グーで殴ってしまいたかった。
寸でのところで掌を開いたのは、臨也の両足の白いギプスが視界の端をよぎったからだ。
怪我人相手に、グーはまずい。
それでも一発じゃ収まらなくて、二発いってしまった。
しょうがないじゃないか!
私の心はそれ以上に傷付いた!
なんでなんでなんで!
なんでこいつはこうも人の心を傷つけるのがうまいのだろう!
いや私は人じゃないけど、でも人じゃないからって傷付かないわけじゃないんだ!
引っ叩いて臨也の言葉が途切れた後、本当は新羅に慰めてもらいたかった。
それでもフラリと部屋を出て行ってしまった静雄も放っておくことはできなくて、私はない後ろ髪を引かれる思いで部屋を飛び出した。


すぐ追いつけるようシューターを連れて外に出たが、予想に反して静雄はマンションの入り口でタバコをくわえて突っ立っていた。
キレて暴れていたらどうしようかと思ったが、ごく普通にたたずんでいるだけだったので拍子抜けする。
『大丈夫か静雄』
それでも早足で近付いて、PDAを見せると静雄は軽く頷いて煙を吐き出した。
「悪いな。心配させたか」
静雄はポリポリと後頭部を掻いて、はにかんだ笑みを見せた。
私は驚いていた。
あの静雄が、臨也にあんなことを言われたのにこの反応。
数日前まで臨也と見ると、何を言われなくともキレていた静雄がだ。
あそこまで貶められていながらキレもせず、あたかもちょっとタバコ吸いに外に出ましたという、この余裕はなんだ。
反面、馬鹿みたいに傷付いた私って一体…。
言葉を失っていると、静雄はタバコをふかしながら、悪いとまた呟いた。
「あー、アイツのアレ、気にすんな。別におまえらのこと言ってたんじゃねーから」
『静雄は腹が立たないのか?』
あんなことを言われて。
確かに私は人間じゃないが、静雄は一応人間だというのに。
「んー、まあ、腹立つこと言われてた気はするけど、でもよお、あんな顔して言われてもなあ…」
『あんな顔?』
どんな顔をしていたと言うのか。
首をかしげると、静雄は少し逡巡した後、小さく呟いた。
「…俺、どうもアイツの泣き顔は、苦手みてーだ」
ええええええええ!?
私は盛大に取り乱した。
いや普通に憎たらしい顔して言ってたぞ!?
静雄の目はどうなってるんだ!?
節穴か!?惚れた欲目か!?
嗚呼、やはり静雄はおかしくなってしまったのだろうか。
確かに臨也が好きだと言い出した時からおかしいとは思っていたけど!
「いや、あのなセルティ、見た目じゃなくてだな、言っただろ俺にはなんとなく分かるって」
『それは本気で言っているのか?』
「は?俺がおまえに冗談言ってどーすんだ?」
きょとんとする静雄に、私の力んでいた肩がカクンと落ちた。
そうか、本気なのか。
これが恋の力というものなのか。
だとすれば、恋とはかくも恐ろしい。
人をこんなにも変えてしまう。
そう、人だけじゃなく、化け物だって。
恋は、静雄も、私も、こんなにも変えてしまうのだ。


連れて出たシューターが様子を伺うように小さく鳴いたので、その背を撫でてやりながら影でヘルメットをひとつ作る。
それを静雄に投げながら、少し散歩をしないかと誘った。
静雄は新羅の部屋を仰ぎ見たが、タバコを消してメットを被った。

白バイに見つかるのだけは避けようと、本当に近くをただゆっくりと流す。
静雄はしばらく静かに後ろに座っていたが、ポツリポツリと話し出した。
「アイツにあんなことを言わせたのは、俺なんだよな」
走行中のバイクの上で本来なら拾えないような小さな声を、私は影のメットを通して聞いていた。
「ムカつくからって、俺は今までアイツからずっと目をそらしてんだよなあ」
もしかしたら静雄は私がこの声を聞いていることに気付いていないかもしれない。
「ちゃんと見てたら、あの馬鹿がアホみてえに素直だったって、気付いてたのになあ」
臨也が素直…そんなこと言えるのは、きっと静雄だけだろう。
「もったいねえことしてたな。あー何年だっけ。8年、9年か?よく飽きなかったなアイツ」
そう、それだけ長い間、ずっと臨也は静雄を好きでいた。
なのにそんな相手を平気で傷付ける。
平気で、かは実際のところ分からないが、私にはそう見える。
「そんな長い間好きでもよお、結局俺のことよく分かってねーんだよなアイツ」
ふうと静雄はため息を吐いた。
「どうも勘違いしてるとしか思えねえ。アイツの中じゃ俺は一般生活も送れないような怪力ってことになってねーか?」
ん?うーん、そう言われると、そんな言い草にも聞こえたなアレは。
「これでも普通に生活してんぞ俺は。そういう意味じゃアイツの方がよっぽどまともな生活を送ってるようには見えねーっつーの」
あーやっぱ腹立ってきたかも、とギチッと静雄がシートを掴む手に力を入れ、たまらずシューターが嘶いた。
悪い、と静雄がすぐに手を離したので、バイクは止めずにそのまま走る。
「つーか、それって俺がアイツの前じゃ暴れてばっかだったからだよな。てことは自業自得か?」
自業自得?それは臨也のためにある言葉ではないだろうか。
嫌がらせに歯止めがかけられないアイツが悪い。と私は思う。
臨也はここまでなら良くて、ここから先はいけないというボーダーラインが分からない。
だからここまでこじらせる。
自業自得だ。
「なんで俺はアイツにあんなにムカついてたんだろうな。俺がもう少し我慢できてたら、アイツもあんな風にはならなかったのか?」
たまらなくなって私はバイクを路肩に寄せて止めた。
PDAを取り出し静雄に見せる。
『あいつは静雄に会う前からあんな奴だ』
「知ってんのか?セルティ」
『新羅が中学生の頃、無理矢理うちに押しかけて来たことがあった』
嫌そうな顔の新羅にくっついて、興味津々といった臨也に初めて会った時のことを思い出す。
今と比べてまだ少年だった臨也は、顔だけはかわいかった。
私を見て驚いた顔をしたのは最初だけで、その後はまるでおもちゃを見つけたように私にちょっかいをかけようとし、新羅がひどく怒ったものだ。
新羅が本気で怒ったのでしぶしぶ手を引いたように見えたが、高校入学までは度々イライラさせられた。
そういえばあの頃から臨也の興味が静雄に集中したんだった。
新しいおもちゃを見つけたと小悪魔のように笑っていたかと思うと、それが恋する顔に変わっていくのを、私と新羅は驚くと同時に、このひねくれ者に好かれてしまった静雄に同情せざるをえなかった。
その頃から臨也は性質が悪かったし、恋をしているのだと言いながらそれを実らせようという努力もせず、好きな相手に嫌がらせばかりするので私には理解できない人物だった。
『昔から臨也はひねくれてた。静雄のせいじゃない』
「そうか、そうかもな」
静雄は小さく笑ってバイクを降りた。
一服してもいいかと聞かれたので頷くと、メットをとってタバコをくわえた。
「じゃあ、やっぱムカついてもしょうがねえ奴だったんだな。アイツ」
ガードレールに寄りかかり、静雄はゆっくりと煙を吐いた。
その隣でシューターに跨ったまま、静雄が見上げている空を私も見上げた。
きれいな夕焼けだった。
「…でもなあ、かわいいとこもあんだよなあ。俺も最近気付いたばっかだけど」
いきなりのろけられて、私は肩をビクリと震わせた。
「やっぱもっと早く気付いてよお、ちゃんと見てれば良かった、と思う。うん」
ほんのり頬が赤いのは、気のせいじゃない、な。やっぱり。
私はなにか言ってやろうとして、でもなにもPDAに打ち込めなかった。
臨也はやめておけ、と伝えたいのに静雄の顔を見ていたらそんなことは言えなかった。
あんな酷いことを言われたのにどうして?
ふと、似てない二人の共通点に気付く。
そういえば、臨也もあれほど静雄に嫌われておきながら、今までずっと静雄を好きだったな。
気付いてしまうと、うわーとしか言葉にできなかった。
思わず頭を抱えると、静雄は不思議そうに首をかしげていた。
そうだ、私は知っている。
人の恋路ほど口出しの無駄なものはないのだと、臨也で十分思い知っていたじゃないか。
しかし、しかしだ、静雄は私の友人だ。
止められないなら、せめて応援、したほうがいいのかな。教えてくれ新羅、私は一体どうしたらいい?
『静雄はやっぱり臨也が好きか?』
恐る恐る確認をとると、静雄の頬はもうはっきりと赤らんだ。
「お、おう、バカ、何度も言わせるな」
スパスパと吸うのであっという間に短くなるタバコ。
なんてかわいい…。
せめて相手が臨也でさえなかったら、かわいい女の子とかだったらもっと全力で応援できるのに!
私はなんだか切ない気持ちで照れる静雄を眺めていた。
『臨也は本当にやっかいだと思うぞ。前途多難だぞ』
「…そうか?まあなんとかなるだろ」
ポ、ポジティブー!!
新羅だったらもっと軽快にツッコミを入れてくれるだろうに私はおろおろするばかりだ。
そういえば、ここ最近の臨也のうろたえっぷりも大概ではなかったか。
今まで散々好きだと言いながら、今更なんだあれは。
まるで自分の恋すら人事のように楽しんで、いざ静雄が振り向くと我が身に降りかかる災難のように怯えている臆病者だぞ。
あいつは本当に静雄が好きなのだろうか。
それでもいいのか。
それでも静雄ならなんとかしてしまうのだろうか。


静雄が二本目に火をつけてしまう前に、私はPDAを出した。
『そろそろ帰ろう』
「…おう」
早く新羅に会いたい。
そして慰めてもらいたい。
この夕日を新羅と一緒に眺めたい。
無性にそう思った私は、日が暮れてしまう前に帰ろうとシューターを全力で駆けさせるのだった。



続く
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