山での暮らしはその冷え込みとの戦いでもある。
夏でも夜と朝は冷えるのだ。日の出と共にベッドから出て行ったシズちゃんが布団の中に残したぬくもりを頂戴しようともぞもぞ位置を移動して、シズちゃんが寝ていた位置に収まり直して俺は今日も惰眠をむさぼっていた。
が、突然、ドーン!!!!と空気を震わせる轟音が響き渡り俺は飛び起きた。
「なっ、何!?敵襲!?」
慌てて上着を羽織り部屋を飛び出して、ドアのそばの壁に背中をつけ警戒しつつ家の外を窺う。
そして窓の外を見てポカーンと口を開けた。
「なに、あれ…」
ドドドドドッと地面から響いてくる音の発信源であろう山の上の方を仰ぐ先には、もうもうと立ち上る煙、いやあれは湯気?キラキラと朝日に光る水しぶきには虹までかかっている。
「なんだっけ、あれどっかで見たことある…ああ、そうだ、間欠泉」
一定の周期で温泉が噴き出して水柱を作るというあの間欠泉だ。
何故そんなものが突然この山に出現したのだろうか。俺は突然の異常事態に寝起きで頭がついていかず呆然と見上げていたが、
「……シズちゃん!」
あの方向って牧草地がある方向じゃないか!
俺はドアの近くにあった傘を持って飛び出した。
シズちゃん、いやどうせ無事だろうけど、万が一あんなものに巻き込まれていたら怪我くらいはしちゃうかもしれない。
傘なんかでどこまで近付けるかわからないけどないよりマシだとそれを握り締め、シズちゃんが作った登山ロードを駆け上がろうとしたら、その坂を下りてくる当人と目が合った。
「…なんだ、どうした?」
「どうしたもこうしたもないよシズちゃん!」
シズちゃんはずぶ濡れで、湯気がほこほこ体から昇っていた。
「なにそれ!何があったの!?」
顔や半そでから出てる腕が少し赤い。
風呂上りというには少し赤すぎるくらい赤い。
「別に。それよりおまえはあそこに近付くなよ。火傷すんぞ」
クイ、と背後の湯気を指差してそう言うシズちゃん。その腕に恐る恐る触れると、そこは想像以上に熱かった。
「いやいやいや!別にじゃないだろ!これ何!?そしてあれ何!?何したの!?」
「あー、ちょっと」
「ちょっと、何?」
シズちゃんは少し言い辛そうに眉をしかめて、ぼそぼそと呟くように言った。
「…地面殴ったらお湯が出てきたんだよ」
「は!?なんで!?」
「…井戸でも掘ろうかと」
俺は思わず言葉をなくした。
地面殴ったらお湯が出てきたって、それ、温泉じゃない?
ここそんなもんまであるわけ?それとも温泉水脈まで掘り当ててしまう静雄パワーが凄すぎるのか?
「って、そんなことより早く冷やさないと!」
「おまえが聞いてきたんじゃねーか」
あのシズちゃんが赤くなるくらいだ。
お湯なんて可愛いもんじゃなく、熱湯だったに違いない。
噴き出した熱湯が何度だったか知らないが、いくらシズちゃんでもちょっと痛そうだ。
冷水シャワーを浴びさせようとシズちゃんを急かしながら後ろを振り返ると、水柱はだんだんと低くなって見えなくなった。
ただし湯気はいつまでも立ち上っているままだった。


新羅を呼び出すべきか悩んだが、水を浴びたシズちゃんはすぐに赤みが引いて、午後には平然と牧草地に放した家畜を迎えに行った。
相変わらず心配のしがいのない男だ。
でも温泉かぁ。入れるかなぁ。
ちょっとワクワクしてしまう。
温泉いいよね。温泉ラブ!
デスクワークをしてるとどうしても肩がこったりするから温泉でほぐせたらいいよね。
なにより観光地としてこれほどの武器はないじゃないか。夢が広がるよこれは!
俺は次第に盛り上がってきた興奮を隠せずに、山の上から家畜と戻ってきたシズちゃんに聞いた。
「ね、ね、お湯が噴き出したとこってどうなってる?湯量どんな感じ?入れそうな温泉になってたりする?」
帰りに様子を見てきたらしいシズちゃんに詰め寄ると、シズちゃんは顎に手をやって小さくうなった。
「小さな池ぐらいは溜まってたが…やめとけ」
「なんで?」
「入ったりしたら一瞬で茹でノミ蟲ができあがる」
「…そんな…俺の温泉…」
しゅるしゅるとテンションが下がって肩を落としてしまう俺だったが、熱いなら水を足せばいいんだよ。
まずは一度この山の水脈と地質の調査をする必要があるだろう。水質検査もしないとね。温泉の成分分析は必須だよ。
気を取り直してブツブツと自分脳内会議に没頭していた俺は忘れていた。
シズちゃんのハイパー開拓能力が無駄に優秀すぎることを。


次の日、危ないから近付くなと言うシズちゃんの言葉に適当に頷きつつ、俺はこっそり温泉の調査に出かけた。
静雄ハウスとの中間地点よりはやや牧草地寄りの、登山ルートから少し外れたところにそれは湧いていた。
その一帯はいまだもうもうと湯気が立ち昇っていて、お湯が染み出して足場も悪く本当に危険なようなのであまり近づけなかった。
俺は足元の岩場が崩れないように気をつけつつ、流れるお湯を台所から持ってきたお玉ですくい、ジャムなどを入れるビンに採取した。
鍋つかみも持ってきてて良かった。
シズちゃんの言う通りかなりの熱湯だ。
なんとか水質検査用のサンプルを採取して、動物が寄って来ないうちに帰ろうと山を降りようとした時だった。
ゴリゴリゴリゴリと重低音が下の方から響いてくる。
俺は反射的にその場でふせた。
気配を殺して音の発生源をうかがうと、いた。シズちゃんだ。
シズちゃんはゴリゴリと謎の音を響かせながら少しずつ近付いてきた。
なんだろうあれ。なんだか昔を思い出す音だ。シズちゃんがコンクリを削りながら標識を引きずってくる時の音に似ている。
これまでのサバイバルを経て、それなりに気配を消す術を心得ている俺がシズちゃんに気付かれる可能性はおおよそ5割だ。
今日は風向きの関係でまだ気付かれていないようで、シズちゃんは俺ではなく温泉に向かって登っているようだった。
「…!?」
通り過ぎるシズちゃんをそっと覗くと、シズちゃんは確かに削っていた。地面を、素手で。
この辺りがほとんど土ではなく砂利と岩場であったため、ゴリゴリという鈍い音をたてていたのだ。
「あ、相変わらず化け物だなぁ…」
岩を削るってどういうことだよ。
シズちゃんが削ってできた溝に感嘆の溜息を吐きながら、俺は見つからないようそっと坂道を下った。
溝はずっと下まで続いているようだった。
どこまで続いているんだろう。
しばらく降りると視界が開けて傾斜がややなだらかになる。
シズちゃんの畑ゾーンが遠目に見えたところで、上の方からまた音が響いてきた。
「うわ」
振り返るとシズちゃん作の溝に沿って水が流れ落ちてきた。
いや、水じゃない。お湯だ。湯気が溝から立ち昇っている。
溝はちょっとした小川のようになった。
まさか、と俺は少し小走りになって溝の先を追った。
その先はちょっとした段差になっていて、見下ろすとお湯がジャバジャバとその下の窪みに流れ込んでいる。
窪みには岩が敷き詰められていて、どう見ても人工的に掘られたものだった。
ここはもう静雄ハウスからそう離れていない所だ。
俺は少しの間呆然とお湯が流れ込むその手作り露天風呂を眺めていた。
シズちゃんって、ほんと一人でなんでもできちゃうんだなぁ。
普通これだけの作業、複数人で重機使用でもない限りは無理だ。それをこの短時間でろくな道具もなしによくもここまで…。
軽く引くなぁと俺は失礼なことを思っていたが、ハッとして少し離れた茂みに飛び込んだ。
シズちゃんがドロだらけで上から降りてきて、手作り温泉までやってきた。
隠れて見ていると流れてくるお湯で手を洗っている。
でも流れ出したばかりのお湯はかなりにごっているので、それ綺麗になるの?という感じだ。
シズちゃんはどうやら爪の間を気にしているようだった。
そりゃあれだけ岩削ったらね。普通割れるところを隙間に欠片が入ったぐらいで済むところがさすがだよね。
でも、そんな手で家畜の乳搾りをしたりご飯を作ったり俺に触れたりするのだからすごい。
シズちゃんにとったら俺の体なんて絹ごし豆腐みたいなもんじゃないだろうか。
池袋時代はさておき、今ではすっかり力の加減ができるようになったんだなぁ。
しみじみしていると、シズちゃんは流れ込むお湯を前になにやらブツブツ言っていた。
「少しぬるいか?…いや、でもあいつ熱がりだしな。寒がりのくせに」
んん?誰のこと言ってるんだ?
「溜まってきたら丁度いいかもしんねーし…にごってんのがなくなるまでバレねぇといいけどなぁ」
そう呟いたシズちゃんの顔を見て、俺は固まった。
なんでそんな顔してんの。
そんな腑抜けた顔、昔じゃ考えられないよ。
もしかして、もしかしなくても俺のためかよ。
そうだよね、だってシズちゃんならこんな遠くまでお湯を流れさせて冷まさなくても熱湯風呂平気だもんね。
俺は熱くなってきた顔を伏せて腕に押しつけていたが、堪えきれなくなって飛び出した。
そしてダッシュして、シズちゃんにタックルした。
「…な!?テ、テメェどっから…っ」
「シズちゃんシズちゃんシズちゃん!好き好き大好き愛してる!」
「は、はぁ!?」
「温泉ラブ!俺は温泉が好きだ!愛してる!それを作ってくれたシズちゃんはもっともっと愛してる!!」
俺が叫ぶとシズちゃんの顔もちょっと赤くなっていた。
岩をも砕く手を取っても、それは俺の手を砕くことはなくて、それがたまらなくくすぐったくて俺は笑った。
「べ、別におまえのためじゃねーよ」
シズちゃんは速攻で俺にバレたためか少し動揺しながらそう言ったが、俺の手を振りほどきはしなかった。


数日後、いい天気が続いて流れるお湯も透き通ってきた頃に通販していた浴衣が届いた。
ふもとの村で受け取ったそれを着て、お揃いの下駄と桶を持って俺はシズちゃんを急かしていた。
「シズちゃん早くー。俺もう準備万端なんだけどぉー」
雰囲気重視で温泉旅館風の浴衣姿となった俺は、その場で足踏みしてカツカツと下駄を鳴らす。
「うるせーっつの。もういいからおまえ先行っとけよ」
シズちゃんは風呂上りはやっぱこれだろ、なんて言って牛乳を冷やして持っていくためクーラーボックスと氷を用意しているらしい。
「じゃ、遠慮なくお先に〜」
「おー」
楽しみすぎて軽くスキップしながら露天風呂に駆けて行った俺は、そこで昨日まではなかったものを見つけた。
「いつの間に…」
温泉のすぐ脇に小さな小屋が出来ている。工事現場にあるような簡易トイレぐらいの大きさだ。
木枠に屋根がついただけのそれには更衣室と看板がかけられている。
「どう見ても一人しか入れない、よね…?というかいるの更衣室。この山俺たちしかいないのに」
シズちゃんの考えていることはよく分からないなぁ。
とりあえず俺はその場でさっさと浴衣を脱いで、更衣室はロッカー代わりに浴衣とタオルを投げ込み、いそいそと温泉に手をつけた。うん、温度はちょうどいい。
調べたところ水質も申し分なくアルカリ性単純泉で疲労回復やストレス解消、健康増進などその他効能もバッチリな温泉である。
軽くかけ湯してゆっくりとお湯の中に体をつけるとじんわりと体の芯に染み渡るようなぬくもりに包まれた。
あー、と気の抜けた声が思わず出てしまい、おっさんかと自分で自分にツッコんだ。
癒されるなぁと湯気にかすむ空を見上げる。
上を向いたまま首までお湯につかって目を閉じるとうとうとしてしまうくらい気持ちいい。
しばらくすると更衣室の方でごそごそと気配がしてシズちゃんも温泉につかってきた。
「気持ちいいねぇ…」
ほぅと溜息を吐くと、シズちゃんも隣で同じように溜息を吐いた。
俺はシズちゃんの方に少し近付いて、二人で並んで、目を閉じたまま温泉の気持ちよさに体をゆだねた。
するとお湯の中で俺の指にシズちゃんの指先がちょんと触れた。
俺はその指先をそっとにぎって囁いた。
「ありがと、シズちゃん」
温泉のこともだけど、この途方もない力を持った手はもう俺を傷付けない。
昔のいがみ合いや喧嘩が無駄だったとは思わないが、それを経て今ここにこうして二人でいることが、奇跡のように思える。
このシズちゃんの優しさに、俺はどこまで返すことができるだろう。
「…シズちゃん」
俺はもう少しシズちゃんの方に身を寄せ、体を傾けた。
ごくりと無意識のうちに喉を鳴らしてしまって顔に熱が上る。
いやいや、キス、キスだけだよ?こんな真昼で野外でそれ以上なんて無理だからね?
そういえば山で二人っきりなのに外でやったことないなぁと思いながら、伏せていた目を上げてシズちゃんに唇を寄せた。

「………」
「………」



予想外のことに俺は硬直した。
当然シズちゃんの顔があるだろうと思っていた場所にそれはなく、少し視線を下に向けた所にあるのは赤い顔だった。
サァーと爽やかな風が吹いて湯気が切れ、そこにいるのがシズちゃんではないことを俺に教える。
お湯に広がるのはまごうことなく毛皮だった。
寄り添うように隣で温泉につかっていたその猿の目と目が合って見つめ合うこと数秒。

「?!!!!!!!」

俺の筆舌に尽くしがたい悲鳴がやまびことなって山中に響き渡った。



それ以来俺は温泉に入る時は必ずシズちゃん同伴を徹底せざるを得なくなった。
俺の癒しの空間になるはずの温泉は、対生物忌避兵器シズちゃんがいないと癒されないのである。
しかしシズちゃんと一緒に温泉に入ると癒されるだけで済まないという諸刃の剣でもあるのだった。

なんで人生ってこううまくいかないんだろう。



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