──なんで人の家で酔い潰れてんだろうか、この男は。
「うぇ……きもちわる……」
 学生時代はたくさん飲んでいたけど最近はあまり酒を飲んでいない、だなんて夏油が言った時から、正直嫌な予感はしていた。酒には強いと自己申告していたけれど、暫く飲んでいないなら酒への耐性が減ってるんじゃないかと思ったのだ。それに久しぶりに酒を飲めば加減が分からず、許容範囲を超えて飲みそうだな、なんて。
 だから私はここで飲むなと言ったのだ。普段でさえ面倒な男が酔えば余計に面倒になるなんて分かりきっているし。
 しかし結局自作した梅酒を奪おうとする私を呪霊で妨害した夏油は、空きっ腹の状態で梅酒を飲み始めた。しかもロックな上につまみを食べたりだとか、チェイサーを挟んだりもしないで。そんな事をすればあれよあれよと言う間に酔っ払いの出来上がりだ。
 最終的に、夏油は顔を真っ赤にして口を抑えながら固まっていた。
「吐くならトイレで吐いてくださいよ」
「……いい……」
 いい≠チて言ってるけど一体何がいい≠だか。吐きそうってさっき言ってただろうに。
 いつもとは比べものにならない程の弱々しい声でそう言った夏油は、そのままソファの上で丸まって横になろうとした。やめてくれ。酔っぱらったまま寝ると最悪窒息しかねないから非常に困る。吐瀉物でソファだのラグだのが汚れてしまえば目も当てられないし。
 だからどうにかそれを阻止すべく肩を押してみるが、私程度の力で彼をどうこう出来る筈もなく、夏油は隣に座る私を押しつぶすような形で凭れかかってきた。プレス機に挟まれた気分だ。めちゃくちゃ重いじゃないか、この筋肉ダルマめ……。
 肩を叩いて起き上がれと言ってみても、一旦吐いてこいと言っても夏油はイヤイヤと一点張り。まさかこのままなし崩しに寝ようとしてるんじゃないだろうな、と思って顔を叩いてみても首を降るだけで、目に見えて先程よりも反応が鈍くなっている。
「寝ないで吐いてきてくださいよ」
「……ん〜」
 話を聞いているのか聞いていないのやら。目を閉じて、よくわからない唸り声の様なものをあげるだけになった夏油の体から力が抜けていき、さらに私に体重が加わっていく。
 これ、絶対にうやむやにして寝ようとしてるな。別にさっき気持ち悪いとか言っていなければ好きに寝させたが、吐き気があるならそうは行かない。どうにかしてこの男には動いて貰わなければ。
 とりあえずこれまで好き勝手にしている男への苛立ちを込め、痛くならない程度に抑えて頬に軽く平手打ちをする。もう諦めてはいるけれど、不法侵入を許したわけじゃないからな。
「夏油さんに選択肢をあげます。一つ目、ここに風呂桶を持ってくるのでそこに吐く。二つ目、トイレで吐く。選んでください」
「……はかない」
「吐かないっていうのなら、喉に指を突っ込んで吐かせますからね」
 パンッという乾いた音に驚いたらしい夏油が、目をまんまるにして私を見つめた。その目をじっと見つめ、出来る限り硬い声色で彼に告げる。私はやらないと言えばやらないし、やると言ったらやる女だ。指を突っ込んで吐かせると言ったからには絶対に吐かせてやる。
 いつもはすぐに外す目線も逸らさずに睨み付けるように彼を見ていると、気不味さを感じたらしい夏油は顔を背けた。よそ見するんじゃない。こっちを見ろ、と顎を掴んで顔の向きを戻してやれば、夏油は口をもごもごとさせた。……早く根負けしてくれないかな。
「はいてくる」
 おおよそ一分程度だろうか。しばらく睨めっこを続けていると、私が引かないと理解したらしい夏油が私から逃げるようにして体を離す。賢明な判断をしてくれて何よりだ。それから夏油は頭をふらふらと揺らしながらも立ち上がろうとするが、その体を一旦押さえてソファにキチンと座らせる。それから、きょとんとした顔をしている夏油の法衣に手を掛けた。
「その格好で吐くと汚すでしょうから脱がしますよ」
「じぶんでするよ」
「……ホントに出来るんですか?」
 彼がいつも身に纏っている金と緑の袈裟は、家に侵入するなり勝手にポールハンガーに掛けていて身に纏っていないからいいとして、このややこしい法衣を酔っぱらいの男が一人で脱げるのだろうか。もたもたと帯に指を掛けて結び目を解こうとしている夏油の手つきはあまりにも覚束ない。同じ所を爪で引っき続けて、結び目の間に指すら突っ込めていないじゃないか。よくこれで自分でやるだなんて言ったな。
 こんな様子じゃいつまで経っても脱げやしないと手伝ってやれば、最初は自分でも脱ごうと苦闘していたものの、最後にはされるがまま。何やら呆けた顔で私のことをじっと見つめていた。珍しい、と思っているのかただ単に眠いだけなのか。
 大人しくしてくれているならいいか、とどんどん紐を解いて黒い法衣を脱がせていると、眠気に負けたのか夏油の頭がかくんと落ちた。えぇ……今の一瞬で寝るのか。
「寝るな」
 眠気覚ましの代わりに、パンッと夏油の顔の前で手を叩いてねこだましをすれば、肩を揺らした夏油の目が開く。そのまま私の顔を見てぎゅうと口を結んだところを見るに、よっぽど口の中に指を突っ込まれたくないらしい。酔っている時限定だろうが、夏油に脅しは通じる様だ。次に同じことがあれば最初から脅してやろう。
 法衣を一枚脱がせたらもういいだろうか、と彼の手を引っ張ってソファから立ち上がらせる。どうにも足元は覚束ないけれど、流石に転けることはないだろうし一人でも歩ける筈だ。
「じゃあトイレに行ってください。私は念のためタオルとか用意してくるんで」
 緩慢に首を縦に振った夏油がのそのそと動くのを見送り、洗面所へと足を向ける。何で甲斐甲斐しく世話してやらないといけないんだと思いはするが、もうここまでくればもう仕方がない。掃除をする羽目になるよりよっぽどマシだ。
 それに、私に迷惑をかけたことに夏油が負い目を感じてくれるかもしれないし。……と言ってもその可能性は低いけれど。不法侵入ばっかりしてる男が罪悪感なんて覚える訳がないだろうし。
 そんな事を考えながら、タオルと口をすすぐ用の水を入れたコップを持ってトイレに向かえば、何故かぼけっと立ち尽くしている夏油が。吐くんじゃなかったのか。
「……なんで中で突っ立ってんですか?」
「それは……その……」
 しどろもどろな夏油の様子を見るに、どうやら私に吐かされる……というより、吐いてる所を見られるのが相当嫌であるらしい。まあ、誰だってそうか。親しくもない人間に吐いてる姿なんて普通は見せたくないし、ましてやこの男は割とプライドが高い。そりゃ嫌がるに決まっていた。
「ほら、後ろ向いてください」
「ゆ、ゆび……」
「入れないですから。早く後ろ向く」
 私を信用していないらしい夏油の向きを無理矢理変え、その長い髪に手を伸ばす。長い髪を汚して、風呂に突っ込む羽目になるのだけは避けたかった。酔っ払いの風呂の面倒までは流石に見きれないし。
 あっちこっちに跳ねている夏油のぼさぼさの髪を手で梳かし、ヘアゴムで緩く一つ括りにする。あとは前に垂れない様に大きめのヘアクリップ留めておけばいいだろう。
「10分ぐらいしたら様子を見にきます。その間水流しっぱなしにしてていいですから」
「……ごめん」
 そう言ってしゃがみ込む夏油を後目に、一旦部屋に戻る。あのまま放って置いて寝てやろうかな、なんて考えが頭を過るが、トイレで寝られても困るしな。夏油が休める様に準備だけしておこうと、クローゼットから布団を取り出す。
 前のシーズンから洗ってないけど夏油だからいいとして、あとは毛布もあったほうがいいだろうか。酔っ払いが冷えるとまずいと聞くし。
 そうやって色々準備をしていると、十分なんてあっという間だ。そろそろ吐き終えているだろうか、と布団等諸々を持ってリビングに向かえば、先程よりも顔色のいいソファに腰掛けていた。
「ふとんくれるの?」
「ソファだと小さいんでしょう。前に文句言ってたじゃないですか」
 とりあえず、テーブルを退かせば布団を敷くスペースは確保出来るだろう。夏油が飲み散らかした梅酒をキッチンへと持っていき、上のものを片付けてからテーブルを動かす。好きにレイアウトを変えられるように軽いテーブルを買っておいて良かったな。
「二度とこういう飲み方しない方がいいですよ」
「しょーこがつよくて、いつもこんなかんじだったから」
「へえ」
 誰だか知らないが、初めて夏油から個人名を聞いた気がする。いつもは家族≠セの猿≠セのしか言わないから新鮮だ。
「さとるはよわかったよ」
「へえ」
「ひと口のんでね、おわり」
 へえ。……いや、本当にへえしか言えないな。私はその人たちのことを一切知らないのだし、辛うじて分かったとしても性別くらいだ。
 良くショーコさんとやらに二人揃って酒で潰された、だとか。桃鉄九十九年をしてしんどかった、だとか。吐いてスッキリしたからか気分がいいらしい夏油は、いつも以上にペラペラと喋り続ける。
 彼の話を聞いている限りだと、ショーコさんもサトルさんも相当な不良ではなかろうか。タバコ吸ったりメス持ち歩いたり、挙句の果てには夏油以上の身長の男が白髪でサングラスを掛けてる、なんて。夏油も夏油で相当濃いキャラをしているし、そんな面子が街中にいれば目も合わせたくない。高専って所は中々にヤバそうな学校だ。
「わざわざ私の家で飲むんじゃなくて、そのサトルさんだとかショーコさんと飲めばいいじゃないですか。仲良いんでしょう?」
「なかよかったよ。さとるはしんゆうだし、しょうこもともだち。もう会いにいけないけど」
「ふぅん……」
 薄々分かってはいたが、この男は結構な事をやらかして高専≠ゥら出奔したらしい。恐らくは彼が猿と称する非術師の関係で。そのやらかしの内容は流石に検討もつかないけれど。
 そもそも夏油がどういう事をやらかしたのか、聞く気はないしどうだっていいのだが、ただただ馬鹿だなぁとは思う。酒に酔って昔を思い出した時に、彼らの話しかしない程に仲が良かったんだから、わざわざ仲違いする道を選ばなければ良かったのに。何があっても教祖をしてるか知らないけど、折り合いは付けられなかったのだろうか。
 そうやって夏油の言葉に適当に相槌をうっている間に、寝床の設置が終わる。ここまでやったのだし、後は寝るだけだ。さっき眠そうにしてたんだし、夏油もすぐに寝てくれるだろう。
「じゃあ私は寝ますからね」
「だめ」
 私の言葉に被せる様にそう言った夏油は、酔っているのにも関わらずいつものタコ足呪霊を出してきた。最悪だ。酔ってる今なら問題ないと思っていたのにまさか呪霊を出せるだなんて。
 不味い、と逃げの姿勢になった私の脚をいつもの様に呪霊が絡め取って、ソファに引き戻す。無駄だと分かっているものの手足をバタつかせてみたが、まあ予想通り何の意味もない。
「さっきビンタしたんだからまだここにいて」
「どうせもう痛くないでしょうに、甘えた事言わないでください」
「そんなことない。まだいたいよ」
 そう言って夏油が指差したのは自分の左頬。
 ──私が叩いたの、右頬なんだよなぁ。左もぶっ叩いてやろうか。



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