いつかこんな日が来るとは思っていた。
「ドタチン、私を登山へ連れてって」
バブル時代に流行った言い回しでねだられて、俺はピクリと頬をひくつかせた。


俺が休日にたまに行う趣味として登山キャンプをするようになり、幾度か他の奴らも誘ってみたことがある。
しかしいつもやれイベントがあるオフ会があるコンサートがあると振られていて、俺も声をかけるだけで無理強いはしていなかった。
最近もいってらっしゃーいと口をそろえて見送るだけだったのに、今日いつものように仕事を終えてワゴンに乗り込むと挨拶もそこそこに詰め寄ってきたのは狩沢だった。
「どうした風の吹き回しだ?」
明日からの休日、また一拍二日で静雄の山へ行くつもりだった俺に、突然付いて行くと言う狩沢はニヤニヤ笑っていて、その後ろでは遊馬崎と渡草がうなだれていた。なんだか嫌な予感がする。
「こーれ!」
ズイッと狩沢が差し出したスマートフォンに映し出されているのはなにやら愛らしいリスの写真だ。
「これがなんだ?」
「これイザイザだよね」
「は?いやリスだろ」
「ちっがーう!こっちこっち!」
狩沢が指差したのはそのリスを乗せている手の方だった。
いや、乗せているのではない。リスが乗っているのだ。掌ではなく手の甲に。もしくは踏まれている。その指の部分をさして狩沢が言った。
「ね、この指輪、前イザイザがしてたの見たことあるんだ。珍しいデザインだったし私覚えてたんだよね」
狩沢が画面をタッチすると、一時停止が解けて動画が流れ始める。
「これ最近人気ある癒しの動物動画なんだけど、いつもちょこーっと見切れてるんだよね黒服の人が。で、この動物動画もとい推定イザイザ動画の関連をあさってみたら、頻度的にどうもこの緑あふれる自然の中に住んでるとしか思えなくてさー。イザイザと自然なんてミスマッチすぎると思ったんだけど、そういえばシズちゃんがいるのも山だよね?ハイ繋がったー!これもう確実にイザイザはシズちゃんちに嫁いでるよね!間違いないよね!池袋を去ったシズシズを追ってイザイザが押しかけ女房おいしいです!いや迎えに行ったつもりがミイラ取りがミイラ系?イザシズ?シズイザ?シズイザシズ…もうどっちでもイイー!!」
喋りながらだんだん興奮してくる狩沢に、俺は冷や汗を流した。
今現在のあの二人の有様を実際見ていなければすぐさま否定してやっていたが、実のところかなり近いぞ狩沢。
「これが女の勘ってやつか…」
「違うっすよ門田さん!狩沢さんのは女の勘じゃなくて腐女子の願望っすよ!」
「あの動画だけでそこまで妄想できんだからすげーよな…」
俺が来るまで狩沢劇場を聞かされていた二人はげっそりとした顔をしていた。
すまん、遊馬崎、渡草。今回ばかりは妄想じゃないんだ。
「なんで言ってくれなかったのドタチン!二人が山にいるって知ってたらイベント後回しにしてでもついてってたのに!」
「…これに関しては俺からは何も言えねぇよ。行きたいなら連れてくけどな」
「行く行く行くに決まってるじゃん!てことで明日はみんなでシズイザ新居訪問だよ!突撃!隣の新婚さん!」
「あれ!?いつも間にか俺らもメンバーに!?」
「当たり前じゃん!楽しいことはみんなで分け合わなきゃ!」
「それ楽しいの狩沢さんだけっすよ!」
ぎゃあぎゃあと騒がしいワゴン内からそっと抜け出し、俺はとりあえず静雄に訪問人数の変更を告げるため携帯を取り出した。
今回の登山は大変なことになりそうだ。


と、思ったら別の意味でも大変だった。
「ドタチーンもうだめー歩けないよー」
「まだ半分も来てねーのに何言ってんだ。日がくれちまうぞ」
「か、どた、さん、俺、も、無理っす。俺都会っこなんで。都会っこなんで!大事なことだから二回言ったっす!」
「俺も、だめだぁ。思ったよりキチーよこれ。ああー家でルリちゃんのDVDでも見てりゃ良かったー」
きちんと登山の格好で来いと念を押したはいいが、準備は良くても中身がついてこないのか、皆早々にへばってしまった。
俺で徒歩3時間の道のりだが、このペースでは6時間以上はかかりそうだ。
池袋を朝から出てきたってのに、これじゃ本当に静雄の家に着く頃には夜になってしまう。
ちなみに静雄はこの道のりを1時間もかけないというのだから比べ物にならないけれど、臨也も俺と同じペースで登れるというのだから、さすが池袋で静雄相手に長年追いかけっこをしてきただけはあると思う。(普段は疲れるからといつも静雄に迎えに来てもらってるらしいが)
こちらのメンバーは見た目通りの都会育ちばかりだから、慣れない山道と傾斜にかなりの苦戦を強いられていた。
岸谷なんかは黒バイクに乗せられて上まで登っちまうし、周りが基準を外れた奴らばかりで感覚が麻痺していたが、もしかしたらこれが普通なのかもしれない。
「うう、もう足豆だらけっす」
「桃源郷を目の前にして…うぐぅ…無念っ」
「おまえらなぁ…」
登山道に休憩所を、と言った臨也の言葉通り、本当にいくつか必要だったかもしれない。
思わず溜息を吐いてしまう。
が、その時上からでかいソリをかついだ静雄がのしのしと歩いてきた。
「なんだ、おまえらまだこんなとこで道草食ってたのかよ」
「きゃあー!シズシズ久しぶりー!」
「おお、相変わらずっすねー。おひさしぶりっす」
口は威勢がいいが、俺以外のメンバーはもう腰を上げる気配もない。
「すまん静雄。ちょっと初心者にはこの山はきつかったみたいでな」
「なんだ、そうだったのか。じゃあ迎えに来て良かったな」
静雄はそう言うと重力を無視したように抱えていたソリを地面に下ろした。
「乗れよ。引っ張ってくから」
「お、おお…神が…ここに神がいたっすよー!」
「マジで助かった!」
「キャー!シズちゃん男前すぎるー!」
みんなが急に目を輝かせ、わらわらと静雄のソリに乗り込んだ。
なんとも現金なものである。
「どうした?おまえも早く乗れよ」
「ああ、俺はいい。こいつらに付き合ってたら運動不足の解消にならねーからな」
俺が肩をすくめて見せると、静雄はそうかと頷いてソリを引き始めた。
大の大人が3人も乗ったというのにものともせず引いていく。
「じゃあ俺ら先に行ってるから」
「ああ」
そのスピードがだんだん速くなっていく。
「え?え?ちょ…」
「は、はや…うわあああああああぁぁぁぁぁっ」
ぐんとスピードを上げたソリに、3人分の悲鳴が遠くなっていくのを聞きながら、俺はいつもより足早に登山を開始した。


小一時間ほどで俺が到着すると、木陰で3人が伸びているのが見えた。
途中までの登山疲れとソリの振動と恐怖でついに倒れたようだ。
「おいおまえら、大丈夫か?」
「あー…門田さんお疲れ様っす。…俺と渡草さんは割りと大丈夫っすけど…」
「狩沢、どうかしたのか?」
「俺の顔見たら急に変な動きでもだえて倒れちゃったよ」
「臨也」
振り返るとお盆にレモンと氷の浮いたピッチャーとコップを持った臨也が立っていた。
「ほんと失礼しちゃうよねぇ」
「…色んなテンションがマックスになっておかしくなっちゃったんすよ」
「まぁ、うるさくなくていいんじゃねえか」
臨也からレモン水を受け取って一息つく。
見下ろした先の狩沢の顔はとても安らかだ。というかにやけていた。
「ドタチン、大きいテント届いてるよ。もう組み立てちゃう?」
「そうだな。先やっとくか」
今回狩沢は一応女性ということで静雄の家に泊まらせてもらって、俺たち男衆はテントに泊まる予定だ。
急な訪問だったが、多人数用のテントは臨也が用意してくれた。
「んー、というかふもとの人が貸してくれたからシズちゃんに今朝取りに行ってもらっただけだけどね」
相変わらず臨也はこういう時は手を出さずに見守るだけだ。
なので俺と遊馬崎、渡草とで組み立てを開始した。
静雄は畑に野菜を取りに行っていたようで、中身がたっぷり入ったかごを背負って帰ってきた。
そして家の中からでかいテーブルをかついで持ってきたかと思うと外に置き、今夜のバーベキューの準備にかかった。
そこでようやく腰を上げた臨也が白い布を持ってきて、テーブルの上に広げる。
「きょ、共同作業ー!!」
突然狩沢の声が響いたが、一瞬上体を起こしたものの狩沢はまたパタリと倒れてしまった。
思わず動きを止めてそれを見守った俺たちだが、皆無言で作業を再開した。

テントを張り終え、バーベキュー用コンロに炭も起こして準備を終えてから狩沢を揺り起こすと、狩沢はむにゃむにゃと「シズイザバンザイ…」などと訳の分からないことを呟いて立ち上がった。
「なん…だと…?描き上げたはずのシズイザ原稿がない!!」
「なに寝ぼけてんだ。飯の準備ができたけどどうする?まだ寝てるか?」
「寝てるなんてとんでもない!私には二人の愛のメモリーを見守るという使命があるのドタチン!」
とりあえず写メ写メ…と狩沢が鞄からスマホを取り出すと、後ろからスイッとそれが取り上げられる。
「はいぼっしゅ〜!プライバシーの侵害はいただけないなぁ狩沢さん」
「そんな殺生な!」
臨也は取り上げたスマホを俺にポンと投げて渡してくる。
それを見て狩沢が俺に手を伸ばしたので、反射的に届かないよう手を上に挙げた。
「ちょっとー!ドタチンもイザイザもそんないじわるしないでよー!いーじゃん別に減るもんじゃなし!記念撮影だよ記念撮影!ね?一枚だけでもいいからちょーっと二人がラブラブしてるところ撮らせて!そしたらそれが池袋で待ってる同志たちの生きる燃料にもなるんだよ?」
「ちょっとなに?同志って」
「もちろん池袋シズイザを愛する会の同志!シズイザーのことだよ!」
「シ、シズイザー?」
臨也は呆れたようにそう言って口をぽかんとさせた。
いつの間にそんな会が。アイドルじゃねえんだから…と同じく俺も呆れたが、いち早く復活した臨也はすぐに狩沢に向き直り、にこりと不穏な笑顔を浮かべた。
「君ね、確かに最近はオタク文化が世間に認知されてきて君ら腐女子とやらの存在も知られるようになってきたけど、だからと言って好き勝手してもいいわけではないよ。君らの活動は実にユニークで人からは理解され難く、普通とは一線を画する存在だ。異性で他人の同性愛に異常に執着する様は奇異だけど、そんな性癖も含めて人である君達を俺は愛そうと思う。でもね」
臨也はつらつらと言葉を並べ、すっと目を細めた。
「しかし君はそんな腐女子としては致命的な過ちを犯している」
「あ、過ち?」
狩沢がごくりと息を飲む。
臨也は指をビシリと狩沢の目の前に突きつけ言い放った。
「ナマモノ萌えにおいて対象者本人への申告、露見は御法度じゃないのかなぁ!」
「う、うぐっ!」
「臨也…おまえなんか詳しいな…」
「勉強したんだよ。女性でありながらホモに傾倒する変わった性癖について」
もともとはノーマルだと思っていた自分が同性愛に走ってしまったことについての分析ついでに調べていたら色々知ってしまったんだけれど、と臨也はブツブツ呟いた。
狩沢も狩沢で、確かに本人へのバレはおろか一般人相手には自重するのが筋だけどイザイザは果たして一般人?というかシズイザーにとってはむしろご本尊!ということはJ禁!情報屋禁止的な意味で!などとブツブツ呟いていた。
どうやら臨也は狩沢の暴走がこれ以上拡大する前に釘を刺しに来たらしい。
それは正しい判断だ。と、思うのだが…。
臨也は狩沢を見下ろし少し威圧的に言った。
「俺は池袋ではまだ仕事してるんだから、そういう変な噂を流されると困るんだよねぇ。一応ニュートラルな立場ってのが大事な仕事だし、事実であったとしても君の妄想で誇大広告されると迷惑なわけ。妄想するのは勝手だけどさ」
一瞬シュンとしおらしくなっていた狩沢だったが、その言葉ですぐにキラキラと輝かせた顔を上げた。
「いいの!?」
「え?」
「妄想はしてもいいのね!?イザイザありがとう!そしてありがとう!」
狩沢は臨也の手を取ると強引にぶんぶんと上下に振った。
「確かにイザイザとシズシズがガチでステディな関係だったとしても二人のあんなことやそんなことあまつさえこんなキャッキャウフフな妄想を勝手にしちゃ悪いかなーって思ったりもしちゃったけどイザイザのお墨付きなら遠慮なく妄想させていただきます!ご馳走様!キャー!みなぎってきたぁー!!」
「…ん?あれ?」
今度は臨也が複雑な表情へと変わっていく。
狩沢は臨也を離すと登山中では見られなかった軽やかなステップで駆けていった。
あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、ああここでめくるめくシズイザワールドがめくったりめくられたり…という声と共に狩沢は遊馬崎たちの方へ行ってしまう。
臨也はあっけにとられたような顔をしてそれを見送ってしまっていた。
「…俺、今なんか間違えた…?」
「ああ…たぶんな…」
気がつくと俺たちは渋い表情で黄昏の中、立ち尽くしていた。



その後、時々暴走しかける狩沢を抑えながらも、つつがなくバーベキューと一泊のキャンプ生活を終えた俺たちは帰路へとついた。
下山の時も静雄がふもとまで送ると申し出てくれたが、臨也が強引に止めたので俺たちは時間をかけて歩いて降りた。
恐らくここへ来るのはそう簡単なことではないと教えることで、牽制したのではないかと思う。
遊馬崎や渡草はそれはもう死にそうな顔で帰り道足を引き摺っていたが、狩沢は萌えが疲労を凌駕したのかふらつきながらも始終笑顔だった。
その上、
「この萌えを妄想で終わらせるなんて…いやでも…バレなかったら…いいよね…」
などと言い出したので、さすがに俺も狩沢に自重という言葉を教え込まねばなるまいと思ったのだった。



戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -