そう、最近の俺は調子が良かった。
罪歌とかいう妖刀持ちどもにされた愛の告白をきっかけに、俺はようやく自分の存在を認め、好きになることができた。その上我慢できるわけがないと思い込んでいたこの力を、コントロールできるかもしれないと気付くことができたばかりだった。
繰り返される日々の生活の中でも俺は変わろうと努力する。その努力が楽しい、なんて思っていたのだ。充実していた。
その日もそうだった。
新宿で仕事を終えた後、ふと感じるのは忌々しいクソノミ蟲の気配。この無駄に発揮される勘の良さに舌打ちしつつも、いい機会だと俺は実験を思い付いた。
それは何メートルまでなら臨也に近付いてもキレないか。またはキレずにいられるか。
直帰すると言うトムさんに、俺は新宿に残ることと、思いついた実験について伝えると、途中まで付き合うと言ってくれた。
今日はなんだかいける気がする。そう呟いた俺に、頑張れ!とまで言ってくれるトムさんは本当にいい人だ。
臨也相手に湧き上がる怒りを我慢することができたなら、もう大抵のことには耐えられそうだ。
もし無理ならぶん殴ってスッキリすればいいだけだし。
スンと鼻を鳴らして、なんとなく、ただ勘にしたがって街を歩く。
そうしたら大体臨也にぶつかることになる。
トムさんは驚いてるが、俺だってこんな能力は別に欲しくなかった。
こうしてやってきたあるビルの中の居酒屋で、気が付くと俺は臨也の隣の席に座っていた。
調子が良すぎてビビった。
臨也は門田と飲んでいるらしいが、まさかまったく気付かれずにここまで来れるとは思っていなかった。
なにかタイミングが良かったのだと言うしかない。
席は隣通しだが衝立で区切られていて、座ってしまえば互いの姿は見えなかった。
付き合いでうっかり向かいに座ってしまったトムさんに、これからどうすんだと小声で訴えられたが、どうしましょうとしか言えなかった。
実験は成功なのだろう。ノミ蟲から1メートルも離れてないのに俺はまだキレてない。
気付かれないようぼそぼそと注文して、とりあえずトムさんと乾杯した。
エライな、よく耐えたなとトムさんに褒められ、俺は嬉しかった。
やってきた料理にしばし舌鼓を打つ。料理のうまい店に入れたことも嬉しくて、トムさんの様子がおかしくなっていったことにしばらく気付かなかった。
いつの間にかトムさんのテンションが下がっている。心なしか青ざめてさえいる。
その様子に首をかしげると、トムさんは俺の背後、衝立の方をチラチラと見ながら、ただ落ち着けと小声で言った。
ノミ蟲の野郎がなんかしたのか?
極力臨也の声が耳に入らないよう閉じていた意識を背後にむける。
その途端意味不明な、理解ができない言葉が、響いた。

「好き好き大好き!ああ、もう、ほんっとうに、シズちゃんラブ!なんであんなに俺の好みドストライクかなあ!顔も体も性格も!かっこいいところもかわいいところも大っ好き!!」

ぽたりと持った箸が膝に落ちた。



どうやって池袋まで戻ってきたのか記憶がおぼろげだった。一晩寝てもなおうすらぼんやりとした頭を振って空を見上げる。
眠れない、ということはなかった。ただ異様に早く目が覚めてしまい、出社前の早朝、俺は公園でコーヒーを飲みながらベンチに腰をかけている。
なんなんだ一体。
この前見ず知らずの集団に告白されたと思ったら今度はノミ蟲が…だと?
いやないな。ありえない。意味がわからない。
ただ、昨夜現実逃避にとじっと足元を眺めていると、俺達に気づいた臨也がいつものようにペラペラとムカつくことを言い出したから、今だ、さあキレようと顔を上げようとした時、トムさんの視線につられて見た臨也の手が、チワワみてーな震え方をしていて、結局顔が上げられなかった。
「クソ、気にくわねえ」
飲み干したコーヒーの缶をつぶす。
そのアルミを小さく折りたたみながら、ノミ蟲もたたんでやった方がエコだなとぼやいていると、いつの間にかベンチの隣にはセルティが座っていた。
「…驚くだろうが。いつからいた?」
『結構前から。全然気付いてくれなかったが考え事か?』
軽快にPDAに指をすべらせ、画面を見せてくるセルティに、俺はあーと口を開いては閉じる。
「あーその、ちと相談があるんだが…」
相談、これは相談か?
「相談っつーか、自分でもなにがなんだか分からなくてよ」
昨日俺の身に起こったことが、一体なんだったのかが分からない。
聞いて欲しい。欲しいが、どう言っていいのか…
「…その、昨日臨也の野郎に会ってよ」
『また喧嘩したのか?』
「いや、ああ、そうじゃない。そうはならなかったんだ」
『臨也と会って喧嘩にならない!?すごいじゃないか!!』
良かったな!という雰囲気を押し出すセルティに少し顎を引く。
セルティはいい奴だ。少し変わってるが俺なんかよりもよっぽど人間味を感じさせるまともな奴だ。
そんな奴に、俺でさえ理解できなかった昨夜の意味不明な現象を理解できるだろうか。
あの折原臨也が俺を好きだなどという摩訶不思議な現象を、だ。
「あー、そのだな、実は昨日、臨也が言ってたんだが…」
『?』
「えーと、いや、たぶん嘘だと思うんだが…」
『なんだ?焦らすな気になる。臨也がなんて?』
「…あいつが、その、俺のことを…」
『静雄のことを?』
「その…好きだとか…いややっぱなんでもない」
好きだなどという言葉を口にしただけで頭に血が昇った。
なんなんだ、なんなんだこれは!
こんなクソ恥ずかしい言葉をあの野郎はなんでズケズケと口にできるんだ!?
慌てて口を閉じ昇った血を下げるよう深呼吸を繰り返す。
やっぱあれは夢だ。
なかったことだ。そういうことにしておこう。
俺がそう決心して顔を上げた時だった。
隣にいたセルティは立ち上がり、ブルブルと震えている。
「セルティ?」
首をかしげる俺にグワッとセルティが迫ってきた。
メットを振り、わたわたとしつつもPDAを高速で打ち始める。
「おいなんだ落ち着け」
そして俺に画面を押し付けてくる。近すぎて見辛い。
『ついに告白されたのか!!!!!!!』
「…は?」
『あいつ絶対に静雄には言わないって言ってたのに!!ああでもついに言ったのか!!静雄落ち着けよ!?そりゃああいつは性格最悪だし、意地悪だし、ろくな事をしないけど』
「いやおまえが落ち着けって、いや、え?」
まさか、まさか、
「…おまえ知ってたのか?」
『でもずっとおまえのことを好きだって、あんな奴だが一途さだけは取り柄だと私は思う。だから』
セルティはこっちの言うことは聞こえていないのか画面をグイグイ俺に押し付けてきた。

『せめて優しく振ってやってくれ!!』

「………はあ?」

あー、つまりだ。セルティは随分前から臨也の話を聞いていた。
ずっと前から臨也が俺のことを好きだと知っていたのだ。
「マジかよ…」
俺はベンチに座って昨日のようにうなだれた。
その俺を慰めるようにセルティが肩をぽんぽんと叩いてくれる。
セルティが知っているということは、
「新羅もこのこと知ってんのか?」
聞くとセルティは頷いた。
『たぶん私よりも知っている。臨也が新羅と話しているのを私は隣りで聞いていただけだから』
門田だけじゃなく新羅にもそんなことを垂れ流してやがったのかあいつは。
と、いうか本当にあいつは俺のことが好きなのか。
『あいつは嘘ばっかり吐いているが、おまえのことを好きだってのは本当だと思う』
セルティに止めを刺されて俺は頭を抱えた。
「なんだよそれ意味分かんねえ。普通好きな奴を罠にはめるか?殺そうとするか?」
『なんか、かわいさあまって憎さ100倍だって言ってた』
「ああぁあ?なんだそりゃ!!」
ビキッとこめかみに血管が浮く。
『いや、ほら、会った瞬間から嫌われてたのがショックだったらしい。好きなのに嫌われて、つい、だとか』
「ああ?!ふざけんなよ、なんなんだよ…っ」
髪を掻き回す俺の隣に座り直し、セルティは俺の肩を叩いてPDAを見せる。
『臨也はバカだ。好きな相手に嫌がらせばかりして本当にバカだと思う。でも、好きな人の前だと照れて思ったことと違うことをやってしまう気持ちは、私は少し分かる』
フイとセルティは空を仰ぎ、ひとつ頷いた。
『でも私はおまえの友人だ。私はおまえの味方だから、おまえの応援をしたい』
「セルティ…」
嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。やはりセルティはいい奴だ。
『しばらくは臨也が失恋で荒れそうだから、用心した方がいいな』
「…は?」
『戸締りには気をつけろよ』
「…………」
分かったな?と念押しされて、つい頷いた後で俺は首をかしげた。
何故だかもやっとした。



セルティと別れた後も、どうにももやもやが晴れない。
臨也が俺を好きだということは、ようやく理解した。
じゃあなにが引っかかるんだ?
出社して、トムさんとぎこちなく挨拶をして、いつも通り仕事が始まる。
仕事中は何も言わなかったトムさんは、昼食にとやってきた露西亜寿司のカウンターでようやく昨日の件に触れてきた。
「実は俺、なんとなく気付いてたんだわ」
なんて言うトムさんに俺は目を丸くする。
「だって考えてもみろ。平和島静雄に関わってなお喧嘩売ってくる奴なんて、あいつしかいないだろ」
ずずっとお茶をすすりながらトムさんは言った。
「実際ボコったことだってあったんだろ?それなのに何度もおまえの前に現れて、ヘラヘラしてられるなんて普通じゃないと思ってたよ。だから昨日アレ聞いて、ああそっか、そういうことだったのかって、なんか納得しちまった」
そう、なのだろうか。
俺は今までの臨也との抗争を思い出す。
ムカつく顔しか思い出せないが、その顔の向こうでは俺のことを思ってたってのか?
「でもなあ、あいつが今までおまえにしてきたことは、それでもやっぱ酷いことだと思うんだよ。だからな、あんま気にすんな。あれは自業自得だよ」
「はあ………」
トムさんの言うことは正しい。
それは分かっているのだが、どうにも俺の返事は歯切れが悪い。
もやもやはやまない。
トムさんは慰めるように俺の背を軽く叩いてくれた。

「あの坊主、ついに告白したのかい」
「は?!」
ふいにカウンターの向こうから露西亜寿司の板前店主に声をかけられてびくっとした。
つかなんでこの親父まで知ってるんだ?!
「何度かそこに座ってぼやいてたからな」
俺の疑問に答えるように言い、しぶくフッと笑う。
「ということは、いいトロ仕入れてこねえとな」
なぜトロ、と思っているとサイモンがやってきてニコニコ笑って言った。
「昔イザーヤと約束シターヨ!イザーヤ失恋シターラ、ココでトロパーティーの約束!失恋パーティー盛大にスルネ!」
「兄さんら、今日のランチは奢りだ。おかげでいい仕事ができそうだ」
「え?マジ?悪いねどーも」
遠慮なくご馳走様と手を合わせるトムさんの隣で、俺はチッと舌打ちした。
どうにも気に食わない。
何故かこの流れが気に食わない。
もやもやが収まらなくて、午後の仕事は必然的に荒くなった。



夜仕事を終えた俺は、のそのそと帰宅するため歩いていた。
これまで機嫌よく仕事をしていた日が続いていたので、急に荒れだした俺にトムさんは早めの退社を言いつけてきた。
逆らわずに別れてこうして帰っているのだが、依然すっきりしないままだ。
一体俺は何が気に食わないんだ?
信号の前でぼんやりと立ち止まっていると、視界の下の方に見覚えのある頭があった。
確か新羅ん家の鍋パーティの時にいたような…。
「ねえ正臣、園原さん、トロ食べたくない?」
その来良の制服を着たガキが、気になるワードを口にしたのでピクと眉間に力が入る。
「なになに帝人、トロがどうしたって?」
「あのね、明日露西亜寿司でパーティがあって、タダでトロが食べられるんだ。一緒に行こうよ」
そのパーティとはもしかして、もしかするのか。
俺の前方で楽しげに話す学生三人組に、己の学生時代を思い出してより滅入る。
「つかなんでタダなんだよ。ついに潰れんのかあの店」
「違う違う、奢りなんだ。臨也さんの失恋パーティなんだって」

ああああああああぁ…
声にならない声が出る。どこまで知れ渡っているんだ。おまえマジふざけんなクソ蟲があああああ。

「げ、臨也さん主催なの?つか失恋って!あの人の失恋とか昔から分かってんじゃん今更じゃん」
あはははっと茶髪のガキの笑いを聞いて俺はなんだか遠い目になった。
これはキレてもいいのか。どうなんだ。よく分からん。
「笑っちゃかわいそうだよ。何年もずっと好きだった人に振られたらしいんだから」
「あーはいはいトロの分だけ慰めるのはいいけどさ、でもあの人あれだよ、振られる以前に相手に強烈に嫌われてるっしょ?よく告ったなー。そういや昔知られたら死ぬとか言ってたんだけど、いつ死ぬんだろ。アハハハッ」
「ちょっと正臣!」
「あ、あの!!」
今まで黙っていたメガネの女子の声に、二人が振り返る。
そして後ろで突っ立っている俺を見て固まった。
固まったと思ったら、三人そろって青になった信号をダッシュで駆けていった。


信号を渡りそびれた俺は、タバコに火をつけ長く長く煙を吸い込み吐き出した。
俺が一体何をした?
昨日から、そうだ、俺は何もしていない。
知らない間にノミ蟲に好かれていて、知らない間に失恋されて、勝手に自殺だパーティだと…
い い 加 減 に し ろ !
タバコを握りつぶし地面に叩きつけ踏みにじる。
気に食わない。
これはもう本気で盛大に気に食わない。
何が気に食わないって、俺に黙って失恋だぁあ?
どいつもこいつも臨也でさえも、勝手に失恋で盛り上がりやがって。
だったら俺は一体なんなんだ。
俺を差し置いて失恋を成り立たすなと言いたい。
つうか告白なんかされてねーし。
一体何をもって失恋なんだと問い詰めたい。
ノミ蟲のくせに生意気だ。ああ生意気だ!

ガンと蹴ったゴミ箱が遥か向こうに飛んでった。
まったくスカッとしなかった。



続く
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