vol.14
「じゃ、行ってくるから。」
「ん。」
かすかに聞こえてくる馬の嘶き、運び屋のバイク音を背にキスを交わした。
仕事の都合でどうしても新宿へ行かなければならなくなった臨也は、手っ取り早く終わらせたかった事もあり最速で新宿へ行ける手段を選んだ。
復路を送った後に動物の動画を撮らせて貰うという条件を付けられたようだが。
玄関先に横付けされたバイクに跨り「行って」という臨也の声に反して、運び屋はどこに持っていたのか包みを静雄に投げ、「サンキュ」と片手で受け取る静雄を確認するとバイクを大きく嘶かせて草原を駆け下りた。
シズちゃん、何か買い物頼んでたんだ?
運び屋と背中合わせに座りなおして、遠く小さくなる山を見えなくなるまで見つめた。
『煙草だ。もうすぐ無くなると言っていたからな。』
事務所があるビルに着くなり踵を返す運び屋を引き止めて、あの包みの中身を聞き出した。
あっさりと知ることのできた静雄の買い物は臨也にとっては予想外の物だった。
池袋に居た時はいつだって目にしていた物だったのだけど。
「シズちゃん、煙草止めたんじゃなかったんだ?」
意外、本当に意外だった。
一緒に暮らし始めて随分と経ったが、近頃は全くと言って良いほど喫煙する姿を見ていない。
何より1日に何度もキスを繰り返しているのだ、煙草の味になったら…
「!ちょっと待て…ある…煙草の味だったキスが…。」
いつだった? 仕事に取り掛かる臨也の頭の片隅にそんな疑問が残った。
カチッ
静まり返った部屋に安物のライターの音が響いた。
久々に吸う煙草の味は決して美味いものではなかったが、つい2人分作ってしまった食事を見たら自然に1本取り出していた。
溜息にも似たような息をつくと吐き出される紫煙。
それを迷惑そうに煙たがり文句を言う臨也は今はもう新宿だろう。
臨也が居ないから煙草を吸う。
いつからだったか、自然とそうなった。
臨也が煩いから不在の間に心置きなく吸うという意味じゃなく。
臨也が居ないと、この唇は大してする事がないのだ。
挨拶も、他愛も無い話も、キスも。
臨也が居ないと、この唇は閉じられたままなのだ。
食後の珈琲を淹れる奴が居ないから、1本。
風呂から上がってから寝るまでの間の話し相手が居ないから、6本。
部屋に戻ってベッドに潜り込むまでに何となく、1本。
朝起きておはようを声に出す代わりに、1本。
朝の仕事から帰っても誰も迎えてくれないから、3本。
朝飯を食べても味気なくて、2本。
それから、それから…
気付いたら煙草に手が延びていて、気がつけば2箱目が残り僅かになっていた。
臨也と一緒になるまでこんなんだったろうかと思う。
口淋しくて煙草を咥える
右手も淋しくて煙草を弄る
「早く帰って来い。バーカ…」
臨也が出掛けて最初に口に出した台詞がこれだった。
それから…
「じゃ、行ってくるから。」
「あぁ。」
またも仕事で新宿へ向かう臨也にキスを送った。
また煙草の世話になるか…とうっすら思っていると。
「はい、シズちゃん。」
と、臨也が小さな紙袋を渡してきた。
「煙草よりもこっちにしなよ、時間空いた時に電話するから。」
「なっ!」
言うなりソリに乗ってあっという間に山を降りていった臨也を呆然と見送る。
紙袋の中には甘い飴がたくさん入っていた。
「…バーカ。」
今回のおかえりのキスは甘ったるくなりそうだ。