今度は何を勝手に持ち込んでいるのやら。
 職場から帰宅すれば、我が家のテーブルに大量の雑誌を広げた夏油がソファの上でうんうんと唸っていた。……パッと見た感じ全部ティーン向けのファッション雑誌だけれど、なんで彼がそういうのを買っているんだろうか。夏油はティーンという歳でもない上に広げているのは女性誌だし。
 袈裟を着ているかラフなシャツか作務衣を着てばかりなこの男が、急にファッションに目覚めた訳でもないだろう。いつもの事ながら行動が突飛で全く読めない。何故なんだろうかと訝しげに見つめていると、彼がこちらを振り返って照れ臭そうにはにかんだ。
 こうやって見れば割と好青年なんだが、袈裟を着てるとどうしてあんなにも胡散臭さが醸し出るのやら。どうやら敢えてあの袈裟を着てるみたいだし、夏油のセンスはよく分からない。
「……実は私の家族の双子の子たちがね、化粧に興味を持ち始めたんだ。それで化粧品が欲しいって言われて」
「ああそれで」
「だから彼女たちがよく読んでいる雑誌を見てみれば、何か分かるかなって思ったんだけど」
 あの悩み具合から言って、どれが良いだとかちっとも分からないらしい。まあ夏油は化粧品の事なんて知ることのない生活を送っているだろうし納得だ。雑誌を読んでみて勉強しようとするだけ上出来だろう。
 夏油が読んでいない雑誌を手に取ってペラペラと捲ってみれば、見事に懐かしさを覚える特集ページなどが目に飛び込んでくる。あー、こういうキラキラしたのよく読んでたな。
 母親に見つかると色気付いただとか言って大騒ぎされるから、こういう雑誌が見つからないように隠してたっけ。化粧するだなんて夢のまた夢だったし、これらは私の憧れだったのだ。
 ああ、本当に懐かしい。大人になってからは買ってないけど、今の年齢に合った女性誌とか買ってみようかな。ちっともそういう情報を目にしていなかったからどんな雑誌があるか分からないけれど、何冊か買ってみて中身を見ればいいし。
「出来れば百合ちゃんに色々と教えてもらいたいんだけどな」
「……あなたの家族≠ノ女性はいないんですか? その人に聞けばいいと思いますけど」
 面の良いこの男の顔面に惹かれてやってくる女性の一人や二人ぐらいいそうだし、なんなら男とかも寄ってくるんじゃないだろうか。
「真奈実さんには団体の経理だとかの事務を任せっきりでね、忙しいだろうからあんまり負担かけたくなくて」
「他にはいないんですか?」
「私は百合ちゃんに聞きたいんだよ」
 私が嫌だっていうのは夏油だって分かりきっているだろうし、だったら別の人たちに聞いた方が早いってのも分かるだろうに、何故そうなるんだ。今年も植えられた野菜といい、どうして私を頼ってくるのやら。
 ジッと私を見てくる夏油の視線を遮る様に雑誌を掲げて、普段通りの言葉を返す。
「手伝いませんよ」
「ええ……アドバイスぐらいいいだろ?」
「アドバイスって言ったって、その子たちの肌の色すら知らないのに出来るわけないじゃないですか」
 まず彼の言う子供たち≠フ顔も知らないし、どういうブランドが好きかって事も知らないのだ。そんな状態で何をアドバイスしろと。夏油が詳細を教えられるならまだ大丈夫かもしれないが、雑誌を見てもよく分からないと言っている男が分かるわけもないだろう。
 だからと言って私がその子たちに合うのも無しだ。彼女たちに罪はないが、夏油と親しい仲の人間というだけで対面するのに抵抗感がある。つまり私がその子たちの化粧品を見繕うなんて不可能。そもそも私は美容部員ですらないのだから、正しいアドバイスを遅れるかすら定かではないし。
「肌の色って関係あるんだ」
「……夏油さんって猿嫌いだからテレビとか観ないんでしたっけ。じゃあイエベとかブルベも知らないのか」
「あー、なんとなくなら……?」
 ここのページに書いてあったような……、と言って夏油が雑誌の特集を開くが、それでもピンとこない様だ。親バカなのか知らないがあの子たちはどんな色でも似合うし、なんて呟いている。
「別にあれこれ悩まなくてもいいと思いますよ。一緒に買いに行ってお金だけ出してあげた方がよっぽど喜んでくれるんじゃないですか」
「そう? 私が選んだ方がいいかなって思ったんだけど……」
「色々と雑誌を読んでアドバイスも聞いたとして、あなたに選べるんですか?」
「まあ……それはちょっと難しいと思うけど……」
 なんならデパートの美容部員に聞くのが一番無難だ。子供たちが化粧の種類等をよく分かっていなくても、プロに任せておけば大抵どうにかなる。素人の意見で間違ったものを買うよりよっぽどいいだろう。
 ただ一つ問題があるとするのならば、夏油が猿のアドバイスを素直に受け取るかという所だけれど……。まあそこまで私は関知する義理はない。夏油が聞かなくてもその子たちが聞くだろうし、そもそも美容部員の説明を夏油が理解できるとも思えないし。
 だって、今もコスメ特集のページを見て首を傾げてる。そんなに不思議な事でもあるんだろうか、とむしろ気になってきたじゃないか。
「百合ちゃん。AAとかBBとかCCとか、なんでこんなにクリームがあるの?」
「全部用途が違うんです。なんならDDクリームってのもありますよ」
「そこまであるんだ……」
 そんな事があった週の日曜日。夏油が夜遅くに家に侵入してきた。私はといえば夏油がいないので、寝室から人をダメにするソファをリビングにまで持ってきてだらけた状態でテレビを見ていたのだけれど……。
 夜も遅いから来るはずがないと思っていたのになんで来るんだか。折角リラックスしていたのに台無しだ。和かな笑顔で手を振る夏油を睨み付けてから、テレビに向き直る。……が、当然夏油はそれが気に入らないようで、勝手に電源を切られた。
 あーあ、もう。面倒くさい男め。どうして無視したりすると、こっちを見ろと言わんばかりにちょっかいを掛けてくるのか。理由は前に言っていたけどそれでも面倒なのは面倒だからやめていただきたい。
「はい、コレあげるね。お土産だよ」
「……なんですかこれ」
「百合ちゃんに私の好きな色の口紅付けてほしくて」
「ええ……嫌ですけど」
 私と夏油の関係は不法侵入者と被害者でしかないのに、どうして急にコスメを買い与えるのか。しかも夏油の好きな色の口紅をつけて欲しい、ってどういう感情でそんな事を言ってるんだか。
 戦利品の紙袋を掲げるかの様に私に見せつけてくるが、ちっとも欲しいとは思わなかった。どちらかといえば不法侵入をされない方が嬉しいし。そう思ってノーセンキューと両腕でバツ印を作って拒絶してみるが、そこで引くの男であったなら、夏油という男にこんなに悩まされる事は無かっただろう。
「そこをなんとか」
 そう言ってぐいぐいと押し付けられる小さな紙袋を突っ返そうとするが、当然夏油の方が力が強い訳で全然紙袋を手放せない。ロゴを見た感じ割と高めのコスメなので、ますます受け取りたくない気持ちが増す。これを受け取って変に私の立場が弱くなってしまったら堪らない。
 だけどやっぱり力の差は歴然としている上に、夏油は紙袋がぐちゃぐちゃになろうが知った事ではない、と乱雑に扱うのだ。一方でこのコスメの価値を分かっている私は雑に押し返す事すらままならず、最終的に手元に押し込まれてしまった。オマケにミミズの呪霊が私の手と紙袋とをまとめて巻き付いているから、離そうにも離せない。
 やっぱり力が強いだけでなく、呪霊を操れる夏油って狡くないだろうか。
「私じゃなくて他の人にあげてください」
「君ぐらいにしか渡す人なんていないよ」
「あなたの家族≠ヘ?」
「それはそうだけど……」
 この前名前の出たマナミさんって人に渡すのはどうだろうか。夏油と一緒に働いているのなら、プレゼントは大歓迎だと思うのだが。どういう人かは知らないけれど、夏油と仕事をしているのなら夏油の事が好きなんだろうし。
 それに折角物を渡すのなら喜ばれた方が夏油だって嬉しい筈だ。要らないと言って憚らない人間に無理矢理渡すより、そっちの方がどちらにとってもいいだろう。恐らく。
「でも百合ちゃんの為に買った物を他の人に渡すのは失礼になるだろう? だから受け取って」
 ……それを言われてしまうと、確かに黙る他ない。バレなければいいが、万一他の人へのプレゼントの流用だってバレたら最悪だ。そもそも夏油の言う通り、失礼に値するし。
「私に渡すとなると、タンスの肥やしになると思いますけど」
「受け取ってくれるだけでも嬉しいよ」
 渋々と。本当に渋々と紙袋を自分の手で持てば、巻き付いてきていたミミズの呪霊は大人しく引き下がっていった。あーあ、かわいい紙袋がぐちゃぐちゃだ。これはもう捨てるしかないか。
 可哀想な事になっている紙袋から中身の箱を取り出して、一旦机の上に置いた。それから紙袋を片付けようとしたのだけれど、どうやら夏油は先に箱を開けて欲しいらしく、わざわざ机の上に置いた箱を私の手の上に置いてくる。別に後で見るのだしいいじゃないかと思うんだけどな。
「君の反応が見たいんだ。早く開けてよ」
「ハイハイ」
 そわそわしている夏油を横目に、小箱の梱包紙を剥がしていく。そして箱を開いて真っ先に目に飛び込んできたのが、専用の革製のケースとシンプルなデザインのルージュ。尖っていないデザインのお陰で普段使いもしやすそう、と思いきや上面に思い切りブランドのロゴが入っていて高級品なのがバレバレだ。しかもさりげない意匠と思いきやブランド名が書いてあったりもするし。
 高級品ってこういうのなんだな、と珍しさでまじまじと容器を眺めていると、私を見つめる夏油の視線が痛くなってきた。ああもう、ちゃんとルージュの色見るからそんなに急かさないでくれないか。
「……どうかな? 嫌じゃない?」
「てっきり赤とかピンクかと思ってました。いい色ですね」
 よくあるピンクとか赤とかそういう系統だと思いきや、まさかのオレンジ色。夏油ってこういう色が好きなのか、と素直に驚いてしまった。私の中の夏油のイメージだと、色っぽいマットな赤色のルージュとかつけてる女性とか好きそうなんだけどな。でも、夏油が買ったのはまさかのオレンジ系統。
 ルージュの赤とかピンク以外の色があるって知ってたんだな、とちょっと失礼な事を思ってしまった。いや、だってイエベもブルベも知らなかったし……。
「頑張って選んだんだよ。気に入ってくれたかな」
「まあ綺麗な色だし容器も派手じゃないのでいいルージュだと思いますよ」
「良かった。じゃあつけて──」
「つけないです」



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