俺がその人に初めて会ったのは大学のゼミ室だった。
自分ではなく彼女が所属しているゼミに彼女を迎えに行った時、彼はそこの教授と談笑をしていた。
ちょっと目の覚めるような美形だな。その時はそのくらいしか思わなかったように思う。
帰りに彼女から彼の名前を聞いたような気もしたが忘れた。やたら彼女がそいつを褒めるようなことを言うから嫉妬したのは覚えている。
次に会ったのは地元から遠く離れたド田舎でだった。
彼女と別れたばかりの俺にほがらかに話しかけてきて、
「一度大学で会ったよね、町田君」
と俺の名前を呼んだ彼は折原臨也と名乗った。


そもそも俺が農業体験として東京から離れた田舎などにやってきたのは、分かれた彼女が原因だった。
一緒にいこ?などとかわいくねだられて、彼女とのプチ旅行だとか、単位を取るのに優位になるとか言われてほいほい参加の申し込みをしてしまったのだが、直前になって彼女と喧嘩別れしてしまい、言い出しっぺの彼女は金だけ俺に出させてばっくれやがったのだ。
俺はというと半ば意地になって参加した。
金だってもったいないし、ネットで調べたその村の住人は優しく自然が美しいという評判だ。これまでの体験レポも悪くない。
失恋旅行とまでは言わないが、癒されたいとは思った。
それにどうやら俺が申し込んだこの体験入村は人気らしく、選ばれる倍率はかなり高いという。
参加を望んだのは俺ではないが、申し込んだのは俺だ。彼女の代わりに楽しんでやろうという嫌味っぽい感情もあり、少しやさぐれた気持ちで俺はこの村にやってきた。

そんな俺を駅で出迎えた折原さんは、にこやかに声をかけてきた。
「もう他の参加者はみんな公民館に集まってるから、少し急ごうか」
「あの、遅れてすみませんでした」
「いいよ。君も大変だったね」
「え?」
促されて車に乗り込むと、折原さんはスッと封筒を差し出してきた。
「来られなかった彼女の分の参加費だよ」
「え!?いいんですか?」
事務所で二人分の金を払ったのは俺だと聞いたらしい。
しかし直前のキャンセルでは申込金は返ってこないと聞いていたので驚いてると、折原さんはまるで俺と元カノのいざこざまで知っているかのような顔で、でも多くは語らず「オフレコでね」と指を口の前で立てた。
イケメンとは何をしても様になるものである。なんてぼんやり思いつつ、俺はありがたくそれを頂戴した。

折原さんはこの体験入村の手伝いをしているらしい。
うちの大学のOBで、体験斡旋の話を学校に持っていったり、簡単なカウンセリングをしたり、こうして遅れた俺を迎えに来る雑用もしたりするんだそうだ。
運転しながら自己紹介している彼の足の間には何故かふてぶてしい顔の猫がでんと座っていた。
そこらには転がっていないほどの美形でいながら気さくで、そして不思議な雰囲気をまとった男だった。
OBというからには年上だろうが、一体いくつなのか見た目では全然分からない。
思わず尋ねたが、永遠の21才だと含み笑いで躱された。


参加費用はそれほど高くはなかった。滞在中はホームステイ先が食事の面倒を見てくれるので、その食費くらいではないかと思われる。
それでも返ってこないと思っていたのが戻ってきて少し気分が上昇した。
さらに俺のホームステイ先の中村さんはとてもいい人なんだと折原さんが教えてくれたので、こちらもちょっと期待してしまう。
他にもちょっとしたアドバイスや、おもしろい話を折原さんが聞かせてくれるので、一人で電車に乗ってやってくる間に沈んでいた気持ちがかなり回復していた。
二人きりのドライブはすぐに目的地に到着してしまったことでおしまいとなったが、嫉妬するのも馬鹿馬鹿しいと思えるほどの折原さんのイケメンっぷりに、俺は失恋の痛手もすっかりどっかにやってしまっていた。


こうして気持ち良く始まった俺の体験入村は、一週間のショートステイだ。
主催である村役場のおじさんの説明を受けてから、お世話になる農家へと迎えられる。
団地生まれの俺にとっては古い日本家屋はまるで旅館のようだった。
そして食事は驚くほど美味いしたくさん出てくる。
都会のスーパーで売ってるものとはあきらかに違う野菜のうまさや米の甘さに、かるく感動しながら勧められるままおかわりをした。
農家というのは大家族だと思っていたが、そこはおじいさんとおばあさんの二人暮らしで、息子や孫は都会に出ていったらしい。
部屋が余っているのでこの体験農村に協力していて、若者が来るのは大歓迎なんだともてなされた。

早朝5時起きで早速の畑仕事を手伝い、その畑で採れた野菜で朝食を食べ、午前中は他の参加者と合流して農作業、午後には農協の職員から農業経営についての話を聞いたりとレポートを書くための学生らしい時間も設けられていたが、畑仕事を延々にするということはなく、川遊びをしたりバーベキューをしたり、他の参加者との交流会もあった。
体験には俺の他に男女合わせて十人ほどの学生が参加していて、他の大学の奴らともこれで仲良くなれた。
俺のように一人だったり、数人まとめて一家のお世話になっているグループもいるが、昼間に集まって他の農家の手伝いに回る。
そこで収穫したものを袋いっぱい持たされて、風呂でさっぱりした後ビールを飲む。最高だ。
来てよかったと素直に思う。元から体育会系だし、体を動かすことは好きなのだ。
よかったと思う理由には彼の存在もあった。


新しくできた友達とつるんでいると、折原さんは時々混ざってくる。
「調子はどう?」
「折原さん、こないだは、どうもあざっした!」
「いいよいいよ。また何かあったら言ってね」
俺以外の奴らも折原さんにはなにかと面倒を見てもらっているようだ。
「じゃ、またね」
にこやかに立ち去る折原さんを見送っていると、誰からともなく話題が広がる。
「あの人あの山の上んとこ住んでるんだってな」
「なんでこんな田舎にいんだろうな。頭もすげーいいらしいし。斎藤が持ってきた課題の解説してもらったって」
「おまえら知らねーの?あの人池袋じゃ超有名人らしいぜ」
「マジで?」
「俺も噂でしか知んねーけど、結構ヤバイ人らしい」
「うっそだって!超いい人じゃん!」
俺もそれにうんうんとうなずく。
「俺あの人になら抱かれてもいいわー」
「バカ逆だろ。どう見ても」
そこまで言って、俺たちは吹き出して笑った。笑って誤魔化した。
きっと冗談じゃなくそう思ってしまったのは、俺だけじゃないと思う。
さすがに恋愛感情まではなかなか素直に認められず、折原さんは目の保養だからと自分を納得させていた。
きれいなお姉さんではなく、お兄さんを目で追ってしまう理由にはまだ気づいてはいけない。



河原でバーベキューをして、花火まで楽しんで帰る途中、のろのろと走ってきた車が歩く俺の隣で止まった。
折原さんが運転席から手を振っている。
「町田君、今帰り?」
「あ、はい。折原さんもですか?」
「そう、東京まで出張だったんだ」
どうぞと招待されたので車に乗り込むと折原さんはまたトロトロと走り出した。
「中村さんちはどう?」
「すごくよくしてくれてます。飯もうまいし」
「だよね。中村さんちのお漬物俺好きだよ」
折原さんはまた秘密だと言って、東京の有名店のロゴの入った箱からシュークリームを取り出して俺にくれた。
「町田君は家の手伝いもよくしてくれるって、中村さんがほめてたよ。だからご褒美、ね」
「いえ、そんな…」
手伝いなんて特別たいしたことはやっていない。
畑仕事や家事を手伝ったりする時、重たいものを持ってあげたり、高いところへは自分が手を伸ばしてやるだけで感謝されておやつをもらったり食事を豪華にされるのでこっちが申し訳ないぐらいだ。
「一週間だけじゃ田舎の暮らしの全部は分からないだろうけど、よかったと思ったらまたこの村に来てよ。観光でもいいし、婿入りでもいいよ」
折原さんはそう言ってニヤリと笑った。
その妙にセクシャルな笑みにセリフを深読みしそうになる。
いや男、いくら彼女と別れたばかりだって男はないだろ。そりゃ確かに元カノより美人だし気も利くし優しいけど!
完璧すぎて怖いわこの人!
俺がドギマギしていることなど気づいていないだろう折原さんは、星が綺麗だねなんてロマンチックなセリフを吐いている。
確かに東京では見られない星空だ。折原さんが女か、もしくは俺が女であったなら完璧なシチュエーションだった。
しかし俺たちは男二人だったので、何事もなく中村さん宅前に到着し、折原さんはあっさり帰って行った。



東京へと帰る前日には稲刈り体験をした。
すべてを手で刈るということはなく、コンバインという機械に乗って刈り取りと脱穀を同時に行い、袋に詰めた稲もみを運んでいく。
田んぼの端や隅の部分など機械で刈り取れない部分を鎌で刈ったり、袋を運ぶのが重労働だった。
男連中は一人一袋をふうふうと言いながら運び、昼が回る頃にはすっかりとバテていた。
そこに昼食を運んできたおばさんたちに交じって折原さんがやってきた。
お疲れ様と冷たい麦茶を配ってくれて、次にトラックから彼が運んできたのはお釜だった。
「炊き立ての新米を味わって欲しくてね」
そう言って手を洗い、ほかほかのご飯をその場で握ってくれる。
「はいどうぞ」
差し出されたあったかいおにぎりを受け取り、口にした俺は驚いた。
おお…米のビックバンや…!
初めてこの村に来て食べたご飯もおいしいと思ったが、新米のうまさはさらにその上をいった。
他の仲間もそのうまさに驚き女子はキャーキャーと騒いでいる。
得意げな村のおばさんの顔や、喜ぶ俺たちを見て折原さんもおにぎりを作りながら満足そうだ。
ふと俺と目が合うと、にっこりとほほ笑まれてもうひとつ、おにぎりを差し出される。

この村に婿入り、いいかもしんない。
こんな奥さんがいたらの話だけど!
思わずおにぎりではなく折原さんの手を取っていた。
ん?と折原さんが目を丸くして、俺と見つめ合う。
何か言わなければと口を開いた時だった。
横からずいと伸びてきた手が俺たちの手の間にあったおにぎりを掴み、ついでに二人の手を引き離した。

「シズちゃん」

折原さんがその手の主を仰ぎ見る。
見たことのないひょろりとした細長い男がいつの間にか隣に立っていた。
「あ、漬物持ってきてくれたんだ。ありがと」
その男はもくもくとおにぎりを頬張りながら頷いて、片手に持っていたお盆を突き出した。
「そこ置いといて。シズちゃんもおにぎりもっと食べる?」
聞きながらも折原さんは休むことなくおにぎりを握り、傍らの皿に並べ始める。
おかずを詰めたお弁当や取り皿を準備し終えたおばさんたちも、おにぎり作りに参戦してきてどんどん量産されていくと、折原さんが握ったおにぎりはどれだか分からなくなった。
みんなで田んぼ横に敷いたレジャーシートに座って食事を始めると、シズちゃんと呼ばれた男は折原さんと並んでおにぎりを頬張っていた。
「ちょっとシズちゃん、なんでそんな真ん中のおにぎり引き抜いてくのさ。端から取りなよ」
「………」
「なんで分かんの。もー」
折原さんの耳元に口を寄せて奴がぼそぼそと言ったセリフはこうだ。

おまえの握ったものは俺のもの

一瞬脳が理解を拒否しそうになったけど、つまりライバルか!このやろう!
俺は密かに闘志を燃やした。
俺とその男の間で火花が散った。

…気がしただけだった。
午後からの作業再開で、その男は俺たちが一袋持って歩くのがやっとだったもみ袋を、十段積み上げてスタスタと歩いた。
全員が全員ポカーンとしてその様を見守るしかないかと思ったら、おばさんたちは「さすが静雄ちゃんねぇ」と言ってニコニコしてるし、折原さんは「キャーシズちゃんかっこいー」となんとも棒読みで声援を送っていた。
あの細い体のどこにあんな力が!?農家の人ってみんなあんななの!?農家スゲェ!!

シズちゃんさんは、あるだけの袋を運び終えると折原さんと一緒に帰って行った。
その、なんかすみませんでした。

「あざっしたー!!」
俺たちはみんなで敬礼してシズちゃんさんを見送った。
「あそこはいつも仲いいわねぇ」
「いいこたちよね。静雄ちゃんは優しいし、奥さんはしっかりしてるし」
おばさんたちが話しているのを聞いて、俺は己の失恋を悟った。
人妻だったのか…。


こうして俺のひと夏のアバンチュールは終わった。
短期間で二度の失恋を経験した俺は、もう恋なんてしないと思ったりもしたが、折原さんが紹介してくれた新しい彼女の家に婿入りすることになるので決して無駄な体験ではなかったを追記しておく。



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