、しんどい、目がかすむ、喉がひりつく。
ずるっと目の上に落ちてきた物に手を伸ばすとぬるくなった濡れタオル。
こんなベタな…と思いつつ固まっていると、開いたままの扉からシズちゃんが顔を出した。
ヒィと息を飲んだのがばれていませんように!
遠慮という言葉など辞書にないシズちゃんは、ズカズカと歩いてくると濡れタオルを取り上げ、掌を額に押し付けてきた。
枕に押し付けられたまま固まっていると、まだ熱いと呟いて、ベッドの下にあった洗面器の水にタオルを突っ込み、絞って、俺の額に押し付けた。
唖然としている俺に、さっきまで新羅が来てたと教えてくれる。
「あばらにヒビだとよ」
ハハハと笑って言うシズちゃんに、俺もハハハと笑うしかなかった。
自分でもびっくりするぐらい弱々しい笑いだったけど。
俺が寝かされているのはシズちゃんも知ってる事務所の一室だった。
シズちゃんは何故か俺の服を着ておりタオルを首に引っ掛けていた。
聞いてもいないのに俺の吐いたゲロがかかったので勝手にシャワーを借りたと教えてくれた。
丈が足りなくてピチピチで、俺が笑うとシズちゃんも笑った。
笑いながらぶん殴られて、再度意識を失った。

これはたぶん夢なんだろうな。そう思う。というかそういうことにしときたい。
いやはやとんでもない悪夢だった。
この夢で俺はシズちゃんに着替えを手伝ってもらい、汗を拭かれ、おかゆを食べさせてもらうという、献身的なお世話をされてしまった。
盛大にうなされる俺に、シズちゃんはひたすら笑顔だった。
俺の嫌がることのためならここまで出来てしまうシズちゃんは、ホントにもう死ぬべきだと思う。

ようやく回復し、破壊されたドアの修理を頼みながら、今日も俺はシズちゃん抹殺計画を脳内で練り回す。
腹が立つことに、波江や新羅にはしっかりインフルエンザが感染したというのに、シズちゃんはやっぱり健康なままだった。



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