夏服への衣替えが始まったばかりだった。
基本この学校は私服可だからどっちでもいいのだが、最近暑くなってきたので学ランは片付け、今日から俺も半そでのカッターシャツで学校に来たところだ。
窓際の席に鞄を置き、さてホームルームの時間まで読みかけの文庫でも読もうかなんて思っていた。
窓の外、見下ろした校庭にどこかで見た顔があった。
指定の制服とは少し違ったセーラー服だ。白地に黒いセーラーカラーで短いスカートも黒。そしてショートカットの黒髪が風になびいている。
見かけない…いやどこかで見た、どこだっけ?
首をかしげていると、ふと見上げた顔と目が合う。
その瞬間半年ほど前の岸谷宅での出来事がふいに甦った。
あの顔、あれは…
「…臨也!?」
立ち上がった拍子にガッタンと椅子が倒れて派手な音を立てた。
それに構うことなく窓から身を乗り出すと、そいつは俺に手を振った。半そでから伸びる腕は細く白い。
「ドタチーン、おはよー」
その途端ざわっと辺りがどよめいた。
そう、誰も彼女が折原臨也だとは気が付かなかった。
転校生か?という目で眺めていた周囲がどよどよとざわめきだす。
しかし俺をそんな変なアダ名で呼ぶ女など臨也以外にはいない。
パンダメイクのゴスロリ女、ちょっとしたこの学校の有名人。その臨也が今日はスッピンでセーラー服という普通の格好で現れたのだ。
あんぐり口を開ける俺に少し肩をすくめて苦笑した臨也は、小走りで校舎に駆け込んだ。
「え?嘘、今の折原さん?」
「マジで?俺素顔初めて見たんだけど!」
同じく窓から見下ろしてざわめくクラスメートを尻目に、俺は動揺しつつも倒れた椅子を起こして座った。
なにがあったのだろうか。
あんなに素顔を晒すことを拒んでいたのに。
「ドッタチーン」
走って教室にやってきたセーラー服の女子はやはり臨也だった。
「臨也」
俺が答えると教室にどよめきの第二波が起こった。
「嘘だろあれが折原?」
「うわ、マジ?だって全然…」
ざわざわするクラスメイトをガン無視して臨也は俺に体当たりしてきた。
「ドタチンも衣替えしたんだー!いいね似合ってるよー」
「おまえも、その、似合ってるぞ」
「あは、さすがドタチン、気をつかってくれてありがと!」
静雄と付き合っていることは知り過ぎるほどに分かっているが、それでもドギマギしてしまう。
別に恋愛感情を抱いているわけではないが、久しぶりに見たこいつの素顔はやはりどうしようもなく美少女だ。
しかしやっぱりまだ勘違いは続行中なのか。
こいつは自分が可愛いことにまるで気がついてない。ある種病気みたいに自分を誤解をしている。
静雄と付き合うことで少しでも改善すればいいと思っていたが、どうなっているのだろうか。
「今日はどういう風の吹き回しだ?もうあのメイクはやめたのか?」
「変、かな?」
「いや、むしろ変なのはあのメイクの方というか。前にも言ったが俺はこっちの方がいいと思う」
「…良かった。この世のすべての人類に気持ち悪いって罵られてもドタチンのその言葉を糧に生きていけるよ俺」
「大袈裟なこと言うな」
にこりと笑う綺麗な顔に見つめられてちょっとした優越感を覚える。
性格はいいとは言えないし変わった奴だが、なつかれて嫌な気はしない。
昔から変な奴になつかれやすいから慣れてるしな。
俺の後ろの席に座った頭をひとなでしてやると、カツラじゃない地毛はサラサラで気持ちが良かった。

「臨也!?どうしたの?なにが一体どうしたの!?」
次に駆け込んできたのは岸谷だった。
「新羅朝からうるさい」
「いやいや朝からびっくりさせたの君じゃない!」
岸谷は違うクラスなのだが騒ぎでも聞きつけたのかわざわざやってきたようだった。
岸谷だけじゃなく、他のクラスの奴も臨也を見にきたのか廊下から何人か覗き込んでいる。
「なんで?なんで急にこんな格好しようと思ったの?」
「別にどうでもいいじゃん。気分だよ」
「あ!分かった!静雄でしょ!静雄に言われたんでしょ!」
「関係ないよあんな奴」
「またまたー!さては静雄に『素顔の方がかわいいよ』なんて言われたんじゃないのー?さすが静雄彼ならやってくれると」
「シズちゃんはそんなこと言わない!」
急に臨也がすごい剣幕でダンッと机を叩いたので岸谷はセリフの続きを飲み込んだ。
ざわついていた教室がシンとなる。
あー…なんとなく分かってしまった。
静雄となにかあったな。そしてそれが原因で臨也がこうなった。
あのメイクをやめて普通の格好になるのはいいと思う。思うが、あまりよろしい理由ではないらしい。

静寂を破るようにパリンと教室の入り口から音がした。
振り返ると静雄が立っていた。
掴んだドアがへこみ、ドアにはめられたガラスが割れたらしい。
静雄は目を見開いて開けた口をあわあわと動かしていたが言葉にならないらしかった。
あの様子では臨也が今日こんな格好で来ることは知らなかったらしい。
ということは静雄の意図した言動ではなく無意識の言葉などが原因だろうか。
臨也はしかめた顔から笑顔に変えて静雄に振り返った。
「おはようシズちゃん」
これ見よがしな作り笑いに静雄の顔がカッと赤くなりゆがめられる。
見た目怒りの表情に見えるが、あれは静雄が何かを堪える時の顔だ。
「あーあ、ガラス危ないなぁ。誰かが怪我したらシズちゃん慰謝料払えるの?」
臨也はそう言いながら立ち上がり、掃除用具入れからチリ取りを出して静雄に投げ付けた。
「テメ…っ」
パシリとチリ取りを受け取り静雄が肩をいからせると、続いてほうきを取り出した臨也が散らばったガラス片をそれで集め始める。
みんながポカンとしていた。
あの折原臨也が静雄が壊したガラスの掃除をしている…だと…!?
普段であれば挑発してさらに被害を拡大させて高笑いはしても、後片付けなど一切どこ吹く風の女が、だ。
ほうきを持ったらフルスイングして静雄の頭でブチ折るしか使い道が思いつかないような女が、今はどう見てもほうきを持って掃除に勤しむ清楚なセーラー少女である。
ザッザッとあらかたガラスを集めると、臨也は固まっている静雄を見上げて首をかしげた。
「シズちゃん?ぼさっとしてないでチリ取り構えてよ」
「ふぁ!?へ?チ、チリ取り?」
「ほら、早く」
ぎこちない動きで静雄がチリ取りを構え、臨也がそれにガラスを掃き入れていく。
なんてことはない掃除の風景なはずなのに、当事者が二人なだけに違和感しかない。
静雄も同じなのだろう。何がなんだか分からないという顔をして、ガラスの片づけを行い、そうしているうちに丁度チャイムが鳴って岸谷と自分の教室に戻って行った。
入れ違いにやってきた教師も臨也の姿を見てガタッと後ずさるほど驚いていたが、何も言わずに朝のホームルームを始めた。
それから休み時間の度に他のクラスの奴らが臨也を覗きにやってきた。
昼休みになると岸谷が静雄を引きずってきて、屋上で昼食にしようと誘ってきた。
弁当を取り出した臨也と俺が一緒にゾロゾロと屋上へ行く間も、すれ違う奴らが臨也を振り返って見ていた。

「で、どういう心境の変化なのかな、臨也」
昼食を食べ終えて岸谷があらためて尋ねる。
「別に。気分だっていったじゃん」
「あれだけ嫌がってたのに気分ねぇ。静雄のせい、じゃないの?」
「お、俺は何も…っ」
「………」
静雄は何か言おうとしたが、じっと臨也に見られてビクッとして黙った。
何かあったんだな、こりゃあ。
臨也はツンと唇を尖らせて俺たちを睨んだ。
「散々あの格好をやめろって言ってたくせに、やめたらやめたで文句言うんだね。結局は俺の顔なんて見れたもんじゃないってわけだこの偽善者が」
「なんでそーなるの!理由聞いただけでしょ?臨也はメイクなんてしない方がいいし似合ってるよその服も。セルティの次にね!」
「首無しフェチに言われてもなんの慰めにもならない」
「俺も思うぞ、その方がいいって」
「ドタチンに言われると慰めにしか聞こえない」
臨也はまたじっと静雄を見た。
静雄は時々臨也に顔を向けるものの、すぐ赤い顔をしかめてそっぽを向いていた。
なんだこれ、デジャヴ感じるな。
「シズちゃんはどう思う?」
痺れを切らした臨也が尋ねる。
静雄は肩を震わせたが俯いたままだった。
おい仮にもおまえ彼氏じゃないのか?その態度はいいのか?
俺たちが見守る中、静雄もプレッシャーを感じているのだろう。それは分かるがここでかわいいと答えるのが彼氏の役目だろうと俺は思うから黙っていた。
「…もういい」
静雄が口を開くより先に臨也がそう言って弁当箱を持って立ち上がった。
「先教室戻ってるね」
静雄が慌てて顔を上げたが臨也は振り返りもせず屋上を出て行ってしまった。
中途半端に伸ばした静雄の手が力なくぱたりと落ちる。
「静雄、何したの?」
「な、何もしてねぇよ!つうか付き合ってるのに何もしない方がおかしいだろ!?なぁ!」
「え!ついに静雄童貞卒業したの!?」
「しししっししてねぇえええー!!!」
ブオンとベンチが空を飛び、フェンスに突き刺さった。
「どうどう落ち着いて。良かったよ静雄に先越されてなくて」
「そういう問題か?」
「そういう門田君は経験ありそうだねぇー」
のほほんとした岸谷とは逆に静雄は真っ赤になった顔を手で覆ってうずくまっていた。
「静雄、大丈夫か?本当になにがあったんだ?」
声をかけると静雄はなんとも情けない顔を上げた。
「…なぁ、俺、あいつと付き合ってんだよなぁ」
「付き合って…んじゃないのか?」
「だよなぁ。付き合ってるよなぁ」
「そう思うんだったらちゃんと言ってやれよ。かわいいって彼氏が言ってやらなくて誰が言うんだ」
溜息を吐きながら言うと、静雄はがっくりとうなだれてしまった。
「…俺そういうの苦手なんだよ。分かんだろ」
「言わなくても伝わってるならいいが、そうじゃないなら言えよ。たまに痛々しいんだよあいつ」
普段勝気な臨也が静雄の言動にはいちいち傷ついたり落ち込んだりしていることに、こいつは気付いているんだろうか。
臨也の言動で静雄が一喜一憂しつつもそれを分かり辛くしているように、臨也もそれを隠しているから性質が悪いんだよなぁ。
あまり人の恋路に首を突っ込みたくはないが、二人ともいい加減素直になれと言いたい。見ていられない。
なんて面倒な奴らだと思うが、読みかけの文庫よりもおもしろいからしょうがないよな。
俺はもう一つ溜息を吐いてうなだれた静雄の肩を叩いた。




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