顛末

 その日の夏油はいつもと雰囲気が違った。なんというか緊張してソワソワしているというか、いつ何か≠言い出すべきか見計らっているというか。別にこちらから聞いてみても良いのだが、ここは彼が言い出すまで待っておくべきであろう。
 そう思っていつもの様にダラダラと過ごして、彼の好きなようにさせていると、遂に意を決したらしい夏油が重々しく口を開いた。
「実は、宣戦布告をしようと思ってるんだ」
 えらく大層なことを言い出したな、と真面目な顔をしている夏油を見る。宣戦布告って、まさか戦争でも始める気なんだろうか。彼の術式を考えると一人で軍団を編成できるから、割と戦争向きではあると思うけれど。
「呪術界を相手に、世界を変える為に戦争を仕掛ける」
「本気なんですね」
「もちろん。だから君には全てが終わるまで会えなくなるんだ。色々と準備とかもあるし」
 私に対してそう語る夏油の口調は穏やかで、たったいま戦争を仕掛けると言ったとは思えない程であった。……一体、何が彼に戦争を選択させたんだろう。今までの彼は猿は嫌いと言いながらも、猿から呪いを集めていただけだ。時々殺しをしていただろうけど、戦争≠フ様な大規模な攻撃はしてこなかった筈。
 なのにどうして今、ここにきて戦争をするのだろう。その宣戦布告が、夏油にとってどんなメリットを齎すのか。彼なりの狙いが何かしらあるのだろうけれど、私には一切分からなかった。
「作戦の決行日は十二月二十四日。新宿と京都では呪霊を大暴れさせて、高専には私が欲しいものがあるってそれを奪いに行くから、その辺りには近付いちゃ駄目だよ。戦後処理とか全部終われば会いにくるから、それまでちゃんと待っててね」
 最近は何を考えているか分からないという事が少なくなってきていたのに、今日の夏油の考えが分からない。いや、そもそも猿嫌いを理解できないのだから、それに基づいた夏油の行動を真の意味で私が理解できる事はないのだ。その事はとっくにわかっていた筈なのに、すっかり頭から抜け落ちていた。
 宣戦布告をして、戦争をして。それからまた私に会いにくる日常を過ごせると思っているのだろうか。彼の願いが、非術師の排除が叶ってしまえば世界は一変するというのに。
 ……それとも。心の何処かでは無理かもしれないと、道半ばで夢破れるかもしれないと思っているからこそ、こんな事を言っているのか。夏油の心の中は私には分からない。
 分からないからこそ、決めた通りにしようと思った。
「夏油さん」
「うん? どうしたの?」
「私、見ないふりをすると決めたので聞かなかった事にします」
「……そっか。じゃあ、私は今日から二ヶ月ぐらい出張に行くって事にしよう。帰ってきたらキスしてね」
 いいですよとも、嫌だとも言えなかった。だってそういう約束って死亡フラグじゃないか。今生の別れなんてごめんだから代わりにハグしてあげて、頬にひとつだけキスを落とした。
 彼の作戦が成功しても、成功しなくても。この際どっちだって構わないから、兎に角生きて帰ってきてくれよ、と。

 ■■

 見る。視る。観る。
 私は傍観者だ。彼の為に術式を使わず、ただ自分の為だけに視ているだけの部外者。だから、ホテルの部屋から私はただ視ていた。新宿と京都に彼が呪霊を放つ様も、彼の家族たちが戦場に赴くのも、最強を冠する男の姿も。彼が、夏油傑が高専≠ノ足を踏み入れる姿も、彼が学生たちを吹き飛ばす姿も、呪霊を背負った男の子と戦う姿も。閃光に飲み込まれる姿でさえも、全てをただただ視ていた。
 そして。満身創痍になって右腕が吹き飛びながらもなお生き延びている男を視て、漸く一つの考えが頭を過ぎる。彼の家族≠スちはそれぞれ新宿と京都で散り散りになっているから、死にかけている彼を即座に助けに行く事は不可能だ。
 でも、私なら?
 気の迷いで高専に程近い場所のホテルにいる私なら、きっと彼の家族よりも先に彼の身の安全を確保出来る。彼を追う人間を視て、追手から見つからない逃走ルートを探せる筈だから。
 どうしようと頭を悩ませるけれど、結局なんとなくではあるが彼が死ぬのは嫌だな、なんて曖昧な理由で助けようと決めて。ソファから立ち上がろうとした所で、乾いた笑い声が漏れ出た。
 だって、そこには五条悟がいた。
 夏油が親友と称した、最強の術師という男が瀕死の夏油傑の前に立ち塞がっていたのだ。
「……あーあ」
 じゃあもう無理だ。夏油があれだけ警戒して、別の人間に時間稼ぎに徹させた人間を私が相手に出来る訳がない。だって私は三級程度の呪霊の拘束すら解けないのだ。それに、今更この部屋を出た所で間に合わない。夏油が五条悟に殺される前に辿り着くなんて不可能だ。
 それに、もう夏油自体が諦めてしまっている。眉間に寄っていた皺も消えて、気の抜けた顔でしゃがみ込んでしまった。あれだけの怪我でも歩みを止めようとしなかったのに、五条悟と対面しただけでもうお終い。
 ……どうにも実感は湧かないけれど、私の日常に侵蝕していた夏油傑という男はここで死んでしまう様だ。死なないでくれって思ってたのに。家に侵入して好きにご飯を食べたり、たまに昼寝していたり、ソファを買ってきたりした男がここで死ぬ。そして本人もそれを受け入れているからどうしようもない。
 学生たちを相手にしていた時の様な何処か演技をしてる顔でもなく、私相手にグダグダと絡んできている時の顔でもなく。初めて見るような顔をしてお喋りなんてし始めちゃって。五条悟の方もそれを当たり前かの様に受け取って言葉を返しているし。
 ──だから、そこで視るのをやめにした。
 五条悟が夏油に一歩近付き、しゃがみ込んで何かを言おうとした瞬間に私は目を閉じた。
 それはきっと夏油傑という男一人に向けられた言葉だろうから、夏油とその親友である男だけが共有していればいいと、そう思ったのだ。ただの部外者で視ていただけの人間が知っていい事じゃない。読唇術を使えるわけじゃないから言葉が分かる訳じゃないけれど、その言葉を放つ五条悟の顔も、受け取った夏油傑の顔も私は見るべきではないのだ。
 それに夏油の最期を見る資格だって無いだろう。だって私は最後まで、夏油に私の奥底まで踏み込ませなかった。彼の家族≠ノ終ぞならなかった。
 だって教祖である事を見ないフリをすると言っても、嫌いなものは結局嫌いだ。私と接する夏油傑という男がいい奴でも、私に誠実に接してきたとしても、私はどうしても許容できなかった。最後の一歩がどうしても踏み出せなかった。死なないでね、の言葉の一つも口に出さなかった。
 だからこれでいい。彼に力を貸さずに済んだのだから。
 ただ、本当にこれでいいとは思うけれど。今更になって、彼を手伝っていれば死なずに済んだのかな、なんて思いが浮かんでくる。
 彼の為に私が特級呪霊を沢山視て£Tし出していれば、きっと彼はあの男の子に負けなかった。いや、そもそも彼の為になるものを初めから視て≠「れば、もっと別の方法で彼は願いを叶えようとしたかもしれない。
 もし、私が視ていれば。
「馬鹿だなぁ」
 視たくないし視ないと決めていた癖に、何を今更後悔しているんだ。



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